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『上の人』はごきげんさん
今の私は、全面的に『上の人』を頼り、親友とLINEで話すように、何かというと「ねえ、これ、どう思う?」「私はこう思うんだけど、これでいいかな?これってあってる?」と、いちいち『上』に確認している。
確認するだけでなく「これから高速乗りまーす。安全かつ、最もスムーズで快適に目的地に着くので、よろしくお願いしまーす」など、いろんなサポートもお願いしている。
私は左にも右にも分岐があるうえ交通量が多く、たまにしか走らないから一向に構造が覚えられない首都高が苦手で、天現寺に行くつもりが、気づいたら銀座の街中を走っていたり、上手く降りられずにぐるぐるドライブしてしまうことがままある。
だけど、『上の人』にサポートを頼んでおくと、なぜかちゃんと適切なタイミングで「今、右車線に入っておく方がいい」と思ったり、見落としがちな標識に気づけるので、本当に助かる。
指示を出すのが微妙に遅いナビより俄然、頼りになる。
例えば「おっと、右車線にスペースができたぞ。ここで右に移るべき?」と、『上』に問いかけたときに、ハートの内側から「OK♪」と、楽し気なエネルギーが湧いてきたら、それは「行け!」なのだ――そして間もなく、思っていたよりずっと早く右側への分岐がやってくる。
この声なき直感に従うと、頭であーでもないこーでもないと考えながら生きるより、はるかに日々も人生もラクでスムーズだ。
頭にすべてを委ねる生き方が、時刻表と道路地図とコンパスを手に(つまりスマホもタブレットもカーナビもない状態で)各地を巡る旅だとしたら、『上』から来る直感に従う生き方は最新型のカーナビやスマホを手に世界を巡る旅。
どちらがラクかは、比べるべくもないと思う。
ただ、カーナビやスマホの地図アプリを利用するには、電波を受信しなくてはいけない。端末の受信機能が壊れていたり、OFFになっていたら使えない。
それと同じで『上』からの直感を受信するためには、自分が「受信できる状態」でいることが大事で、はなから直感を否定したり、自分にはそんな能力は無いと決めつけていれば……その人には、無理だ。
なので、まずは自分にも専属のガイドがいて、直感という素晴らしく便利でありがたいアプリが内蔵されていることを信じることが、『上の人』とつながる第一歩なんだと思う。
『上の人』は危険が差し迫っているときや、曲がるべき地点を曲がらずに「この先、崖。立ち入り禁止」と書いてある道をズンズン進んでいたりすると、緊急警報的なメッセージを送ってくることがあって、それはとても分かりやすいし、高次の世界を一瞥しちゃった高揚感があるけれど、そんなに差し迫る前に気づいてもいいよね?
というか私は、もっとさっさと気づけば良かった、と思っている(笑)。
すんでのところで危険を回避したり、ハラハラする紆余曲折を経て好ましい場所にたどり着く……みたいな体験は、ドラマチックだけど疲れる。
そんなアップダウンは映画やVR体験の中だけでいいのだ。
人生はただただスイートで穏やかに、喜びの中で続いたっていい。
エゴ(自我)はやたらと人生を波乱万丈にしたがるけれど、『上の人』の世界はとても穏やかで朗らかで、ハミングしたくなるほどご機嫌なムードに満ちているようだ。
こちらがどんなに切羽詰まった、危機的な状況——例えば、レンタカーを返して飛行機に乗らなきゃいけないのに、分岐を間違えて方角違いなICで降りてしまい、どう考えても時間が足りないのに、ナビが古くてバイパスルートを表示してくれないとか――で相談しても、あちらは慌てることがない。
「まあ、深呼吸して、歌でも歌いなさい」的な、拍子抜けするほど軽いメッセージが返ってくる。
でも、勧められたとおりに呼吸を整え、お気に入りの歌を流して歌いながら走り始めたところ、だんだん大丈夫な気がしてきて頭が冴え、直感的に「ナビの指示とは違うけど、ここを曲がる方が近道だよね?」と最短ルートが次々に分かり、ナビの予定到着時刻の15分前に着いて、最終的に空港でおみやげまで買えちゃったりするのだ。はっはっは!
というわけで、私の『上の人』の別名は『ごきげんさん』。
いつも、ごきげんだし、自分がご機嫌でいるとつながることができるので、そう呼んでいる。