たとえハンデがあっても|當眞有佳梨さん【前編】
はいたい!かなこです!
皆さんは、好きなことがありますか?
好きなことをやり続けいても時には挫折してしまったり、飽きて辞めてしまったりすることがあると思います。
好きなことをやり続けることって思っているより簡単ではないですよね。
今回は、沖縄県立芸術大学に通う1人の女性にインタビューさせていただきました。
実は、彼女とは昔からの知り合いで、出会いは私が6歳頃だったと思います。私は3歳半頃からずっと琉球舞踊をベースとした創作舞踊集団に所属していて、彼女は私達のステージをよく観に来てくれていた女性です!
彼女も幼い頃から琉球芸能に触れ、現在では沖縄三線の教師免許を取得しています。
彼女は、生まれつき足が不自由で、何度も手術を受けてきたそうです。
沢山の困難を乗り越え、常に挑戦をし続けている彼女のお話は、沢山の方に勇気を与えられると思ったので、今回記事にさせていただきました!
前編では、沖縄三線と出会ったきっかけや今までの経歴についてお話を聴きました!
ぜひ最後まで読んでいただきたいです!
ーー本日は宜しくお願いします!早速ですが、小学三年生から沖縄三線を習い始めたとお聞きしましたが、始めたきっかけはなんですか?
それこそきっかけは、偶然ショッピングセンターでかなこさんが所属している「舞踊集団 花やから」の舞台を観たことがきっかけです!私と同じぐらいの年代の子が輝いているのをみて、私もやってみたいと思ったんです!
ーーええ!びっくり!嬉しいお言葉です!ありがとうございます!
でも、私は生まれつき足が不自由でした。周りからも「踊りはできないよ」と言われいて、当時とても悔しい思いをしました。その時に、お婆ちゃんが「踊りはどうしてもできないけど、三線なら座ってでもできるよ!出来ることからやってみよう。」と言ってくれたことがきっかけで沖縄三線を習い始めました。
習い始めた当初は、左半身が麻痺していて左手の感覚が鈍くて三線の弦を押さえることも出来なかったんですよ。
上達も周りの人よりも遅かったんですが、「すぐに諦めないで。やればできるから。」と先生がとても熱心に指導してくれました。
最初は沖縄民謡から学び始めましたが、三線の研究所で琉球古典音楽も学べたので、やってみようかなと挑戦して、中学三年生の時に琉球古典音楽の新人賞を受けました!琉球古典音楽を学んでいなかったら、芸術大学を目指してなかったと思います!
ーー琉球古典音楽と沖縄民謡の違いはなんですか?
琉球王朝時代に宮廷音楽として演奏されていたのが琉球古典音楽、古典に対して、一般庶民の間で生まれ広まったものが沖縄民謡です!
ーーなるほど。同じ沖縄音楽でも少し違うんですね。
有佳梨さんはこれまで数々のコンクールを受けてきたと思いますが、コンクールとはどういったものですか?
コンクールは沖縄の新聞社や各芸能団体が主催する認定制度で、新人賞、優秀賞、最高賞などと段階があり、段階に応じて決められた課題曲を審査委員の前で独唱し、一定の基準に達したら合格できる試験です!
ーー今までで沖縄三線のコンクール以外に、何かやってきた活動はありますか?
私は個人でステージに立つ活動はしたことがないんですが、小さい頃から研究所の先生と一緒に施設をまわって慰問公演もしたり、ボランティア活動を行なっています!
ーー素敵な活動ですね!有佳梨さんは自身の体調などで大変なことが沢山あったと思いますが、それでもずっと三線を続けてきた理由を知りたいです!
私にはハンデがあって、人前に出るためにはプラスアルファを付けるために一つの特技
が必要だと思っています。三線を通して「自分でもできることがある」と思っているのが続けている理由です。三線をやっていることによって、人との繋がりや色々な経験ができていますし、逆にもし三線をやっていなかったら、貴重な経験をできていなかったと思います。"芸は身を助ける"という言葉は確かだなと実感しています。自分に自信をつけてくれたのが三線です!
ーーハンデがあったからこそ沖縄三線と出会い、人との繋がりができたとポジティブに捉えていらっしゃるんですね!
前編はここまでです!
後編では、有佳梨さんが在学している沖縄県立芸術大学について色々お聞きしたいと思います!