愛を生きるということ
(メインブログ「神様達と共に」で2015年2月9日に公開された「愛を生きるということ」の内容を、一部修正&加筆して再アップしております。)
以下は、先日のセッションで神様が、お客様におっしゃった言葉になります。
「普段から人を想って生きていれば・・・いざという時に必ず人が助けてくれるんだよ」
これはホント・・・不思議なんですけどね~∑(゚Д゚)
その通りだなぁって思いました。
以前・・・このブログでもチラッと登場した友達のK君は、普段からいつも人のことを真剣に考えているヤツでした。
だから、すっごい魂のエネルギーが伝わってくることもあって・・・僕は彼の言葉で、何度か涙したこともあります(TωT)
でもK君は・・・自分を大切にするのは苦手で、普段の生活はメチャクチャなのですよ(笑)
仕事もないし・・・お金もなくて借金ばかりの状況にもかかわらず、それでも自分のことよりも他人のことばかり考えて・・・。
「どう言ったら伝わるかな・・・この状況でどうしたらあの人は幸せに向かえるかな・・・。」
と何時間も、何日間も真剣に考えているようなヤツでした。
まぁ~素晴らしいのですが・・・ずいぶん極端な生き方ですよね(笑)
しかも頑固なので・・・僕が常識的なことを伝えても、なかなか受け入れてくれず、ケンカになることも多々ありました。
もう8年も前のことですが・・・ルームシェアしていた当時ホント大変でした(*´Д`)=з
そんなK君も、最近はちょっと丸くなってきていますから、今となってはまぁよい思い出ですね(^^)
さて、今回冒頭の神様のメッセージを聞いて・・・そんなK君のことを思い出しました。
そういえば、当時の僕は・・・案外、自分中心な考え方をしていたのですが、不思議と彼のことはほっとけなかったなぁと・・・∑(゚Д゚)
気がつけば・・・いろいろとおせっかいな気持ちが湧いてきて、自然と支援をしていたのを思い出します。
今さらながら思ったのですが・・・神様の言うとおり、K君がいつも人のことを真剣に考えている人間だからこそ、僕は何かしてあげたくなったのかもしれないなぁと・・・。
これって不思議な・・・見えない力学が働いているってことですよねぇ。
今日はこの辺のことが気になったので、あるじに聞いてみようと思います(^^)
おーい、あるじぃ~( ̄Oノ ̄)
あるじ「まぁな・・・その神の言うとおりだよ。
この世は・・・心で回っている。
実は・・・経済や評価で回っているのではないのだよ。
それは・・・人間がそう思い込んでいるにすぎない。
どんなにデメリットしかなくても・・・その人の気持ちが動けば物事は動く・・・。
そういうものだよ。
お前は・・・Kの生き方を見て・・・『何やってるんだ!そんなに人のことばかり考えて・・・自分のことを大切にしろ!』・・・という気持ちが湧いてきたわけだ。
まぁ・・・お節介かもしれんが・・・Kにはそういう熱心なアドバイスが当時は必要だった。
あいつはよく・・・『自分はどうなってもかまわない』・・・と言っていたろう。
自分は無価値で・・・無力な人間だと思い込んでいたのだ。
お前は・・・そうではないと伝えたかった・・・。
不器用だったがな。
そして・・・お前もまた・・・彼から学んだな。
人を想うということの大切さをな。
それは・・・彼の生き方を感じ・・・熱心に関わったからこそ・・・心で理解できたことだったはずだ。
彼との出会いが・・・お前を変えた。
当時・・・そのような彼との絆以外には・・・デメリットしかなかったはずだぞ。
しかしお前は・・・心のままに彼を支援することを決めたのだ。
結果的に・・・お前は魂の力を手に入れ・・・今の仕事に役立っているな。
つまり・・・『人を想うことで・・・自分が救われる』ということを・・・お前自身も身を持って体験してきたわけだ。」
ああ・・・そうか・・・。
確かにそうですね∑(゚Д゚;)
あいつと出会ってなければ、たぶん僕はこういう仕事してないと思います・・・。
彼の命がけの生き方は、僕に深い影響を与えてくれましたから・・・。
ただ反面、当時の彼は物凄~く犠牲の生き方でしたからね(;^ω^A
危なっかしい彼を見てて、反面教師として学んだ部分も多々あります。
なんとかして、人を想う純粋な魂の力と同時に、この世界で安心して生きていける精神性を融合出来ないかなぁと・・・。
あの頃から深く考えるようになりました。
まぁ・・・未だに考え続けてますけれどもね(笑)
あるじ「そうだな。
お前も彼も・・・一歩ずつその道を歩んでいるわけだ。
いわゆる・・・『肉体・精神・魂の融合』ということだね。
魂とは実に・・・純粋な心の想いを現す言葉だが・・・この厳しい世の中では・・・後回しにされることが多い。
それどころか・・・『キレイごと』だと言われることもあるだろう。
しかし少しずつ・・・世の中は変わってきている。
徐々に・・・優しさや思いやりを・・・実践できる者達が増え・・・いつしか心(魂)は・・・『キレイごと』ではなく・・・『大切なこと』に変わりつつあるのだよ。
当時のKの生き方は・・・極端だった。
彼はイジメられた頃の苦しみに・・・強くフタをするかの様に・・・心無き社会に反発していたからな。
戦いの気持ちと・・・純粋な魂の想いが分離して・・・その二面性を行ったり来たりしている様な時期だった。
彼のように・・・強い反発心や執着心は・・・一時的に愛の力を増幅することができるのだが・・・その活用には注意が必要だ。
なぜならば・・・一時的に愛に執着して・・・エネルギーを増幅させたとしても・・・時間が経てば強くフタをした分の苦しみに・・・襲われることになるからね。
だから無理はせず・・・自分にできる範囲で・・・少しずつ愛を開いていくことが大切なのだ。
特に・・・当時の彼は・・・自分を責めていた。
この世には・・・時に自分を責めるほどに・・・愛が開くという現象も存在している・・・。
これも・・・二元性の愛だ。
『自分はまだまだ頑張れていない・・・もっと頑張れる・・・もっと愛を発揮できる』
そう決意を強めることで・・・愛は強く燃え上がり・・・一時的には愛を強く放射することもできる。
しかし・・・その決意が強ければ強いほど・・・後に苦しみや・・・トラブルが折り重なる様にやってくるのだ。
これは・・・『愛』と『苦しみ』という両極を・・・自ら創り出している生き方だとも言える。
ただ・・・だからと言って・・・この世には愛が不要だとは言えないし・・・愛が存在しないというわけでもない。
今回・・・セッションで神がお前を通してお客に伝えたメッセージは・・・その通りなのだ。
Kの様に・・・反発心を抱くことなく・・・自然体で人を想うことができる者も・・・今の時期は増えている。
まだ若いお客だったが・・・彼女もそうだったね。
特に女性は・・・彼女の様に当たり前に人のことを想い・・・どうしたらその人が幸せになれるのかを・・・考える者が多い。
これは・・・大切なことだよ。
そうしなければいけない義務・・・というわけもなく・・・誰もが実践すべき美徳というわけでもなくね。
人は大きく・・・自分を愛することが得意なタイプと・・・他人を愛することが得意なタイプに分かれるのだ。
女性の場合は・・・他人を愛することが得意なタイプが多い。
その場合・・・自分を愛することは苦手だろうが・・・それができなければいけないというわけではない。
まずは自分を責めない様に心がけながらも・・・堂々と生きてほしいものだ。
愛の二元性を避けて・・・無理がない範囲で・・・自然と生きていければそれでよい。
そうすれば・・・自ら自然と発する愛によって・・・いずれ自分自身が助けられ・・・活かされる様になっていく。
だから・・・自然と他人を想う気持ちが湧いてくるのならば・・・けしてあきらめずに・・・『自分には力はない』などと思わずに・・・相手の幸せのためにできることを考え・・・伝えることを試み続けてほしい。
たった一言でも・・・どれほどあなたが相手を深く思いやったかによって・・・時に相手の心に深く響き・・・運命の流れを変えることがあるのだからね。
感受性が強い人ほど・・・あなたが想いやったその時間とエネルギーを感じ取って・・・心から感謝してくれることだろう。
だが・・・知的な人間の中には・・・『他人を愛することはただの自己満足』・・・と言う者もいるかもしれない。
その者は・・・まだわからんのだよ。
この世の中には・・・自然体で人を想いやれる者もいる・・・ということをね。
そして・・・そこにもちゃんと愛が流れているということが・・・まだ感じられんのだ。
だから・・・たとえ自分の愛が相手に伝わらなかったとしても・・・自分を責めることはないよ。
それは必ずしも・・・自分の問題ではなくて・・・受け取る側が心を閉ざしているが故に・・・伝わらないこともあるからだ。
そういう場合は・・・相手がいずれ心を開いてくれることを信じ・・・そっと見守るスタンスも大切だろう。
愛は無理をして・・・努力して・・・発揮するものではない。
自然と心が向くままに・・・発せられるべきものだ。
努力して・・・『愛の人になろう』とすればするほど・・・必ず無理が生じて・・・必犠牲になってしまう。
愛は・・・自分がそのままでいいと安心できるほどに・・・輝く面を持っているからね。
無理に愛の人になろうということは・・・深い部分で・・・そのままの自分を否定していることになる。
誰もが・・・そのままで本来は愛の人なのだね。
子供等は・・・まさにそうだろう。
自然と・・・弱い人や・・・困っている人を見れば・・・優しい心を開くだろう。
それをキレイごとだとか・・・自己満足だと言う子供はいない。
ピースがKと出会った時にも・・・それが起こったな。
『コイツのことはほっとけない』・・・と思ったその気持ちは・・・愛だ。
少々おせっかいだったがな。
だが・・・関わることで・・・その不格好な愛も・・・徐々に洗練されていくものだ。
上手に伝える方法や・・・相手を受け入れることや・・・深くおもんばかることの大切さを自然と学んでいく。
それができた時に・・・人は初めて他人と『共に』歩むことができる。
ここにきてやっと・・・その道筋が整ってきたな。」
うーん・・・そうなんですかね。
でも確かに・・・ようやく、少しずつ自然体な愛というものがわかってきたような気がしています。
K君と会った頃から、頭ではわかっていたのですけど、当時は思考も心も不安定でしたから(´ω`)
これまで心と体を癒していくうちに、自然と無理のない範囲の愛というものがわかってきたように思います。
でも、『道筋』と言われると・・・どうかなぁと・・・。
今はまだ、僕個人に人様を導く器があるとは思えないですからねぇ。
あるじ「そうなのだな。
しかし・・・それは徐々に実感していくことになるよ。
お前が人を導くのではない。
お前はただ・・・お前の心の命ずるままに歩めばいいだけだ。
そこに・・・同じ道を目指したいと願う者が・・・自然と寄ってくるのだよ。
大切なのは・・・お前が自分の道筋・・・つまり自然な愛というものを・・・日常の360°で忘れずに・・・日々活用していることだね。
360°とはつまり・・・どんな臭いものにフタをしないということだ。
それができた時に・・・お前は他人にも道筋を届ける準備ができたのだ。
もちろん・・・人には人の道筋があって・・・お前の歩むものとは違うことの方が多いだろう。
だが・・・それでいいのだ。
その違いを楽しむこと・・・それが人生なのだからな。」
うん、そうですね(^^)
時におせっかいだけでなく、違いを認め、互いの自由を大切にすることも愛だなぁって思います。
そこに自然で心地よい距離感が生まれるようにも感じています。
ただ、実践となるとなかなか難しさを感じることもあると思うんですよね。
この辺は微妙なラインだけど、今はあまり自分にその器があるとか頭で思わない方がいい気がします。
「自分には愛の器がある」とか思うのは、やっぱり愛の二元性を作っちゃう気もするので(´ω`)
あくまで現実的な人間関係での実感を通して、ちょっとずつ『そのままの自分にも愛はある』と確信を強めていけたらいいかなぁと、今は思っています。
あるじ「さよう・・・。
愛とは・・・実感と確信によって育っていくもの。
決意や意思・・・義務によっては・・・実は・・・さほど高められんのだよ。
人生とは・・・奥深いものだ。
その味わいは・・・いつも深いほどに愛(魂)に栄養を与える。
それを真正面から味わい・・・己の心が感じるままに歩むがよい。」
おお、カッコイイお言葉だなぁ∑(゚Д゚)
そうですね・・・不思議と人生をただ真っすぐに味わって生きることが、遠回りに見えて一番愛を高める方法の様な気がします。
あるじ、ありがとうございました(^^)
いやぁ、久しぶりにあるじに愛について真っすぐに語ってもらいましたね~。
やはり・・・愛は無理せず、自分の人生を大事に生きていく中で自然と開いていくものなのだなぁと思えました。
昔から宗教の教えなどで、愛は美徳や目指すべきものとされてきましたが・・・ここにきて、より無理のない自然体な愛という視点も大切になってきているのかもしれませんね。
よかったら、共にじっくりと自然な愛を育んでまいりましょうね(^^)
ご覧くださりまして、ありがとうございました。