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1.渋谷暴動事件で懲役20年・大坂正明さんと私の関係

私は北海道熊石町(現在は八雲町)の生まれです。旧姓は大坂。19歳の時に両親が離婚し、名字が佐藤に変わりました。

幼い頃、町中のお店や掲示板など、至る所に貼られていた全国指名手配犯のポスター。その白黒写真には鋭い目つきの男――「大坂正明」という名前が書かれていました。その名前が、私や父の名前と似ていることに、不思議な縁を感じたものです。

小学校3~4年生の頃、突然同級生から「お前の親戚は犯罪者だ」とからかわれました。最初は名前が似ていることを理由にした悪ふざけだと思っていましたが、家に帰って父に話すと、それが真実を含んでいると知らされました。

父はこう語りました。「正明は俺の従兄弟だ」「帯広から千葉の大学に進学し、ベトナム戦争に反対する学生運動に参加していた」「事件が起きる前に、熊石に遊びに来たことがある」「賢い男で、爆弾を作る技術にも長けていたらしい」「機動隊員が死んだ事件の犯人にされ、逃亡しているが、今では北朝鮮に渡り、すでに亡くなっているのではないか」と。淡々と話す父でしたが、幼い私にはどこか非現実的で、理解しきれないものでもありました。

その後、私は「犯罪者の親戚」という烙印を押され、肩身の狭い思いをすることが何度かありました。しかし、それ以上に芽生えたのは、「この時代に、何が起きていたのか?」という疑問でした。予備校時代、かつて海軍に所属し、回天の生き残りでもあった英語講師が、講義の最中に戦争や学生運動について語るのを聞いて、私の中でこの問いはさらに深まりました。肝心の大学受験には失敗しましたが、その時の経験が私の考え方に深い影響を与えたのは間違いありません。

祖父は戦争で肩に銃槍を受けながらも生還しました。父の従兄弟である正明さんは、戦争を止めるために学生運動に命を懸けました。しかし私は、何不自由なく平和な時代を生きている。この背景の違いを思うとき、胸の奥にどうしようもない鬱屈とした感情が湧き上がりました。

その後、立花隆氏の『中核VS革マル』を読み、学生運動を題材にした映画を数本観ました。しかし、「内ゲバ」という言葉に象徴される彼らの行動には、どうしても共感できませんでした。そして、やはり正明さんも本当に人を殺したのだろうか――そんな疑念が心をよぎりました。さらに、インターネットで中核派がいまだに活動を続けていることを知った時、その存在に恐怖を感じざるを得ませんでした。

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