【たわぶれに】 物語としての砕片:1
「いや、まあどうにも、けしからんことで」
にこりともせずに視線を外す。その表情がむしろ真意をほのめかす。
客人に出す食器のことを言っているのだろう。卓上の白いコーヒーカップは安物。全国どこでも通販で買えるような代物。
「こだわりのない人間なんでして」
カップを覗き込みながら、唇の右端を歪める。
「何もそこまでと言うくらい、こだわるところはこだわるせいでしょう」
なんのためらいもなく、不遜に指摘してみせた。おだやかで、そして曖昧な視線が返ってきた。
ひとが持つリソースは決まっており、そこから逸脱することはむずかしい。定まった容量を超えて活動すれば、遅かれ早かれ心身にガタがくる。
なにかに力を傾けようとすれば、それ以外のものやことへの労力をできるだけ減らさなければならない。このひとの場合、家事の労力を減らすことを選んだようだ。だから床を這いつくばるロボットに掃除をまかせ、最新の全自動洗濯乾燥機を買った。料理は自炊、栄養のバランスは考えている、とはいえ、凝ったものは作らない。
「それで、本日はどんなご用事で」
「どんな用事って、あなたが3日ぶりのここでの朝食でしたから、同席しただけです」
銀縁眼鏡のフレームが、この部屋に差し込めたばかりの曙光を反射する。痛いほどまぶしく、強く光る。それが胸の陰りをあぶりだすようで、呼吸を忘れる。微笑みで取りつくろいながらも、泣きそうだった。
「それはどうも、わざわざありがとうございます」
「考えてみると、相当へんな会話ですね、これ」
「相当へんな人間がふたり、何の因果か一緒の空間にいれば、そうなるのも当然でしょう」
困ったような、それでいてどこか誇らしげに細められた目は、わたしの中の、小さく遠くに置き去られた子供をなぐさめる。
「コーヒー、冷めちゃいますよ。めしあがってください」
春だから、こんなに泣きそうなんだ。
春だから、こんな小さなことに悲しんだり喜んだりするだけなんだと信じた。
コーヒーは、3日前とおなじ味がした。