O-zone - Dragostea Din Tei(DDT) / 恋のマイアヒ - 2003
懐かしいなあって言うか、流行ったのはもう17年も前なんですね…遠い目。時の経つのは早いなあ、その時生まれた子は17歳だあ。
ジンギスカンの「もすかう」と同じで、空耳動画も作られましたもんね、この曲。リスキーアートから生まれたノマネコでしたっけ?
2chで話題になって、Flashムービーになってっっ
後にニコ動に。
そんな風に社会現象になりました。
パラパラもちょうど流行ってたこともあり、
テーマ曲にもなりました。
「のまのまイェイ」
最近というか、今更こんなのも創られていたりして
まあ、エイペックスの彼ら(O-zone)の売り出し方には、批判が集中しましたね。あそこは大手で力はあるけど、色々と問題のあるとこだからなあ、うん。某所属アーティストとか、周辺の人に聞いた話ね。
偏っているし、パクリも多いし、売るためには手段を択ばずで、エロ路線を強制するし。評判はヒジョーに悪いですな。
で、O-zoneですが、モルドバ共和国出身の男性三人組のボーカルグループけれども、グループ自体はルーマニアのグループで、歌われている言語もルーマニア語だったり。
モルドバって?って、何処?って思ったりなんかして…
調べてみると、ルーマニアとウクライナに国境を接している国で、ソビエト連邦を構成していた国家のうちの一つとのこと。公用語はロシア語だけど、ルーマニア語も話されているとのことで、中世にあってはモルダビア公国と呼ばれた地域。ロシアとトルコとルーマニアの間で取り合いされ占領・併合されてきた土地で国とのこと。
てなわけで…歴史的には複雑な地域ですが、ルーマニアのお隣で言語もルーマニア語を話されている地域出身ということで、そんなわけでのルーマニア音楽業界デビューなのでしょう(韓流のアイドルが日本で活動して有名になるようなもんかも)。
最初はダン・バランと友人により、二人組として1999年にモルドバにて結成
ダンと言うと、諸星ダンを思い出してしまふ。(諸星大二郎でも諸星和己クンでも無く)
「Timpul Trece fara Noi」1999
こちらがファーストシングルとのこと。
ちなみにグループ名ですが、「Dan Bălan Project:0-Zone」
訳すと「ダンの計画」という意味で、ゼロから始めるということから、0-Zoneと名がついたと言われてます。
「Fiesta de la Noche」1999
「Crede-ma」1999
デビュー曲から7曲連続ヒットという快挙をモルドバで成し遂げます。
しかし、ルーマニアでの音楽活動希望したダンとモルドバでの活動を望んだ友人は意見の相違によりユニットを解散。
そして、2001年からダンは3人組の活動を希望し、アルセニエ・トデラシュとラドゥ・スルブと出逢うことに。
「Numai Tu」2001
「Number1」2001
こちら2曲をリリースしたところ、
まずまずの反響にてルーマニア進出を目指すことに。
「Sarbatoarea Noptilor de Vara」2001
「Nu ma las de Limba Noastra」2001
「Dar, Unde Eşti」2001
ルーマニアでこれらの曲を出したものの、
苦戦していたようです。
「Despre Tine」2002
しかし、この曲がルーマニアにて、
「面白い、覚えやすい」と言う事でヒット。このことからルーマニアで人気を博し、あっという間に有名に。
「de ce plang chitarele 」2004
この曲は元々、Norocと言うルーマニアのグループが歌い、ヒットさせていたフォークソングだったのですが、
アレンジしてヒットさせました。
オリジナルはこちら。
De ce plang chitarele -
Formatia Contemporanul (NOROC) 1971
そして
「Dragostea Din Tei(DDT) / 恋のマイアヒ」2003
これがヒットするわけですね。
原題「Dragostea Din Tei」略してDDTと言われるこの曲。
直訳すると、菩提樹の下の恋という意味だそうです。
それがなんで、恋のマイアヒなの??ですが…
(ルーマニア語でマイは五月、アヒ・アフは感嘆詞)
まあ、いつだって邦題の付け方は謎ザマス。
確かに「菩提樹の下の恋」では違うだろうっっ…てのはありますわいね。でもって、最初の邦題は「恋の呪文はマイヤヒ・マイヤフ」だったそう。
肝心の歌詞はと言うと、自分を捨てた恋人に電話するって言う、恋の未練を綴った失恋ソングであり、とても切ない歌詞だったりする。
ノリノリなメロディと真逆な内容なんですね。
発売後すぐにルーマニアから、
ヨーロッパ全体に広がってブレイク。
そして、ディスコサウンド(死語)がクラブブームに湧いていた日本に飛び火し、2004年になってパラパラブームに乗っかって、大ヒットしたりして。
こちらは、Haiduciiというルーマニア系の女性シンガー(元ミス・ブカレスト)が、イタリアで出してヒットさせたバージョン。
当然、壮絶なバトルが繰り広げられました。
著作権侵害というか、勝手に盗作されたわけなのですが、
彼らには訴訟するための金銭が無くて…
まあ色々とあったそうです。
結果的にはこの曲が先にイタリアで売れてくれたお陰で、
自分のたちの曲も、「本家対盗人」と言う対決構図で、
売れる一因にはなったようですが…
そして、世界中でたくさんのシンガーたちにカバーされました。日本では「スマスマ」で使われたのが大きかったかな。
とは言うものの、2005年そんな人気絶頂の最中に、彼らは解散。ダンがアメリカで他の人物とO-zone の名前でレコードをリリースしたことに対し、後の二人が反発して声を上げ、それに対し、ダンが一方的に解散を宣言したのです。
Dan Balan/Lucas Prata 「Teh Ma Ya Hi Song」2006
解散の原因となったレコード。
ダンとしては、ずっと一人で作詞作曲プロデュースとすべてをやってきたので、O-zoneは自分のものという認識だった模様。とりあえずその後の来日など、解散コンサートまで活動はしたようですが・・そして、2017年にも3人で終結してのライブなども行ったようなので、いちおうの和解はしているようですけれど。
今現在はどうなんでしょうね。ちょっと解らないな。
とりあえず懐かしいなあって、曲なのでした。
ボダイジュはともかくとして、
歌詞の内容は5月の想い出な出来事になるわけですが、
何となく夏だなあってイメージの曲だったりするのです。
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「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/08/13 掲載記事より転載