よもやまこぼれ話②
つい先日、「お墓に亡くなった人はいるんですかい?」…と言うような質問を頂いたので。
速攻で言ってしまうと、基本的には居ません!
確かにたまにお墓が居場所になっちゃっている人もいますよ。迷子になっちゃって、先祖代々の入るべき墓を自らの居場所にしている人もいることはいます。皆の入っているお墓に入れなくて、あぶれてしまっている人も。
でも、お墓が"幽霊(サイキカル体とノエティカル体のみになった人)"の定位置的な居場所(常在的なポジション)ってことは無いです。
墓はあくまで、一族の運命共同体(グループエレメンタル)としての拠り所であり依り代。その一族にとっての想念の溜まり場で、陰徳銀行のようなものです。貯金があって、利息が貯まって、その利息をお裾分けしてもらえるところ(貯金引き出しとはちょい違う)。
子孫にとっては、お墓に行くことで利息を分けてもらえるって感じかな。そうね、お祖母ちゃんお祖父ちゃんに顔を見せて、お小遣いをもらう感じ。
そこは神社と同じようなもので、感謝の気持ちを伝えに行くことで、良いエネルギーのお裾分けをもらって帰るとこ…ですかね。ただ、もらえなくて、逆にお金奪われちゃうこともあるけどww(そういう家もあるし、先祖もいるってこと。イメージとしては借金がたくさんある感じ)
いちおう、日本の仏教の葬儀だと、お坊さんにお経を唱えて頂くことで、自分が死んだことを自覚して、次に行くべきところに行ってもらう手順をやって頂けるので、本来はもう速やかに4次元に意識の中心が移って、今生での内省の段階に至っている状態には整えてもらっているわけです。
※でも、それでも現世に対する執着が激しかったり、恨みとか憎しみとか利他的なエゴイズムの感情が強い人だったり、他人をたくさん害して傷つけて恨みを買ってきたような人なんかは、僧侶(葬儀)による読経などの、そのような準備とサポートを無駄にしてしまう人もいますのよ。この辺りの説明は省略しますけど。
…と言うことで、未練を断ち切ったり、会いたい人に会いに行ってお別れをしたりなど、亡くなった人が心の整理をつける期間は初七日から49日位って感じで。早い人は葬儀の始まった瞬間に「行ってまう」せっかちな人もいますし(準備は出来てるぜい!って感じで)。葬儀の様子をじっーと見ていて(誰が来ているとか来てないとか、皆の様子とか話を伺いつつ)、火葬場に行って、自分の生前の乗り物である体が焼かれるのを見送ってから、旅立つ人もいます。またギリギリ49日間、この世に粘り続ける人もいます。
49日経つと、完全に3次元との繋がりが切れるので(土葬だと肉体とのコードが切れるのが40日後だけど、今は火葬なので焼いてお骨にしたその瞬間にシルバーコードが無くなります)、大体どんなに長くても地上をうろうろしていられるのは49日まで。40日で肉体のエーテルダブルが解体されて、データが本体に移行されちゃうからね。すると、そこから過去生のパーソナリティとしてのエレメンタルが創られて、もう直前の人生は過去生になってしまうのです。幽霊となった本人は、まだ存在しているんですけどねっっ汗
けど、これが事故とか自殺とか殺人とか…だと話が少し変わってきます。死の様子、状態によるという事で。あとその人の霊性の段階(霊格)がどこにあるなのか…どのレベルの人なのかにもよって、違ってきます。
4次元と5次元には時間や空間概念のない世界なので、本人がその場所を連想すれば、すぐそこに行くことが出来るし、地球のどこにいる人の話も聞こうと思えば聞ける。ラジオのように自分の噂話をしている人たちの声を、同時進行で聴くことも出来る。日本の北海道にいる自分の長男や海外在住の孫に同時に会いに行くことも出来る。だって、それが4次元だから。
さて、お墓が陰徳銀行の定期貯金口座や貸金庫みたいなとこだとしたら、仏壇はテレビ電話です。ご本尊様と別の次元にいる先祖たちとのダイレクトな電話でホットライン。今の時代だとlineみたいなもんか。そんな感じ。
まあ、先祖は自分の祖父母とか親戚と同じ位置付けになるから、遊びにも、挨拶にも来ない、顔を見せず、寄り付かない孫や子供たちのことは可愛いとは思えないだろうし、助けたいとか、ましてお小遣いとかギフトをあげたいとは思わないよね。
亡くなって既に物理的なアプローチが出来ない人達だから、せめて福徳とか、何らかの見えないエネルギーとしての恩恵を与えたいって思ってたりするのですわ。それを無下にするかしないかは、子孫次第。
とは言うものの、下心で掃除や墓参りに行っても、4次元の存在だから4次元でこちらが思ったり考えたりする事は、丸っとお見通しにされちゃいますけどね。向こうからはバッチリ解っちゃうわけです。
はい。風水や道教でお墓は大切って言うのは、そういう理由。
それと、事故や自殺で亡くなった人がいる場所に花を置くのは本当は良くないことなんです。その場所に縛り付けることにもなるし、そこに集まりやすくもなってしまうから。気持ちは解るんですけどね。
はい、お葬式や法要と言うのは、生きている人の心の区切りのためにも必要で、もちろん亡くなった人のためにもなるものだけど…
亡くなった当人が自分の死を自覚したり(葬儀や自分の遺影を見て自分の死を自覚出来るし)、受け入れるのに必要であればした方がいいし、当人が「葬式無用・戒名無用」と言うのなら、しない方がいいのです。
当人の意見を尊重すべきでね。
簡単に書いてしまったですね。色んなケースのこと書くと長くなってしまいますので。短くまとめてみました。