あの時の"周りと違う恥ずかしさ"が、いまのわたしの原動力になっているのだろう。 〜幻の演劇部員の話〜
こんばんは、ウィトゲンシュタインズのふらーと申します。
いま、わたしは、
わたしの軸に素直に生きたい。
そう思いながら日々を過ごしています。
でも、昔からそうだったわけではありませんでした。
決して懐かしいだけじゃない、ちょっとだけほろ苦い、
あの時の思い出が、
いまのわたしの原動力になっています。
今回は、そんなときの話をしたいと思います。
幻の演劇部
高校1年生の時、実は少しだけ、演劇部に所属していました。
幻の演劇部、と言ったほうがいいのかもしれません。
なぜなら、部員はわたし一人だけだったから。
そもそも演劇「部」自体、高校の公式な部活動としてあったわけではありません。
・高校の面接時に演劇をやってみたいと言ったこと
・たまたま他の学校で演劇指導の実績があった先生がいたこと
この2つが見事に重なって、
「じゃあやってみましょう!」とその先生にお誘いを受けて、
入学してすぐの4月、幻の演劇部が誕生したのです。
幻なので、当然演劇部はわたし一人だけでしたが、
「一人芝居で卒業までに全道大会(≒県大会)目指すよ!」
という先生の熱いパッションのもと、
空き教室で放課後毎日、発声練習・ストレッチ・パントマイムを行う日々。
なかなか厳しい練習の日々でした。
だけど、3年間頑張れば、
本当に、卒業までに全道大会に行けるんじゃないか。
そう思えるほどのものであったことは確かです。
3年間、頑張ることができていれば…。
演劇部なんてない高校に入学した身分でありながら、
「演劇がやりたい」などという、トンデモ発言を述べたわたしに、
賛同してくれる協力者がいたこと。
やりたいことができる環境であったこと。
そんな、あまりにも恵まれた環境であったにもかかわらず、
わたしは、頑張りきることができませんでした。
当時のわたしは、
自分の軸に従って、
たとえ一人でも、孤軍奮闘できる意志の強さを
持つことができなかった。
運動部が仲間とトレーニングしている体育館の端っこで、
一人で発声練習する毎日。
「あいうえお いうえおあ うえおあい えおあいう…」
向けられているかもわからない、周りの目がやけに痛く感じてしまった。
同じクラスの友達に、「ろみお」とあだ名をつけられ、
からかわれているように感じていた毎日。
(ちなみにあだ名そのものは、最終的には、
自分にとっても、とても愛着の湧くあだ名になりました。)
アドリブ力の無さから、厳しく指導され続けるパントマイム。
正直、その時期は
放課後の練習のことを考えただけで、
お昼ご飯のお弁当も喉を通らず、半分以上残す日々が続きました。
最初で最後の舞台
そんなある日、突如持ち上がった話がありました。
4つの高校の合同による演劇制作。
先生はわたしに確認するまでもなく、「参加できるように話つけてきたから」と伝えてくれました。
なんという作り話のような展開。
しかも、
劇の一番最初に登場し、一番最初にセリフを発する役を
務めることになったのです。
参加したのは、4月の中旬。
本番は5月の初めでした。
その作品は、他校の諸先輩方が、
12月ころから積み重ね、作られてきた作品でした。
そこに、入部1ヶ月も満たない、幻の演劇部員が参加する。
ツラいなんて言ってられません。もうやるしかありません。
だけど、
今でも覚えてます。あの時の練習風景を。
セリフが入った紙の、ザラザラとした質感。
練習場の床は、ひんやりと冷たかった。
暖かな春の陽射しが、まぶしいくらいに部屋の中に注いでくるなかで、
「演劇がスキ」という、同じ思いを持った他校の人たちと、
セリフを交わし合う時間。
久しぶりに、演劇って楽しいと思えた、あの時の気持ち。
この作品が、わたしにとって最初で最後の、役者としての舞台となりました。
当時の作品は、ありがたいことにDVDとして記録に残っています。
でも、なぜか、なかなか見る勇気が湧かないまま、
ようやく観たのは、2019年の6月でした。
(鑑賞直後のわたしのTwitterより)
ディスクを入れて、再生ボタンを押して、ただ観るだけ。
これだけのことなのに、その気持ちになれるまで、10年もかかってしまいました。
役者としての、最初で最後の作品。
やっと、観ることができました。
ちなみに、
演劇部をやめたあとは、
クラスメイトから猛烈な勧誘を受け、
吹奏楽部に入部し、
フルーティストとして舞台に上がり続ける日々を
高校3年間、過ごすことになっていきます。
人生の軸に正直になる
当時の自分はなぜ、
やりたいことを最後まで貫き続けられなかったのか、
と思います。
今考えられるとしたら、それは自ら勝手に作り出していた
「周りと違うことへの恥ずかしさ」
だったのかもしれません。
周りと違うことをやっている、そんな自分に自信が持てなかった。
持てなかったがゆえに、貫くことができなかった。
そんな、ほろ苦い思い出が、
いまのわたしの原動力になっているような気がします。
たとえ周りと違っていても
自分のやりたいことを貫いてる人はかっこいい。
自分の人生においての軸を持つこと。
その軸に正直に生きていくことが大切なんだと、
今は思います。
当時のわたしは16歳でした。
今はこうして、
素敵なメンバーと一緒に、
noteにコトバを、綴っているんです。