「表現の武器」を複数持つメリット
文章を書く人間ですが、一年ほど前からTwitterで自作のイラストをポストするようになりました。Twitterなので、「いいね」や「RT」がついて、サイトのPV数にあたる「インプレッション」がどのくらいあったかもわかります。フォロワー数は400程度(アクティブはもっと少ないでしょう)。
だいたい2000-5000くらいのインプレッションがいただけるようになりました。ありがたいことです。(いいねが40-100、RTが10-30ほど)
イラストを描く人間としてどのくらいの位置にあるのかは分かりませんが、最近は感想のリプライもいただくので、コミュニティ内ではそれなりに認知されているのかなあと思っています。
新たな表現方法を得たことで最も大きく変わったのは、日本語圏外のひとたちとコミュケーションが活発になったことです。非言語ツールとしてのイラスト(絵)は、やはりインパクトが強く、文化の壁を乗り越えることがより容易なもようです。
また、上記の理由から、言語をより深く学ぼうという気持ちになり、英語のポストもするようになりました。これはもちろん、日本語圏外の人たちへ向けてでもありますし、自分の英語力上達のため、また「日本語で書かないこと」によってクッションを作り「読める人にだけ読んでもらう」という表現の障壁を付けるためでもあります。
わたしはTwitter上では他者への批判、意見は一切しないと決めています。もしするときは直接やり取りします。しかしながら、こっそり愚痴を言いたくなるときがどうしてもあります。
その場合に、汎用性の高い表現を使って、なおかつ英語でポストすることによって溜飲を下げるというやりかたをすることがあります。
わたしは「文章」のみの表現を用いていくつもりでTwitterをはじめました。
けれどいざやってみると、さまざまな表現方法があふれています。写真、工芸、ネタツイート(大喜利のようなもの)、イラスト……文章だって、パロディ、パスティーシュ、噺、多種多彩な表現がありました。
フォロワーさんや、Twitterでのやりとりで新たな表現方法を身につけ、複数の武器を使い分けることで、より自分の「表現の核」のようなものが明確になってきたような気がします。何を表現したいのかという核が最初にあり、それをふさわしく効果的な形で表現する。そしてピースがピタッとはまったように構成されたとき、大きな喜びを感じます。
これは仕事においても劇的な効果をもたらしました。「自分の思いをいかに、どのようなツールで表現するか」表現における複数の武器を持つことは、自分の思いをより届きやすくするために非常に効果的であり、さらに単独ではなく組み合わせることによって、自己の立ち位置を構築することすら可能であるような気がします。
SNSの素晴らしさは相互作用にあります。フィードバックを常に行なうことによって、新しいものをリアルタイムで身につけていくことができます。うまく使えば、世界とつながり、世界へ思いを届けられる、現代の理にかなった表現の舞台と言えると考えます。