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おまけ:怒りの種、憎しみの毒:禍いを呼ぶ源泉

昨日の書き込みの補足?と言うか、書ききれなかったことをば。
はい。あまりにも文章が長くなってしまったので、触れなかった部分です。

怒りっぽい人は気が短いのではなく、
怒り以外の有用なコミュニケーションツールがあることを知らないのだ。

by アルフレッド・アドラー

人間は怒りと寂しさの処理で人生を間違える。

by 加藤諦三

怒りが身を滅ぼすとはよく言ったもので、私はこの怒りっぽさから、周囲を翻弄したり、傷つけたり、随分と不快な思いをまき散らしてきたものだと我ながら痛感しています。
感情とは人の特質であり、愛や優しさ、思いやりや慈悲の出所であると同時に、その方向性や扱いを間違えたならば、とてつもなく醜悪で卑劣な化け物を生み出してもしまう、恐ろしく力強いエネルギーの塊です。

ですから、感情のコントロールは本当に大事なもので、この暴れ馬を乗りこなすことが出来るか否か…が、その人が自身の人生を有意義に幸福に生きる鍵であると言い切れるでしょう。

実際、自らの感情の暴走を止められなかったがために、破滅的な人生に突き進んでしまう人は多いのですから。

自分が何に対して過剰に反応してしまうのか…どのような感情が自分の中にあって、どのような事象・事柄・人物に対して、どのような感情を持ち、いかな反応をしてしまうのか…
自分自身のウィークポイント…否定的な感情が呼び覚まされてしまう出来事や言葉等など、精神的かつ心理的な弱点、自分の中のダークマター(シャドウセルフなど闇の部分)を知って、自らのトリセツを作っておくことは人生の荒波を生きる上でとても大切なことなのかも知れません。誰もが一度は自分と向き合い、「汝、汝を知れ」を実践するべく、それを行うべきでしょう。

幸福は思いやりの心から生じるものであって、
怒りや憎しみからは生じません。

by ダライ・ラマ14世~

さて、私は母親から「憤怒」と「厭世観」の感情を暴力と共に植え付けられてきたわけですが… それは母の今生での生育環境と過去生の記憶に所以するものでした。姑、小姑からの嫁いびりを受け、マザコンで実家大好きな夫を持ったことからノイローゼ気味だったと言うのも、背景の一因ではありますけれども。以前にも何処かの記事で書いたように、父と母の関係性は過去生絡みでありまして…母は海賊の襲撃で村を焼き払われ、家族を殺された上で働き手(飯炊き女)として連れ去られたものの、奴隷のようにこき使われたあげく病気になるとゴミの陽に捨てられた…その怒り、恨みがあったので、自分を奴隷として酷い目に合わせた、加害者たる父と今生で夫婦の関係性となったことで、過去のその想いが噴出してしまったというわけです。

でも、恐怖と暴力による支配を受けた記憶があるからこそ、直接父には逆らえない。それが私に向いてしまったわけです。私は父そっくりでしたからね。逃げ出すことを決心して、行動したとき、妊娠していたことで「足枷」になったことも、私に憎悪が向いてしまった原因ではありましたが。
※この母親の過去生での経験、「300~帝国の進撃」のアルテミシアみたいだなあ~なんて映画を見たとき、思っちゃいましたよ。

そんなんで、母はとてつもなく被害者意識が強くて、怒り、恨みの念が激しい人なんですけれども。念の強さは祖母もそうだったし(性格は温和なお嬢様育ち)、母方のご先祖様もそういう人は多かったですねー(先祖供養的なヒーリングの過程で知ったこと) 
やはり子孫と言っても、引き寄せというか、波動や気質が似ている人が集まってくるものだと思ったりします。
そうですね。壇ノ浦から流れ着いたばかりの頃は、「おのれ、源氏め、貴様ら一族滅びやがれ!」と呪詛を頑張った人もいたみたいだしっっ 戦国の世にあっては、ちょっと問題ありの人格だったので廃嫡された長男が、刀を持って暴れ回ると言う「やらかし」をして、座敷牢に閉じ込められた…とてつもない気性の荒い人もいましたし。はい、この人を宥めるのにはものすごく時間が掛かりましたっっっ汗 たまに仕事を手伝ってもらってますけど。

エディくんは大好き💛

もしあなたが怒りっぽく、気まぐれで、気難しく、
意地悪な人ならば、猛スピードで歳をとっていくでしょう。

by ジョセフ・マーフィー

で、60年は今の地域に住んでいて、26年もの間、民生&児童委員に従事していた母ですが…父との結婚のため(親同士が決めた結婚だったので)上京した頃は、結構イジメられていたんですよ。父方の親戚、小姑たちからだけで無く。田舎もんってこともあったし、苗字が変わっていたので、半島の人と誤解されることが多かったんですって。でも、独特の威圧的なオーラと言うか、近寄りがたい雰囲気のある人だから、それもあったのかなあ。
幼馴染とか、小学校の同級生なんかが言うには(当時遊びにきた)、「Mちゃんのお母さん、鬼みたい」って言われたなあw
いや、実際私にとっては鬼そのものでしたけどね。

で、当時、母を虐めてくれた、近所のイジワルな人たち。笑えないことに、もうほぼ全員、この世にいないんですっっっ 年だから当たり前だろうとも思うけど、いやさ40歳くらいで皆さんご昇天。50歳まで存命だった方はいまません。早死にされたって言うのかな。
別にうちの母に対してだけでなく、誰に対してもイジワルな人たちだったから(行いもよくなく、評判もよろしくない)、天罰が下った?ということではなくて、自ら自分の寿命を縮める生き方をされてただけとも、思う(思いたい)のですがねっっ

別にうちは「犬神憑き」の家系では無いですしね。Q州だから。

ただ、幽体離脱が得意で、生きている間から(半身不随です)千葉の実家によく遊びに来ていて、死んでからも幽霊となって、家人や親せき、ご近所さんの前によく出没して、あわゆる人々を怖がらせていた祖母のことを考えると…うーん?…とは思っちゃいます。あんまり追及したくないことですが。

深い悲しみと失望が怒りを生み、怒りが妬みを、妬みが恨みを、
そして恨みが再び深い悲しみを生む。
それらがすべての循環の完結するまで尽きることはない。

by デイヴィッド・ヒューム

そして私の話。怒りによって、たくさんのものを失ってきて、様々なものをぶち壊してきたわけです。すなわち、怒りというのは人生に損失をもたらすマイナス要因であると同時に、建設的な方向にそのエネルギーを変換させ、適切に用いることさえ出来れば、向上心と物事の達成へと自らを辿りつかせる潮流になるのだけども… その方法を学び習得するのは難しく、それが出来ないがために、とてつも無い挫折と人生の奈落、後悔の日々を味合わされることになったのでした。後悔した時には時すでに遅しで。

怒りにまかせ、怒気怒声を発すれば、あなたの徳望を失うことになる。

by 五代友厚

はい、失うものがあっても、得るものは少ないです。確かに時に人は怒りを表すことも必要だったりしますけれども。それは私利私欲やエゴイズムから出た怒りでは無いことが条件ですよね。

『負けてたまるか』という怒りの感情が原動力になる。

by 羽生結弦

私は苦い経験を通じて、最高の教訓をひとつ学んだ。
怒りをコントロールするということだ。
蓄えられた熱がエネルギーに変わるように、
抑制された怒りを世界を動かす力に変えることができる。

by マハトマ・ガンジー

私は自分が怒りっぽく、キレやすいことを自覚しつつ、ある時から、なるべく「怒りたくない」「怒ってはいけない」と…自らの怒りを抑制しようと努めるようになりました。けれど、その制御はとても難しいもので…単純に「蓋」をするだけのものだったので、暴走させるだけだと知ったものです。

始めて書くことになりますが…
私は過去に、クンダリーニエネルギーを2度ほど暴走(発動)させてしまったことがあります。
私がとてつもなく激情的な憤怒の感情を抱く時、たいていは背中(背骨のところ)がパックリと割れて、「何か」…が出てくるような激しい感覚を覚えるのですが…
(そうですね、知っている人は少ないと思いますが、「サイボーグ009」の中でブラックゴースト側のせむしサイボーグが背中を開けて、毒虫を放つことをするんですけど、あんな感じ)

これってまあ、背中からエレメンタルが出ていくわけです。
そんなところから…何故?どうして?ですけれどね…
これはクンダリーニ・エネルギーとは関係ありません。
体内に飼っている、毒虫エレメンタルが開いた背中から飛んでいくようなものです。それだけのことです。それでも、これが出ていくときは苦しいです。とてつもなく、しんどいし、消耗する。
出ていくことを止めようとするけど、止められない。なので、いつも戦っていました。出してはいけない、何とかして踏ん張らないと!‥‥と。

それでも、これはまだいい方です。
クンダリーニ・エネルギーを使って放出してしまった怒りのエレメンタルですが、これは私の意志の制御の及ばぬところで出て行ってしまったのです。
私に対して何かされて私怨で…と言うのではなく、私以外の他人に対して道義的に許せないことをした相手に対して…でしたけれども。
骨盤のところから熱い塊が瞬時にして、脊椎を上り、頭のてっぺんから、まるでロケット花火かパトリオットミサイルみたいに飛んで行ってしまったなです。本当にびっくりしました。あまりにも生々しい感覚で。
この辺りの表現は確かに書いたことありますけど…

実はそのエレメンタルが飛んで行ってしまった相手。脳梗塞と脳溢血で倒れられてしまいました。はい。お亡くなりになってしまいました。

結果に驚き、愕然とさせられた出来事であり…もうただ反省するしか無く…以降、絶対に怒りたくない、二度とこれほどに怒ってたまるか! お願いだから、私を怒らせないで欲しい!…と、怒りをセーブしたり、怒りの感情を引き出す原因となる相手や職場、事象から自らを引き離す努力するきっかけになった出来事でした。
このことは私が背負う十字架でもあります。自分が怖ろしいと思った出来事であり、深い戒めとなった事件です。

結果に驚き、愕然とさせられた出来事であり…もうただ反省するしか無く…以降、絶対に怒りたくない、二度とこれほどに怒ってたまるか! お願いだから、私を怒らせないで欲しい!…と、怒りをセーブしたり、怒りの感情を引き出す原因となる相手や職場、事象から自らを引き離す努力するきっかけになった出来事でした。
このことは私が背負う十字架でもあります。自分が怖ろしいと思った出来事であり、深い戒めとなった事件です。

何かにつけて憤怒をいだくうちは、自己を制御していない。
すべての悪に対しては、平静な抵抗が最高の勝利をおさめる。
 

by カール・ヒルティ

霊的真理の話にもなりますが、大天使と人間に与えられた権限、所有している力の差がここにあります。大天使は無から有を創る、神の代理人、働き手としての創造的な力を持っていますが、人間は有から有を加工して創造する…その力しか与えられていません。
人間は自己認識力と個別の経験を蓄える能力、そして感情と思考があります。けれど、大天使には自己認識力と経験を蓄える能力、感情と思考、それら一切がありません。他人と自分を別々の存在と認識出来ないし(大天使たちにとってはみんな自分)、感情が無いから、感情を害されて憤るということもありません。

他人と自分とを区別することが出来る能力、そして何よりも感情があると、その感情次第で創造の力を用いてしまうことになってしまいます。それはとても恐ろしいことです。感情の中には「怒り、恨み、憎しみ」と言ったものがあるからです。すると、感情のままに、自分を害した人を「創造の力」によって、消滅させてしまうでしょう。
創造の力を持ってするならば、この地球一個を一瞬で消滅させることも出来ます。大天使たちにはその力があります。けれど、彼らはその力を行使しようと言うような考えも感情もありません。けれど、人間はどうでしょう。人間が創造の力を持ってしまったならば…それはとても恐ろしいことです。

上記の私に起きたことを鑑みた時に、それがどういうことかお判りになるでしょう。「怒り」の感情を持ったまま、私たちは第六の天国には行けません。ワンネスに戻り、創造的な力を持った存在には成れないのです。

なので、真理の探究者は「怒り」を乗り越えること、捨てることを求められます。すべてのエソテリックな道は、感情のコントロールが初めであり、終わりのレツスンでもあります。

サイキカルな力は、「怒り」の感情を捨てきれぬものは、磨いてはいけない。サイキカルな力を磨こうと、鍛錬して手に入れようと思うものは、何よりも精神の力を鍛え、自らの利他的な感情の一切を捨て去り、これらをコントロールする力をマスターすることから、始めないといけません。

では、何故…私がそれをしてしまえたのか…?
別に私がすでにその道に達している人間だからというわけではありません。たまたまの偶然です。過去生において、そのような職業や修練を積んでいただけのこと。今生でも魔術のトレーニング、瞑想などをやっていたからというだけのこと。そういうことにしておいて下さい。

私にとっては、黒歴史なことです。
自らへの戒めとして…これを書いておきますが。

ですから、サイキックな力を誤った方向性に用いてぱならない。
そのような修練をするためには学ぶ順番を間違えてはいけない…
つくづくそう思うのです。

私たちはまず、自らの感情のマスターにならないといけません。

もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛