マシュマロ課題 チャレンジ課題10(公開13作品目)
『変わった子と友達になってしまった』
うちの中学は、割と生徒数が多い。少子化の影響でかつてと比べればかなり減ったらしいけれど、それでも一学年に五クラスもあると、同じ中学だからといって全員の名前を覚えることは困難だ。
なんてことない市立中学で、不良っぽい子もいれば、真面目な優等生もいる。が、大した事件は起こらない。それほど厳しい中学でもないので、皆何となくガス抜きできているのだろう。
部活は自由。ちなみに私は陸上部だ。体育会系とはいえ、チームスポーツと比べると上下関係は緩め。女子は少数派なので、同性の先輩に可愛がられている。
給食はなくてお弁当持参。お弁当を持って来られない生徒のために購買ではパンが売られている。
そんな感じなので、二年の途中で突然の出会いがあるなんて全く予想していなかった。
二学期始めの席替えで隣の席になった、都築見通子、「つづきみつこ」と読むらしい。特に目立つ子でもなく、たまに朝早く教室で見かけるので覚えた程度だった。一学期の間、ほとんど意識に上ることもなかったけれども、これがかなり変わった子だったのだ。
朝練を終えて教室に入り、「おはよう」と声を掛けると、馴染みの女子たちが口々に「おはよう」と答えてくれる。クラス内には何となく気の合う仲間同士のグループができていて、休み時間などはそれぞれ固まって雑談をするのが常だ。
私の机まで行くと、隣で見通子がノートにシャーペンを走らせている。
ノートにはびっしりと、一限目の古文が書き写されている。よく見ると、本文は一行置きに書いてあって、隣の行に見通子による現代語訳が書いてあるのが分かる。さらに見ると、ノートの枠外には見通子による脚注が書かれている。文法の解説らしきことが書いてあることもあれば、たまに小さく「萌え」とか「狂気」とか見える。古文の何が萌えなのか、私にはさっぱり分からない。
恐るべきことに、見通子は登校してから授業が始まるまでの間、ずっとノートを書いているようだ。国語、特に古文になると熱が入るらしく、たまに朝練前から教室で机に張り付いているのを見かける。
授業が始まると、彼女は真剣そのものだ。大体どの授業も真剣だが、国語と社会では特に動きが激しい。先生が言うより先に教科書や資料集のページを繰り始めるし、ノートはどんどん真っ黒になっていく。数学のときは、授業で最初に解説を聞いた後は、ずっと問題を解いている。授業が終わるまでには黒板に書かれた問題よりかなり先までやっているようだ。あの分だと、宿題に出る範囲は授業中に終わらせているんじゃないかな。
そして、一限目が終わると、見通子はすぐさま弁当を取り出し、あっという間に平らげる。あまりに早いので、隣の席でなければ早弁に気付かなかったかもしれない。一限目に食べてしまって昼はどうするのかというと、パンを取り出して食べている。これも驚いたのだが、見通子が食べているのは前の日に買ったもののようだ。購買が空いた頃に次の日の分を買いに行くらしい。なるほど、昼休みすぐは混雑するから、よく考えれば合理的かもしれない。人気の惣菜パンは売り切れているが、日持ちのするタイプのパンがいつも残っているからそれで済ませているようだ。
見通子が購買に向かうときには、大抵本を一冊持って行く。教室に帰ってくるときには、パンと、出るときに持っていたのと違う本を持っている。図書館で本を返却してまた別のを借りているようだ。とすると、大体一日に一冊読み終えているようだが……随分読むペースが早くないだろうか。
不思議と、彼女の生態(?)に気付いている人は、あまりいないようだ。何となく私だけの秘密のように思えて、他の友達に話したりせず密かに観察している。
朝早くに教室で二人だけのときは、「おはよう」と声をかける。そうすると、見通子はノートから顔を上げて「おはよう」と返し、またすぐノートに向かってしまう。人見知りなのか、人に関心がないのか、その辺はよく分からない。ただ、見通子の世界を邪魔してはいけないような気がして、あまり踏み込めないでいた。
ある日、朝練でグラウンドを走っていると、見慣れないジャージ姿の女子が並走しているのに気が付いた。
「え、見通子?」
思わず普段呼びもしない下の名で呼んでしまい、狼狽する。見通子は表情を変えずこちらを一瞥した。あいにく走るペースが違いすぎて、見通子の姿はすぐ斜め後ろに消えてしまった。見通子は周回遅れでこちらとほぼ同じ時間を走り終えると、一人校舎に戻って行った。
「あれ、誰?」
先輩が尋ねてくる。
「あ、うちのクラスの都築っていう子で」
「ふーん。運動得意じゃなさそうだったけど、なんで走ってるんだろう」
「さあ……」
教室に戻ると、見通子はまたノートに何かを書き込んでいた。
「おはよう、都築さん」
「おはよう」
今朝のことを聞いてみたかったが、見通子はまた挨拶だけ返して下を向いてしまった。一度聞きそびれると、その後も何となく聞きづらくなってしまう。その後もしばらく、見通子が朝走る日が続いた。
十一月は文化祭。この日ばかりは文化部の方が多少賑やかになる。美術室には中学生離れした力作が掲げられたり、書道部が読めない文字を綴ったり。しかしやはり、注目は体育館のステージで披露される音楽と演劇。演劇部は今年になってから新設されたらしい。
吹奏楽部の合奏に聴き入った後、演劇部の舞台が開幕した。
そこに立っていたのは、見通子だった。
マイクなしで体育館の奥まで朗々と響く声、緩急のある動きから伝えられる感情の動き、普段の見通子とは別人のような存在感に圧倒された。
主役の見通子はずっと舞台の上で、次々に出てくる他の登場人物との会話でストーリーが進む筋書きだった。一時間弱はあろうかという上演の間、客席は気圧されたようにしんと静まり返っていた。そして、幕が降りると割れんばかりの拍手が鳴り響いた。
「結構凄かったね」「うちの演劇部ってあんなんだったんだ」「てか主役の人、誰?どこのクラスだろ」
体育館を出てからも、同級生たちが興奮気味に話している。あれが見通子だと気付いてる人は私の他にいないらしい。
翌朝、朝練前の教室で、一人ノートを広げている見通子に声を掛けた。
「おはよう。都築さん、昨日の劇、凄かったね」
「……ありがとう」
見通子は驚いたように目を丸くしてこちらを見つめた。
「誰も感想くれないから、いまいちだったのかと思ってた」
「え、めちゃくちゃ盛り上がってたよ。ただその……都築さんだって気付いた人が、多分あんまりいないのかも」
「なるほど、そういうことか。それなら、まあ成功だったかな」
「もしかして、最近走ってたのも舞台のため?」
「そう。筋力がないと、声が出ないから」
二、三言交わした後、ふと見通子が言った。
「ねえ……“見通子“でいいよ。呼び方。この前そう呼んだでしょ」
思わず顔が熱くなった。
「あ……あのときは、ごめん。じゃあ、見通子。ありがと」
「朝練頑張って、有希」
笑っているのか否か分からないくらいの薄い表情で、ひらひらと手を振ると、また見通子はノートに戻ってしまった。
これからも見通子は見通子の世界を生きて行きそうだけれど、少しは距離が縮まっただろうか。やけに早くなる鼓動をごまかすように、私はグラウンドまで全力で走った。