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以前のblogでも何度か取り上げたことのあるテーマになります。たまたま私の周囲(お客さんその他)のケース、その方たちの問題の原因が偶然にもそのような類似点があるというだけで、すべての事例に当てはまるものではないと最初に断っておきます。

少なくとも私が仕事上で相談に乗ったいくつかのケース、知人もそうですが、やはり不登校のお子さん、そしてお子さんの鬱とか、適応障害と言うか出社恐怖症みたいなもので会社行けません、てお子さんに悩まれるケースって、原因がほぼお母さんにあるのね。母子癒着というのかな、完全に共依存の関係なんですよ。お子さんも自立していないし、お母さんの側も子供になんでも与えようと頑張り過ぎている。

そしてもう一つ、お母さんの世界が狭いこと。とはいうものの、非社交的というのではないのです。友人がいないわけではないし、他人との関わり合いがないわけではない。けれど、地元密着型の閉鎖的な付き合いに偏っていたり、お商売や仕事をしていても、その上での付き合いのみで、心が外の世界に開いていないんですよね。離婚してシングルな人も多いんだけど、男なんてこりごりとばかりに、女性としての人生を楽しめてはいない。言い方悪いけど、女を捨てているというか、女性としての自分を飾ったり尊重する生き方を出来てないのね。常に周囲(他人)のことばかり、子供の機嫌ばかり伺って、構いすぎている。子供第一主義すぎるっていいますか。

結婚してても、家庭内別居というか、まずうまくいっていない。夫婦のバランス、父親(父性と男性像)と母親(母性と女性像)という、それぞれの性別の役割分担に欠けがあるんですね。

あともう一つ嫌な言い方をすると閉鎖的で排他的な人が多い。他人に対して恐怖心を抱いていて、結果その母親の他者に対する怖れを体現してくれているのが、お子さんであるというわけ。

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そりゃ、親となったからには、子供のことを優先にするのは義務であり責任でもあるんですけどね。親子の仲がいいのもとっても良いこと。

さて、そこに加えて皆さま、コントロール欲求というのをお持ちなんですよね。自分がそうだって気が付いていない人も多いんですけど、物事をコントロールしたがるの。自分が望む形に他人を仕立てたいという欲求ね、支配欲。でも、コントロール欲求のある人って得てして、自分の問題や人生はコントロールできていないの。自分の抱えている問題をコントロールできていないのにお子さんも含めて他人の問題をコントロールしようとするところ、お子さんからしたら、自分のお母さんのそういう矛盾は全部透けて見えているのね。その矛盾を現実として表してくれているのが、お子さんに現れた問題の形なのね。

そして、上記のようなこと「お子さんでなくて、問題はあなた自身にありますよ」って伝えたとき、皆さん、自分が原因とは思いたくないわけだから、自分に問題があることを頑なに認めたがらないんですよ。

何かね、別のもののせいにしたがるの。霊とか生霊とか他人の呪い、先祖や土地の障りとか、方位とか家相とか、過去生とか運気とか災厄とか、とにかく外部のもののせいにしたい。そして「これをしたなら即解決」っていう、確実に一発で子供が学校に行くようになる方法をね、知りたい、教えて下さいって言うの。

でも、違う。そんな魔法はない。

だから、そのように物事を他力本願あるいは表面的に捉えて浅く考えてしまう、あなた自身の問題なんですよって話。あなたが女郎蜘蛛のように糸を出して自分の手の範囲の中に納まる巣の中に、子供も他人も何でも絡めて押し込めてしまう視野の狭さと、そのような自分が与えた小さくて狭い世界の中で生きることしか許してこなかった、手本として示してこなかった結果ですよ、って、はい。いやさ、それを言ってしまうと、おしまいというか、逆切れされて怒ってしまわれますが。

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数年前になりますけど、子供が学校行かなくなってしまった。どうしたら学校に行けるようになりますか? って、とある人の相談を受けました。でも、一番の問題は母子癒着の問題と共依存だし、何よりもお母さん自身が自分の生きる力を取り戻して、生活を立て直して変わって行かないといけない。自分が内包する問題と向き合わないことには…だったんですね。

物が多くて捨てられない片付けられない、ゴミ屋敷までは行かないけど、それに近い状態で。だから、まず家の整理整頓ですよ。そこから始めましょう、物を整理しながら、過去や心の整理もしないと始まらないから。業者でもいいし、誰か心赦せる人に手伝ってもらってでもいいから、それをしてくださいって、それがまず最初に手渡した処方箋。あとはその片付けをする気力を補充すること、行動をサポートするための施療から。

確かに浮遊霊はいくつかついていたけれども、その場で祓ったからって、そんな心の状態、弱い精神のままではまた何処かで拾ってしまう。なので霊のせいにしても意味はないし、一度ですべてを解決ってわけにはいかない。

でもね、その人の欲しい言葉はたった一言「子供が学校に行くようになる方法」で、実に多くの人々が彼女と同じで、私のような職業の人間からはそうした魔法の言葉、解決方法を教えてもらえることを期待しているのね。悲しいかな、ほとんどの人が私らのような職業の人間を利用するとき、自分の望みを叶える方法を教えてもらうことを目的としているのです。人知を超えた存在と繋がれる人たちなら、その魔法を教えてくれると誤解し、思い込んでる。

そして彼女の目的はただ一つ「子供を学校に行くようにして下さい」なんですよね。その方法が聞きたいのであって、それ以外は聞きたくないし、聞く価値のない情報としてスルーなさる。大抵の人がそうですね。

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で、上記の方は私がよくいく場所のオーナーさんの昔からの知人の方だったのですが、オーナーさん自身も似たような問題を抱えていらっしゃったりする。その方は上記の方を昔からよくご存じだし、お子さんとも何度か会ったことがあるので、背景を知っていることもあって、原因をたやすく推察できるのです。そう彼女は言います。

「お金はあるんだから、タワマンに引っ越しして、外車を購入して、ブランド品を買ってあげたら、お子さんは高校に行けるようになりますよ。今のままだとお友達も家に呼べないわけですし」

そうですね。確かに、お金持ちの子女が通うような学校で、ブランド品身に着けて、大きな家に住んで、外車に乗って登校して、今度の休みではどこどこの海外に避暑に行ったのだのっみたいなとこで、浮いてしまうというか恥ずかしいということで行けなくなってしまった…それはそうですね(「花より男子」を思い出してしまう)。不登校のきっかけとしては確かにそれです。お子さんが学校に行きたくなくなった理由・原因を現実的に解決して、お子さんの杞憂を取り除くというのならば、それが正解でしょう。

でもね、それじゃ根本的な解決にならないんですよ。

いかにも、幼稚園や小学校で、みんなが最新のゲーム機買ってもらって自慢している中、自分だけが買ってもらえなくて仲間外れになってしまうから、だから買い与えるって、そんな発想。その考えが子供をダメにしているんじゃないですか。そういったところで行けなくなる学校なら、行かない方がいいんですよ。そもそも行くべきではないというのかな。そして、それらを与えれば、親がそうした環境やモノをきちんと提供すれば子供が学校に行けると考えて、それをしようとする親にも問題大ありですって。

そんなんじゃ、すぐに新たな問題が派生してしまいます。付け焼刃でしかないですからね。

望みを叶えて、お屋敷みたいな豪邸やタワマンの高層階に住んで、友達をアフタヌーンティーに招待して、ブランド身に着けて、運転手付きのベンツで通学して、海外旅行のリア充写真をSNSにUPして友達に自慢できるようになって…それで意気揚々と学校に行けるようになったって、それはその子のためにも、親のためにも、何にもなりゃしない。問題のすり替えでしかないんです。短絡的な解決法です。

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子供の欲求を満たし、願いを叶えるのが親の役目ではないです。子供が一人の人間として自立した力を養い、親や守るべき人がいなくなって、たった一人になってしまったとしても、世間の荒波の中で生きていけるだけのスキルやノウハウを与えること、それが親の役目というものでしょう。

我慢させることを覚えさせずに、常に子供の機嫌を取って、子供の欲望や願望を最大限叶えることを優先して、そのことばかり重視してきた結果、子供の独立心や創造性、生きる力を奪ってきた。そういう親が多いなあ、って思います。

いささか、ネグレクト気味(放任主義とも言いますね)な毒親の元で育った子供の方が、生きる力が強かったりするなと思ったりします。手をかけすぎると、植物も作物も軟弱になり、枯れてしまう。動物の世界もそうです。まことに愛情の塩梅というのは難しいものです。愛情の意味をはき違えている人が多いのは男女間、家族間の間だけでなくて、人類全体の問題とも言えますね。

でも、母親自身が愛情足りてない人たちなんですよね。ぶっちゃけ。自分を十分に愛せてないもの。与えることでそれらを埋め合わせようと、自分に与えられようとしている印象もあるかな。いやさ、結局代償行為でしかないんですけどね。

愛情過多な人たちって、とどのつもりが、相手が本当に欲しいものがわかってないというかわかろうとしていないというか、相手にとって必要なことは何であるのか、そこに考えが至らない人が圧倒的ですね。「よかれと思って」のよかれの部分がニーズを考えない先走りであることが多い。そのくせ、自分の好意を受け取ってもらえないことに対して、傷ついてもしまう。ぶっちゃけ、それは愛でもなんでもなかったり。相手に喜んでもらいたいのではなく、相手を喜ばせることのできる自分が好きなだけだから。残念なことに拒絶すると怒りを表す人は多いですよね。

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少し話変わりますが、霊能者の木村藤子さんのこと。私はお会いしたことないし、テレビで拝見したことがあるだけですが、"うわさ"を聞くことがたまにあります。彼女のところに行ったとあるご夫婦が、行きのタクシーで運転手さんに「止めた方がいい」と言われたものの、何しろわざわざ飛行機の距離を最後の頼みと思ってきたのだからと、そのまま伺ったらしいのですね。するとやはり、厳しいことを言われて(ほとんどアドバイスらしいアドバイスをもらえなかったとか)、ものの5分もたたないうちに泣きながら帰りのタクシーに乗ったらしいのです。タクシーの運転手さんは、「だから言ったでしょ」と。他にもそういう方が結構いるらしいと。

この話だけ聞くと、まるで彼女が悪徳のようにも聞こえますが。果たしてそうでしょうか。一方の話だけでのことです。それだけで判断するのは早計です。同時期に木村さんのところに伺ったという別の人の話を聞くと、きちんとアドバイスしてくれたというケースも何件かあるのです。

同じ仕事ではありませんが、似たような仕事をしている私からすると、たぶんそのような「お叱り」を飛ばされるような方たち・相談内容だったのだろうな、と思ったりするのです。つまりは、その人たちの考え方、意志の弱さとか、生きる姿勢とか、人としての在り方自体、そこに問題がある相談内容だったのかも知れないと。

いずれにしても、実際その場にいて状況を見ていたわけではないので、客観的に判断できる立場にはありませんけどね。双方の話を聞かないことにはどちらに非があるとも、事の真偽の是非も問えない。

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例えば、わが身を振り返ることせずに、どうしたら願望を叶えられるか…みたいな。「どうすれば子供が学校に行けるようになりますか」も、それに属する質問になっちゃうんですけどね。神様から、「たわけがっ!!」って一言で叱らり飛ばされてしまうような、そんな質問や相談内容だったなら、そりゃあ納得するわ…なんですよ。「どうぞ、お帰り下さい」っておっしゃる人もいるでしょうって。その意味でおっしゃったのならば、木村さんはまっとうかつ至極正当な霊能者さんで神様のお告げをそのまま伝えられる人ですよって、ハイ。逆にそこで行動や思考の改善点を示さずに、モノや安直な開運法を教えて(特にお金のかかること)「こうすればあなたの望みは叶う」みたいなこと言うのは霊感商法以外のナニモノでもない。インチキで低級霊憑きの三流以下な霊能者な証明。

でもね、そこがわからない人が多すぎる。「どうすれば子供が学校に行けるようになりますか」と言った悩みを解決したいのであれば、その質問はまずスクール・カウンセラーさんにするべきでしょう。カウンセリングとかセラピーとか、心の問題と対峙するための方法の時に。

占いにしても、すぴ?? にしても、この世ならざるもの、非科学的なところからの心霊(神霊)的な見えざる存在からの知恵やアドバイスもらおうと言うのなら、逆にそこは求めちゃだめなんですよ。みんな使い方間違えてるんですよね。神様も天使も仏様も人間のエゴイズムから来る欲望を叶えるお手伝いをするために、存在しているわけではないので。仏様は人間を苦界から救済したいという気持ちで働いている人たちではありますが。ジニーのようなランプの精なわけじゃない。天使たちは人間の問題に無関心で、なんで私たちが悩んでいるのか理解できない究極のアスペだし、基本人間にはノータッチです。神様(創造主の方)は親みたいなもんだから、私たちが成長することをただ見守ってるだけですよ。だから、成長する道しか教えてくれない。なので厳しいです。むしろ、成長させるため、必要な経験を与えるために谷底に突き落とすことさえする(そっちの方が圧倒的に多い)。

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子供の不登校のケースを例として用いるならば、

「何が原因で子供は学校に行けなくなったのか。私に問題があるのか、子供自身の問題なのか、それとも外部的な要因なのか。その原因をどうやったら取り除けるのか。この問題は私や子供にとって何の意味があって起きたことなのか。私がこの問題を通して、向き合わないといけないこと、知るべきこと、気づくべきこと、考えるべきことは何か。親としてどう乗り越えて対処していくべきなのか。子供とどう向き合っていくべきなのか」

そういう聞き方とかかなあ。あくまで模範的な質問例ですけど。

ようするに、どんなことも理由があって、起きていることなので。例えば、健康を損なうこと、病気になることもそうですよね。病気になる人とならない人がいて、同じ病気にしても、それぞれに異なる要因があったりする。そして病気になる人は病気になることを選んでいたりする。不登校も同じです。似たような状況・条件下でも、不登校になる子とならない子がいる。もともとの性格や素養の違いとも言えますけど。でも、意味があって、そうなっている。表面で起きていることだけを問題視していても、根っこで起きているものを見ていかないことには抜本的な解決にならないのです。

「学校に行かない」ことだけを問題の発端として捉え、「学校に行けるようになる」ことを問題解決の着地点・終着点として捉えている、その考え方こそが、内在する母子癒着や共依存などの親子関係のひずみ、母としてのその人の内面的な弱点をあぶりだして問題提起する事象が起きた理由そのものだから。つまりはそれを知らしめるがため、その問題と向き合わせるために、不登校という出来事(母親としての彼女にとって問題と捉えるようなこと)が起きたわけだから。働きすぎて休息と栄養が足りてない肉体のことに気づけとばかりに、身体が病気になることで警告を発するようにね。

まぁ、そこを考えようとしない人は多いですよね。本質的な問題から目をそらして、非科学的なことに頼るにしても、自分の思い通りの結果を与えてくれる方法として過大に期待しているから、そういう人にとっては霊的な世界からの助言や知識なんて、期待外れもいいとこでしょう。騙された的な、使えない知恵なんだと思いますよ。

でもね、お生憎様。本当のスピリチュアルってそんなものじゃないんですよ。神様も霊的な存在たちも、私たちのお守り役でも警備員でも、ましてやメイドさんでもない、なんでも望みを叶えてくれるスポンサーってんでもないんです。

まぁ、そんなかんなでいずれにしても、お母さんである彼女たちが自分の問題を何とかしようと自身に内在する恐怖と向き合わない限りには、その解決を図ろうとしない以上、お子さんたちの呪縛が解けることはないのです。

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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