こころ、ときめく方へ。
中学校の先生に、10年ぶりくらいに会った
たった一年しかお世話になっていないのだけれど、
僕にその人は、こころときめく方へ一歩踏み出す
その楽しさを教えてくれた。
小学生の頃の僕は、クラスの端にいた。
そして、適当に過ごしていた。
家に帰ってはゲーム。外に出ては野球。
来る日も来る日も、心躍る日々はやってこなかった。
そんなある日。転校をし、そして中学生になろうとした時だった。
中学校に小6の私は招かれて、聞かされたのは『青葉の唱』
圧倒的中学生のパワーを全身で浴びる。
中学生のすごさを知る。
春。入学。
学ランに身をつつみ、出会うはその先生。
昨日、友は言った。
あの先生に会うと、間違った方向に揺らぎつつある自分が、グッと正される。そうあるべきだよなって方に体が戻る。
その気持ち、すごくわかる。
日々、あきらめと失望の連続。怠惰と欲望にまみれた日々は、自分を自分の理想から引き剥がす。
僕らが言い訳片手にブレる一方、あの人はぶれない。
揺らがない。
ある日、先生は言った。球場を揺らすぞ。
だから、僕らは声を振り絞った。球場を揺らすために。
誰にも、どこにも負けない応援を届けるために。
実際に揺れたのかはわからない。
でも、そこにはブレない何かがあった。
合唱祭もそうだった。体育祭も。毎日も。
僕らと先生は日誌でつながっていた。
そして今思えば、毎日発行された手紙は、先生の日誌だった。
学生がやるなら自分もやる。
そこには血の通った、人間関係があった。
決して上っ面ではない。泥臭い、でも熱く、さわやかな日々だった。
正直、疲れた。それまでの自分とのギャップに。
でも終わってみて、あれほど気持ちよい時間はなかった。
あの日以来。
僕は、こころときめく方へ、一歩踏み出すワクワクが止まらない。
いや、止められない。
でもブレる。マイナスの嵐に絡めとられそうになる。
揺らぐ。楽な方に、社会とはかかわりのない方に。
意味なんてないかもしれない。自分が必死にやるから、何になる。
先生と別れてから移った土地で、私はあきらめを重ねた。
チーム一つ変えられない。大切な友人ひとり守れない。
でも、止まらない。心ときめく方へ。その答えがわからない方へ。
時に、ふと一歩踏み出す。
落ち込み、あきらめ、堕落した。
落ちるところまで、多分落ちた。
あとは楽だった。生きるか、死ぬか、這い上がるか。
一歩ずつ、思い通りにいかない自分を嫌いになりながら、でも受け入れながら、歩いてきた。
そして、今ここにいる。
10年たって、やっと少しは胸を張ってあの人に会える気がした。
やっぱり、あの人はすごかった。
太陽というほど、ギラギラはしていない。
でも、すごい人。 まじで、かっこいい。
どんなバッターもねじ伏せる、ド真ん中全力ストレートみたいな人。
あの人と共にあれた私たちは、ただただ幸せだと思う。