Édith Piaf ‐ Hymne à l'amour / 愛の賛歌 ‐ 1949
私が若い頃はシャンソンって、
お年寄りが聴く音楽のイメージで(失礼)
カラオケが流行り始めた時も、おじさんが歌う「マイ・ウェイ」とおばさんが歌う「愛の賛歌」は、他人から…
「カラオケで場を白けさせる曲」と言う事で、めっちゃ不評つかー不人気でした。
どちらかというと、ピアフ本人が歌う歌よりも、日本では越路吹雪さんバージョンの方がスタンダードで、そっちの歌詞の方で結婚式とかで歌われてたような気がします。
越路吹雪「愛の讃歌」
でも、ありがたくない曲という不名誉さ…
この歌の良さが解るようになったのは、年取ってからかしら。それも日本語訳の人には申し訳ないのだけど、美輪さんが歌う原曲を聞いてからだったりしますの。
原曲の歌詞を知ると。。。
「なんだ結婚式で歌う曲じゃないじゃん!」なんですが。
はい、愛する人を失う曲。天国へ旅立った恋人へのラブレター。永遠にあなたを忘れない、いつまでも愛し続けるって内容ではあるものの、死んだ人への愛の誓いですから、結婚式には縁起悪いです。
私的には、どストレートなツボにはまる曲なんすけども。
てなわけで、号泣しながらたまに歌います。
ヒトカラの時だけねww
フランス語? もちろん出来ません。解りませんww
英語も出来ないし 日本語さえも怪しいけどっっっ汗
そこはなりきりです。
さてさて、エディット・ピアフ。彼女の人生は映画にもなりました。伝記映画は三本は創られているのだけど…
1974「エディット・ピアフの生涯」
1983「恋に生きた女ピアフ」
で、最新のがこれですね
「La Mome / エディット・ピアフ 愛の讃歌」2007
この映画は見てないけど、彼女の自伝つか人生はテレビでドキュメンタリーが放映されていたので、そっちを見て、こういう人生を生きられた人なんだ…という程度の知識。
母はカフェのシンガー、父は大道芸人という貧しい家庭に生まれたエディットは、その貧しさ故に父方の祖母(売春宿の経営者)に預けられて育ちます。
そして、大道芸人だった父と活動を共にするも、やがて父と別れ、ストリートシンガーとして自らの道を進むことに。
1935年には、ナイトクラブにて専用の歌手として歌うようになります。そのうちにジャン・コクトーやモーリス・シュバリエなどと交流を持ち、彼らがピアフのために歌詞を書いてくれるようになります。
ちなみに本名は、エディット・ジョヴァンナ・ガションで、ピアフっていうのはあだ名から付けたもの。意味はスズメです。彼女の身長が142cmと小さいものであったことから、クラブのオーナーで、メンター及びパトロンでもあった人から付けられたもの。
「La vie en rose / バラ色の人生」1939
第二次世界大戦中のドイツ占領下において、書かれた曲です。この頃の彼女は、レジスタンス活動に積極的に協力をしていました。戦後はアメリカに渡ったり、ヨーロッパやアフリカなどでも公演をし、世界的な名声を得て、人気を博すことになりました。
ハリウッドで出会ったマレーネ・ディートリッヒとも、無二の親友同士になりました。
そして、シャルル・アズナブールやイブ・モンタン、ジルベール・ベコーなど、多くの後輩たちのデビューを手助けすることに。
「アコーディオン弾き」1939
「Les Trois Cloches / 谷間に三つの鐘が鳴る」1945
「Sous le ciel de paris / パリの空の下」1954
この曲は、百恵ちゃん主演のドラマ「赤いシリーズ」にて、パリのおばさま、岸恵子さんが出てくるシーンで、お約束で使われていた曲だったりするので、そのイメージがww
女優の岸恵子さん、映画監督のイヴ・シャンピ監督と結婚して、巴里に移住したことでの、パリに住む日本人という役柄でしたね~ 当時は結婚して海外移住という芸能人、少なかったから(離婚されたけど)。
確か、デビッド・リーン監督からもプロポーズされてたんですよね<岸さん 美人だもん、納得。
「Non, je ne regrette rien / 水に流して」1960
この曲はオリジナルより、美輪さんのコンサートで何度か聞いてまして、そっちの方が聞きなれているというか、なじみ深いのであった。
「Milord / ミロール」1959
これはエド・サリバンショーですね。8度も出てるのって凄い。この曲も美輪さんのコンサートで聞いたなあ…
そして…
「Hymne à l'amour / 愛の賛歌」1949
恋人だった、マルセル・セルダンに捧げられた曲です。
とはいうものの、ボクサーだったマルセルには妻子がいたので不倫な関係。彼が飛行機事故死をしたことで、その恋に終止符が打たれたわけですが…
永遠の愛を歌い綴ってはいるものの、その後ピアフは二度結婚していたりっっ
最後の結婚は20歳年下の彼女の大ファンであった人で、彼はピアフの死後も、彼女の借金を払い続けたとのこと(独力で完済)。それも、ものすごい愛だなあって思ったりするっっ
「L'homme de berlin / ベルリンの男」1963
この頃のピアフはもう衰弱しきっていたわけで、最後のレコードとなりました。
死因は癌。
ピアフの死を知った、親友のコクトーはショックを受けて、翌日に死去。
そんな風に多くの人に愛され、慕われる、魅力的な人だったんですね。フランスの国民的歌手として、死して今もレコードが売れ続けてる。
自らの身も心も、命を削り続けて歌い続けた、素晴らしいシンガーの一人と言えます。
色んな人がカバーしていますが、私はやはり美輪さんのカバーだなあ…毎回毎回が渾身の一曲だと思うし。
美輪明宏さんカバー
加藤登紀子「ピアフ物語」2016
F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。
「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/03/31 掲載記事より転載