自己変容への旅~成長の道
さてさて、私自身のセルフヒーリング。水面下で引き続き、継続中。セルフと言いつつ、他者に手伝ってもらっていたわけですが… そうですね、なんかとんでもないことになっていたなあ、と。ここに全部書くには、もろ電波な話ばかりなので、書けないことも多いのですが。
でもって、理解出来たこと。これまでの人生、すなわち前世・過去生のことですね。紀元前紀元後とで分けてしまうと、紀元後の私は圧倒的に女性であった人生が多いのですが、紀元前の私は男性の方が割合として多かったんだなあって。そうですね、紀元後が女性8割、男性2割、紀元前が男性7割、女性3割って感じかな。もちろん、忘れているというか、たくさん経験した人生の中で埋没してしまって思い出せない人生もたくさんあります。印象に残ってないというのかなぁ。
そして、男性であった時に創ったエレメンタルで、後の人生に悪影響を与えることになったものは、思考感情型のものが多くてノエティカル界にたくさん存在していて、女性であった時に創った後の人生に悪影響を与えることになったエレメンタルは、サイキカル界に多く存在していて、感情思考型のものが多かったです。どうも、私の場合、男性であった時に頭でっかちだったというか、男性脳でありすぎたと言いますか…思考体ばっか発達させていたようで、バランスを取るため(感情体を成長させるため)に女性である人生を多く選択しているようですね。直近に関しては特に。
そこで思い出すのが占星学におけるネイタルチャート(出生天宮図)。私は月が魚座なので、感情(共感性)が欠損しているのですが、それは学びがそこにあるという意味でもあるので、やっぱりなーって感じ。(ウォータートラインが蠍座と蟹座と魚座にあったり、太陽も月もASCもウォーターサインで、あきらかに女性サインが多いのですが、射手座オーバーロードでMCもここですから普段は射手座が強くて突っ走ってます(ミュータブル)。そして風は一つもなく、水星はノーアスペクト。見た目は水で優柔不断なのに、行動は火で直情ストレート型って奴ですね)
男性だった時の自分は、なんていうのかなあ…偏屈で頑固で視野が狭くて、一つの見方、考え方に囚われている隠者みたいな根暗研究者タイプか、猪突猛進で周囲が見えない熱血豪傑タイプ、もしくは流浪の放浪者みたいな自由人みたいな(ようするにヘタレ)、今の私からしたら「あーあ」って残念に思う人物が多かったり。なんかトホホ。でも確実に今の性格、今の私の中に彼らの名残というか痕跡があるなーって、それが理解できるだけに脱力してしまいます。ええ、これって言うことは何も成し遂げてないんですよね。いやさ、過去に期待しても仕方ないけど。
そして、トータルで言うと、結構長生きしているわけですけど… 意外と一つの道だけ貫いているというか、たまに別の人生を生きることはあっても、大体において、いつも今みたいな業種の仕事をしていたんですね。うーん、変化球が少ないって言うのか、何て言っていいのか。ある意味、つまらんかもっっ 普通の平凡な主婦とか、単なる村娘とか、機織り娘とか、単なる船乗りとか、傭兵とか、そういう人生もありましたけれど。
感情的なトラウマってのは、女性の時に創られていることが多くて、男性の時のものと質が違うのが面白いなあって思います。男性だった時は信念とか、自説や生き方に対するこだわりとか、任務遂行に関してのことと言うのかなあ…仕事に関するトラウマと思考のクセが生まれてましたね。
同じ罪悪感でも、男性の時に創った罪悪感って女性の時のと質がまったく違う。そのことを知ることが出来たわけですが、新しい認識でございました。
でもって、恋愛に関するトラウマというかエレメンタルは女性の時にはあるけど、男性だった時って、私…そっち方面は鈍感て言うのかなあ、ダメな奴だったみたいですねw いやさ結婚や恋愛も、男性の時もしてたようですが、お盛んなタイプでは無かった模様。結婚したら奥さんだけ派で。シャーマンだとか聖職者的な仕事をすることが多かったから、独身であった人生の方がわりと多いんですけどね。これは男女共の人生を通して、そういう傾向。
あと、今回のことでサイコノエティカル体が意外と成長しているのが解って、ホッとしました。けれど、まったく使いこなせてないなあ。それを活かせていないと言うのか、なんか溜息。まあ、だからこそ、100%な状態でないのに、それでもそこそこ何とか出来ていたのだなって、はい(激謎)。
だとしたら、100%の状態にするにはどうしたらいいのかなってのは、未だに模索中です。ひたすら瞑想と内省と修行、自己鍛錬の日々かなん。
※この場合の100%の状態って、脳を全部使いこなすことに似ていますかね。
そうですね。過去生から今生において、創ったエレメンタルの数って本当に半端ないですよね。今回私が掃除に取り組んでいるのは、自分が創ってきたものばかりではないのですが、とにかく余計なものを処分するのに越したことはなく、今やらないでどうするのって言うようなものが多数ありました。というか…逆にどうして今まで放置していたの!と言うものから、こんなものを抱えていたことにどうして気が付かなかったの? とか、こんな状態でどうして今までこれが出来ていたのか?というようなものとか… この書き方だと読んでいる人には解らないですよねww
とにもかくにも、罪悪感は人を蝕むもので、そのやり方、アプローチはどのようなものでもいいから、セルフイメージを高める、安定させるというのはとても大切なことだと痛感します。
そして、エレメンタルは色んな階層に分布しているので、一度で終わるはずがないのは当然だなあ、とも。そして、サイキカル界だけでなくて、ノエティカル界にも存在するわけですし、また、サイコーノエティカル体も完全体になってない以上は傷つき、ダメージを受けるものであると、今回知ることになりました。
そういう意味で、前世療法や過去生ヒーリング、チャクラヒーリングや潜在意識の書き換えという言葉で表すと、とても単純でサクッと終わってしまうようなものにも思えるけれど(結局、ぜんぶ同じ事柄にアプローチしているので)、膨大ないくつもの人生で創り上げたすべてのデータの整理整頓、手つかずの未開のジャングルを開拓・整地して、管理できるところまで仕上げると言うのは、とてつもない時間のかかることなのですね。一つの蔵の中にある荷物をどうこうするってレベルではないです。何千、何万ともある蔵の中の荷物の整理。何が入っているのかを調べて、処分するものと再利用するもの、残すものを取捨選択、選別して、目録創って、管理表作って、処分して、再度入れ直すみたいな作業。果てしなく気が遠くなります。
何処までやるか、手を付けるのかって言うと、その人がどのレベルまでの整理整頓を望んでいるのか、なんですけどね。必然的にやらなくてはいけないところ、手を入れなくてはいけないとこまで誘導されることも多々。
ただ、こういうテクニック…専門的な知識や技術を有した他者を介したアプローチ(前世療法、過去生ヒーリング、ヒプノセラピー、チャクラヒーリング、潜在意識の書き換え、内省や自己を見つめる行や修養等)、これらはそういうのに特化した方法だから、人生においてのそのような取り組みを、ものすごく短縮している方法なわけです。時短しているっていうのかな。ズルしているとも言えますがっっっ 何十回、何回もの人生で学んだり、学びの中で自力で気づくべきことをそのような機会を通して知るわけですから、お金が掛かってしまうのは当然であるとも言えますね。そこだけは理解してもらいたいかな。もちろん、知りたいからと言って、すべてを知ることが出来るわけじゃない。誰にでも適切な時期というのがあるので。
いつだって、自分の準備が出来た時にだけ、その道が開かれるということです。それを手伝ってくれる人との出会いや縁にしてもそうです。情報や縁に出合えないとするならば、それはその人の準備が整っていないだけです。
そして、あと一歩。もうちょっと。これ以上は自分の手で扉を開かないといけないなあ…ってところにいたりします。最後のピースが収まるところ、それが収まる瞬間を楽しみに待つことといたしますか…もちろん、日々の内省、精神の鍛練、日常を丁寧に生きること、仕事に真摯に取り組むことなど含めて。
虹の橋にある黄金の壺を掘り当てるのは、いつになるのかなあ…