変化したくない私に『上の人』はこう言った
先ほど、ようやく本日の仕事や用事が片付いて、さあ「ごきげんさんと私」を書こう、とPCの前に座ったが、BGMに今お気に入りのアルバムをかけたら、座ったままずっと踊ってしまって、気づけばもう23時……。
OH!NO!
こんな感じであっという間に、残りの人生も過ぎていってしまうのだろうか?
やっぱり~思うんだけど~、人生が80年~90年程度って短すぎると思う。
人生は35歳くらいの気力体力で、少なくとも150年以上は続かないと、やりたいことが終わらない。
人は学校いって卒業して、働き始めて家買って、その間に家族を作って子供を育てて、ひたすら家事して、35年ローンを返して、病気とお金の心配をしながら老いていくために生まれてくるわけではない。
「それが人生ってものだ」と仰る方もいると思うが、とりあえず私はそういう考え方ではない。やはり、人はこの世で「肉体を持ってできる」いろんな体験を、満喫するために生まれてくるのだと思う。
好きなことを書くことも大事だが、心地よい音楽を聴いて踊ることも大事。
瞑想やエネルギーワークも省けないし、旬の味覚を味わったり、花見や春の午睡や、新しいことを学ぶ時間も欠かせない……となると、本当に「1日24時間 × 一生涯80~90年程度」では短すぎるよ。
さて、ひとしきり「人生が短すぎる件」をぼやかせていただいたところで、本題に入ろう。
最近、私と『上の人』のやりとりを記録した「対話ノート」を眺めている。
私はもともと直感やシンクロニシティの形で、上からのメッセージを受け取っていたが、数年前にある先生から、自分のハイヤーセルフに問いかけて答えをもらう方法を教えてもらい、それからずっと「問いかけと受信」を日課にしてきた。
その「受信」を、割とすんなりできるようになったのは、それ以前に10年ほどエネルギーワークを続けてきて、"つながる素地” ができていたからだと先生に言われたが、私が暇さえあれば日に何度でも「ハイヤーセルフとつながって尋ねるワーク」をやる超熱心な生徒だったせいでもあると思う。
あの頃、私は新しい遊びを教わった子供のように、毎日ことあるごとにハイヤーセルフに話しかけていた。
一つ前の記事で引っ越しの話を書いたが、その時期の「対話ノート」を見返したところ私が、
「引っ越すのすっごく不安。東京、離れて本当に大丈夫?」
と、何度もハイヤーセルフに不安を訴えていて笑ってしまった。
それに対して『上の人』は、
「大丈夫」
と、一言だけ返す時もあれば、
「エゴが抵抗している。エゴは住み慣れた東京から離れるのが怖くて仕方がない。今の状態が最善ではなく、むしろ不快であったとしても、エゴは変化することの方が恐ろしい」
と、私が決めたはずの引っ越しを迷う理由を、別の角度から解説してくれたりして懇切丁寧。
しかし、引っ越しの日が近づいても私の不安は消えず、今度は「引っ越していいかどうか」ではなく「自分の受信能力の正確さ」を疑うようになった。
「私、ちゃんとハイヤーセルフのメッセージ受け取れてる?正しく聞けてる?自分の頭で答えをひねり出してない?」
自分で答えをひねり出しているのなら、答えを返すのもハイヤーセルフのふりをしたエゴだから、聞くだけ無駄じゃね?なんだけど、それでも聞いてしまう人間の哀しさよ。。。すると、この時の回答は、
「自分が感じていることが正しいかどうか、いちいち確認するのをやめなさい。いちいちジャッジしない。自分が感じていることを信頼しなさい」。
そ、そうですよねぇ……仰るとおりだと思います。。チーン。。。
字面にすると、キツく聞こえるが、実際の『上の人』のメッセージはとても率直でムダがなく温かい。
いつも、陽だまりにいる時のような温かなエネルギーと共にやってくる。だから、言葉はキッパリしてるけど、体感は柔らかくて、大きな安心感に抱かれる感じがあるのだ。
と、まあこんな感じで、数年前の引っ越しを控えた私は、盛大に変化に抵抗していた。
本当にいま読むと笑っちゃう。笑っちゃうくらい、同じことを手を変え品を変え、何度も何度も聞いていて、その必死さが滑稽でもあり、かわいくもあり、過去に戻って自分を抱きしめてあげたくなる(笑)。
『上の人』から見た私たち人間も、そんな感じなんだろうか?
ハイヤーセルフやスピリットガイドが私たち人間を「導く」という行為は、無尽蔵の慈愛と忍耐力を要する「子育て」なのかもしれない、と思った。