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何故、不貞はいけないことなのか
浮気をしない男性は全体の2割程度に過ぎず、結果、ほとんどの男性というものは、機会さえあれば浮気をする生き物なのだと言う。
女性も男性ほどではないにしろ、仕事を持つ既婚女性の3割は浮気の経験ありで、専業主婦では2割程度、独身女性も3割程度とやはり、同等数の割合で不倫の経験者はいるものであると…。
こうした統計値がどのようにして取られたものなのか、その信憑性、真偽の程は分からないが、上記の理論で言うなら、男女の比では男性は女性の倍以上の数が浮気をし、主婦人口の1/3、3人に一人は浮気の経験ありという事か。そして、浮気をする女性の割合が少ないことを考えれば、同じ相手と関係を続ける、ということは少なく、(浮気する)女性は全体の中で偏っていて、その偏りの中にいる女性たちは生涯を通じて、複数の男性と関係を持つ割合が高い人たち・・・・・ということになる。
もしくは男性の場合、同じ既婚者を相手にするより、パートナーのいない独身者を相手に選んだり、風俗などで割り切った関係を結ぶケースが多いのかも。
いずれにしても、男性のほうが浮気、不倫をする確率は広範囲にて高く、
女性の場合、不倫人口には偏よりがあるというわけだ。
何故、男性のほうが浮気する確率が高いのか・・・
男女のこうした関係性は、しばしば、「花とみつばち」に例えられる。
男性は、子孫を高確率で残そうと、あちこちで種まきをし、
女性は、男性を引き付けるために甘い蜜で誘惑を仕掛ける。
また、そればかりでなく原始的な本能のなせるわざで、男は自分の子孫にとって最適な「母」になるような女を求め、女は優秀な子孫を産むための種の持ち主を厳選し、さらに子育てに最適な環境と自らの食い扶持を確保してくれる、いわゆる三高な男性を他のメスと奪い合い、獲得し、縛ろうとする。
はてさて、男性のほうが共有を気にせず、
女性のほうが他者のものを奪い取ろうとする意識が強いような?
男は女の最初の男になろうとし、
女は男の最後の女になろうとする…らしいが。
まあ、いずれにしても、浮気をしない男性は少数派ということなので、
貴重かつ希少価値のある生き物かも知れません(なんだかー)。
統計なんて誤りで、もっと少ないものだと信じたいですが。
私個人としては、他人のものにはまったく触手が伸びないというか、興味が湧かない人なので(芸能人とか憧れの人は別)、相手が既婚者だとかパートナーのいる人となると、「人のもン」つかその人の付属品にしか見えないので、そーゆー経験はないんですが…(もともと恋愛体質ではないようで、異性に対して無関心に近いというのがアリ)
自分も既婚者だったり、彼女がいたり、こっちにも彼氏がいると知ってて誘ってくるヤツなんか、「なんだこいつ」としか思えなかったですしねー(遠い昔、若い頃の話ですぜ)
ただ、確かに周囲にはそういう状況はありました。
友人の中にも、不倫や浮気をしている人はいたという意味で。
割り切って既婚者と付き合ってる人とか、自分にも恋人がいるのに、行きずりで遊んだーとか…その心情を理解してあげることは出来ないのですが、わりとよくある話と言えばそうなんですよね。
占いの仕事をしていたときでも、不倫のお悩み相談はてんこもりなわけです。今となっては、私は不倫の相談には乗りませんけど。
さて、今でいうところの「サレラリ」話。
昔の知り合い(三人の子持ち主婦)だった人で、旦那さんとレスとかで、あちこちで恋の花を咲かせてる人がいました。ちょっと、それってどうなの?と目を細めてはいたものの、そこまで親しい関係ではなく、子供たちにとっては良き母親であったから、何かそれに対して注意をすることはなかったのです。ぬるく遠くから見ている程度で。
そのうち、不倫相手の子を妊娠してしまったことで、さすがにいい加減、関係を終わりにして中絶すべきでは?と口を挟ませてもらった(当人から聞かされた時に)。けれど、彼女は「命は大切なものだと思うから産む」、自分の生き方を応援して欲しいとのこと。
して、旦那さんに正直に話して謝罪し、ケジメをつけて離婚し、そのうえで出産し、子育てするならいざ知らず(相手と再婚するしないはさておいて)・・・旦那さんの子として育ててもらうつもり(托卵か)・・・と仰る。
私は「悪いけど、あなたの生き方を応援することは出来ない」そう伝えて、ご縁を断たせてもらったのでした。
他、旦那さんとの関係性が冷え切ってて、離婚を申し入れたものの受け入れられず、その後で好きになった人もいて不倫関係になって、それを話して慰謝料を払うから別れてくれと旦那さんにお願いしたものの、それでも旦那さんは離婚に応じてくれず、仕方なく子供のために再構築している人もいる。旦那さんはその子も自分の子だと言い張るのですよっっ
でも、彼女が旦那さんとの関係の継続が無理だと思った理由、性格の不一致とか、約束を守ってくれないこととか、そのようなことを改善して欲しいと伝えても、そこはまったく応じてくれないのですよね。(ここは彼女の方も離婚して欲しいのなら、自分の言い分を理解してもらうことだけを望むより、それなりに頭を使って、事務的に薦めていく必要があったわけですが)
それと、不倫小説の教祖みたいな某作家さんのとこには、その世界観に酔いまくった失楽園願望の強い女性たちが、たくさん押しかけて大変だった、と聞いたことがあります。(据え膳食ったかは謎)
そして、何故か不倫体質の人っているのですよね。他人のモノにしか興味を持たず、次から次へと既婚者に手を出す人が。それは一種、心の病なのだと思いますけれども。
なんでしょうか…まあ、そんな風に、身近なところでもそれなりにそうした話はあるので、困ったことに浮気、不倫、不貞、不義密通etc...は結構ある話で相変わらず減らない話でもあるのです。
ネットなんかではホント、この手のネタ尽きませんね。永遠不滅のテーマといいましょうか。
ただ、人の心って当人にとっても予測不可能なことで、結婚してしまってから、本気の恋に落ちることもあったりします。出会うべき時期を間違えた、みたいなのは。
複数の人を同時に愛せる人もいたりするし、複数の人から愛されないと満たされない人もいるし、その逆で誰の事をも愛せない人もいる。
恋愛フェロモンは2年が限界と人の言う…
気持ちは冷めるものでもあるし、結婚して一緒に暮らしてから、現実を前にして、相手に抱いていたものが妄想であり、誤解であったことに気づかされることも多々。いつまでも最初の頃の、出会った当時の気持ちのままでいられるなんて幻想で。
歳を取ってくると、男性はハゲるし、お腹も出てくるし、臭くもなる。
女性も身体の線が崩れ、容貌も衰えて、オバサン化する。(相手にいつまでも綺麗で若くいて欲しいなら、相応の努力と金銭、生活の余裕が必要だったりします。それを与えずして、身体が資本であるがために自己投資に余念のない、モデルや芸能人と同じレベルを求めるなかれ)
恋は誤解、愛は理解ではあるが、恋に落ちたその日には、誤解しかなく、
相手の良いところしか目に入らないもの。すべてを良いように取ってしまうなど、盲目化現象に際限はない。
結婚前には両目をしっかりあけて相手を見て、結婚後には、片目をつぶって見ないようにする。ともいうけれど…
育ってきた環境も価値観も異なる二人だもの。受けた躾、教育だけでなく、趣味とか嗜好とか共通点とか、合わないこと尽くしなのに、「好きだから」というだけの理由で無理に合わせていれば、気持ちが冷め、夢が終わった瞬間には、日常は悪夢となる。
で、その時、どうするか・・・なんですよね。
結局は、結婚てそういうことも想定しておかないと、なんですよ。気持ち・・・恋愛感情が、違いだらけの二人を繋ぎ、結び合わせたその熱のある感情が、自分あるいはパートナーのほう、双方に無くなってしまったときにこそ、どうするか…
どのように協力関係を維持できるのか。共同生活者としての相手をどう位置付けて、どのような関係系を築き上げることが出来るのか。
いつまでも相手に「恋」していられたらいいし、相手も、自分に「恋」してくれてたらいいんだけども、もしくは「恋」から本物の「愛」の関係を育てられてたら、家族としての人と人との絆を、育めてたらいいのだけど。
(いわゆる「聖なる結婚」てやつね)
でも、人の気持ちほど不確かなものは無い。人生に絶対は無いという意味で。人の心ほど、あてにならないものは無いのだ。
先の事など、誰にも、自分にも解りはしない。
パートナーがいるのに、その人よりももっと好きな人が、大切と思える人が出来てしまったのなら、それはもう仕方が無いように思う。
心を止めることは出来ないだろう。
どちらも大切と思い、今のパートナーに対する気持ちも嘘ではないが、それよりも別の人への気持ちの方が大きいと、明らかに恋だったり、愛だと確信できる場合など。
その気持ちを責めることは誰にも出来ないだろう。
互いが独身同士であれば、ことは簡単だ。別れを選んで、より強く大切だと、恋心を感じた相手の方を選べばいい。(但しそれで上手くいくとは言えないし、婚約していた場合は手順が必要だが)
だが、それが既婚者なら?自分または相手がそうであったなら?
そして、子供がいる夫婦だったら?
ことは簡単ではない。
結婚は社会的な責任を共同で担う、契約そのものだからだ。
子供がいるのであれば、子に対する養育義務を持つ親同士の関係でもある。
不貞がいけないとされるのは、それが契約違反であり、信頼を裏切る行為そのものだからだ。恋愛にしても、結婚生活にしても、すべては人間関係なので。
相手の心も人格もおのが所有物ではなく、自らの利己的な欲望や願望を叶えるための奴隷や便利屋としてでなく、別人格として尊重し、畏敬の念を持って接せれるか否か。男女の枠を超えた、精神的な愛があればなおよし、ではあるものの、それは難しいことで、とりあえずは上記さえあれば十分であろう。
他の人を愛することが罪なのではない。気持ちには、心には罪はない。
パートナーがいるのに、誰か他の人を好きになってしまった、
その心を裁くことなぞ、他の誰にも出来ることではない。
パートナーが、配偶者がいる人を好きになることが罪なのではない。
そこには罪はない。
その人を素晴らしいと、素敵な人だと評価し、心奪われてしまうのは、異性としての深い愛情を抱くことは、自然なことで、ごく普通のこと。
現実を考えたときに、その人は結婚している、という事実があるだけ。
それは関係性におけるハンデでしかなく、相手が結婚しているという事実は、相手が障害者であったり、異性ではなく同性であったり、相手の家族に問題を抱えている人がいるとか、その人が経済的に自立できていないとか、そういうのと何ら変わりがない。
相手を愛(恋)することを止める理由にはならない。
ただ、現実を考えた時に、そのハンデが乗り越えられるものなのか、
乗り越えられないハンデなのか、そのいずれか、なだけ。
そして結婚している人であるならば、その人とは結婚できない理由があるってこと。恋愛対象にしてはいけない人だって、それだけ。
その人のことが好きで、愛しているという気持ちは、
胸の中に大切に収めておくしかない。
互いが独身同士であれば問題ないが、そうでないならば、
お互いの人生を、人間関係を壊すような関係を築いてはならない。
肝心なのは、どう行動するか。
結婚した後に、他に心惹かれる人に出会ってしまうことは、
それは不幸とも言える出来事なのかも知れない。
他に愛する人を見つけてしまったとき、
今のパートナーとの関係をどうすべきなのか・・・
大いに悩むことになると思う。
今の関係を解消して、心に素直になるべきなのか、理性で抑えて、これまで築いてきた人間関係を、家族との関係を選択すべきなのか…
問題はこの順番なんだろう。
誰かに心を奪われたことを「浮気」という人もいる。肉体的な関係性がないのなら、プラトニックならば、それは不倫とか不貞とは言わない…という人もいる。けれど、肉体の浮気は赦せても、本気になられるほうが赦せないという人もいる。継続的な関係でなく、一度限りの過ちなら赦せるとか、風俗ならば仕方ないという人もいる。風俗もダメだし、女性と同席してご飯を食べるだけでNGという人も。女友達の存在も許せないなんて人もいる。
(なかにはsexの相手をするのが嫌なので、愛人を作って他所で性欲を満たして欲しいと・・・そのような正妻もいたりするし、妻が他所で恋愛している姿を見るのが楽しみと言っている夫君もいるので、夫婦共にそれでよしならばそれはそれでいいのだろう。が、こういうのは双方の価値観が一致していればの話)
そこは各自個別の価値観なので、それをこう考えるべきと裁定したり、
間違っている正しいとも他人が言えることではないけど・・・
さりとて、心霊科学の視点からは、
やはり人間関係を損ねるものであるか否か、がポイント。
属する社会の法や規範(この場合は日本)に従って考えるべきで、
相手に対して不実な態度を取るべきではないってスタンス。
つまり、どうしても他に好きな人が出来てしまい、そのことで結婚生活を続けることが不可能であると、心に正直になりたいのならば、結婚生活を解消したいと、誠実に相手に申し入れるべきで、その際に己が果たすべき社会的責任を道義的に果たし、その後で、好きになった相手に気持ちを伝えたり、関係は持つべきである。いずれにしても、法的配偶者がいるうちは、性的関係を持つのはNGということ。
配偶者以外の人を愛してしまう気持ちに罪はないけれど、
不義理かつ不誠実な行動を取るのが罪ってことなのです。
人としての道に反しているか否か、なんですよね、すべては。
プリン脳やラリは、物事の筋道通していない人がほとんどで、そもそも筋道通せる人だったのであれば、プリン脳やラリにはならないのであろうが・・・
とあるコラムニストの人が、俳優の旦那が浮気したとき、
「私の作ったご飯を食べて、私が干した布団で寝て、
私が選んだ服を着て、私が洗ったパンツを履いて、
彼女に会いに行くのは止めてちょうだい」
荷物をつめたボストンバッグを放り投げて、そう云ったそうだ。
なるほど、本当にそうだ。妻は家族ではあるが母親じゃない、他人だ。自分の世話をしてもらうための一方的な存在ではない。相手の想いを踏みにじっていい理由など何処にもない。
不倫は不義理以外のナニモノでもない。
あともう一つ、不特定多数の人と性的関係を持つのがよくないって理由がある。性病の危険性があるからってことではなくて、心霊科学的な視点から。
Sexって、エネルギー的交流でもある。お互いの第一チャクラを通じて、
クンダリーニのエネルギー的交換が行われる行為。(詳細を知りたい人はクロウリーの性魔術奥義書とかインドのタントラとかカーマスートラとかでも読んで下さいましな。ちなみに相手から性氣を奪ってダメ人間にしてしまうための房中術という、それに特化した性的技能の暗殺術もあります)
第一チャクラの場所は肛門と性器の中間地点になりますが、女性なら会陰、男性の場合は少し手前になりますね。
普通に、二人あるいは複数の人間が同じ空間にいると、互いのオーラ的領域の空間を通じて、エネルギー(エーテルバイタリティーすなわち氣)が交じり合って、互いに吸い取られたり吸ってしまったりがあります。
(3m四方もあれば十分で、時間にして約2時間。10mでも共に過ごす時間が長ければ確実に影響を受ける。都会の狭いアパートなら隣、上下の部屋からもお互いに)
まして、イチャイチャしてお互いの身体に触れ合い、Sexという行為を通じて、第一チャクラが接触することでのエネルギー交換が行われると、マイナスの意味でもプラスの意味でも、色んな影響を相手から受けることになる。
これが単一の相手とならいいんだけど、同時期で複数の相手とそういう関係性を持つと、第一チャクラがぶっ壊れることも多々。性的関係が乱れるというのはまさにエネルギーが乱れるってことで非常によろしくない。
結果、色んな相手から、色んなものをもらっちゃうわけです。この場合、現実的な肉体の病気もしかり、目には見えない良くないものもたくさんもらうことになる。相手の第一チャクラの中にあるものとか。
(ちなみに第一チャクラは先祖のお荷物とかある場所だから)
生活のためとか、それしか出来る仕事がないとか、やむを得ない、色んな事情で風俗や性的産業で仕事をしている人もいるから、それは他人が否定したり口を出すことではないと思ってる(本人が覚悟決めて、プロとして本気でやってることなら)。けど、目に見えてる身体だけでなく、目に見えない身体も壊すことになる仕事だから、あんまり長期間従事しないほうがいいとは思う。当人の心身の健康のために。心ももちろんの事、自分の肉体をいたずらに消耗することは避けて欲しいと願うばかり。
そういう意味で、愛情や心の寄り添い、互いに対する"情"や慈しみのない性的行為は、オーラやチャクラ、エーテルダブルなどのエネルギーとしての身体をダメにする行為でもあるから、むやみやたらとするもんじゃない。
恋人にしてもセフレにしても、
その期間、そういう関係を結ぶ相手は一人ってのがベター。
あんまし、あちこち飛び回るものではないってのはアリ。どんな相手とSexをするかってのも、大事だったりする。
(サゲ○○とかアゲ○○とか、実際にあります)
気持ちの良いSexって言い方もヘンなんだけど、自分のエネルギーを高めてくれる、良い氣の持ち主を性愛のパートナーに選ぶことって大切。
だからこそ、愛し、愛されている相思相愛のパートナーと、人間関係を大切にして、その間はその人だけってのが正解。恋多き女でも男でも、パートナーが随時入れ替わる人であっても、その時期は相手が一人だけってのであれば問題なし。
独身の人でも複数の人と同時進行ってのはあまりよろしくないです。
(相手がそういう人と知らず、つき合っている人は、エネルギー的にも相手から悪いものもらって大変だ)
そして、浮気、不倫てのはどこかで背徳的な罪悪感があり、そこには常に負の意識がつきまとう。互いに割り切っていたとしても。また、そうした行為に対する「怒り」や「憎悪」のグループエレメタルも、そこに反応して集まってきます。
つまりは負のエネルギーがいっぱい集まってくる。純粋に「本気の恋愛」から始まった関係ならまだしも、性的な行為に耽溺していたり、遊びとしてのそれは、さらなる負のエネルギー、退廃的なエレメンタルも呼び寄せて、どんどん悪いものが集まってくることになる。
どちらかのパートナーの信頼を裏切り、踏みにじり、他人を傷つけている行為には違いないから、そうしたカルマのレッスンも同時に背負うことになりますから。そのツケを払うのは、すべてを忘れた来世かもしれません。
どこかで、それは戻ってくることになる。
背負ってしまった負債から逃れることは出来ない。
他人の心を傷つけた、踏みにじってしまった罪。
人間関係を壊して、信頼を裏切ってしまった罪。
いつかそれは自分に戻ってくることになる。他人にさせた思い、味合わせた感情は、必ず自分も味わうことになる経験だったりするから。それがカルマの法則というもの。
あなたが他人にすることは、
すべて未来の自分に対して行っていることなのだから。
魔女の書の第一節に書かれた言葉。
"誰かを傷つけることなく、汝のしたいことをすべてしなさい"
この言葉に恥じ入ることなければ・・・それは咎にはならないけれど。
果たして、あなたの恋は、あなた以外の誰かを傷つける恋であろうか否か。
今一度自分の胸に問うてもらいたい
"愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。
愛は自慢せず。高ぶらない。礼を失せず、
自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、
すべてに耐える。愛は決して滅びない"
コリントの信徒への手紙Ⅰ 13-4-8
本当の愛はあなたを決して傷つけることなく、
誰のことをも傷つけることはない。
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