もう思い出せなくなっていて思わず、次どんな顔して会おうって考えた。来ない未来を想像することしかできない。

人間って、過去の次は未来に縋るんですね。
記憶と妄想は交わらないのに。

記憶って、どこまで鮮明だったら「覚えている」うちに入りますか?
どんな表情してたか、目線はどこ向いてたか、体温は感じたか、暑かったか寒かったか。見えてたはずのこと思い出せなくなったら、もうそれは消えてしまった記憶ですか?

人間の本能なんでしょうね、思い出せない部分を脳が想像で補おうとしたその瞬間、突然記憶の旅が遮断されて、本能に抗った自分の意思を見つけました。「想像なんかで記憶を汚さないで」。
想像で捏造されてしまうことが、忘れてしまうこと以上に怖くて悲しいのです。

そう考えると、忘れるのは怖くありません。悲しいけれど、今だって涙が止まらないけれど、怖くありません。この記憶が存在したという事実だけを、都合のいい妄想なんかじゃない、自分で生み出したり手を加えたりしていない。正真正銘の「記憶」があったという事実だけを、大事に守り抜くのですから。
時間と共に忘れゆくということはすなわち、その記憶は存在したということではありませんか?

忘れてしまったことが、記憶を汚さずに守り抜いた証明になるのなら、悲しいけれど、怖くはないのです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?