レイジー - 地獄の天使 - 1978
ええっと、彼らのデビューは私が中学の頃だったかなあ??
やはり「銀座NOW」で見たのが、最初だったような…
ちな、活動期間は1973年から81年までなので、8年は活動していたのねんのねん。して、大阪出身でゴンス。関西弁話しているイメージないけど(昨今では関ジャニとかキンキとか関西弁話すアイドルもいたけど、昔はアイドルは標準語がお約束であった)。
ファニー(ベース)とデイビー(ドラムス)が鬼籍に入られてしまったんだよなあ…まだ若かったのにっっっ合掌
※当時の愛称で言われても解んないですよねっっ レイジー解散後はLOUDNESSにいた、田中さんと樋口さんです。
ぎんざNOW 最終回
同級生の女の子たちがきゃーきゃーいってましたよねっっ
やれミッシェルが好き、ポッキーが好き…というように。
私は、えーと、そのお…特にファンではなかったですっww
まぁ、当時の彼らはどうみてもアイドルでしたし、ロック・バンドとかそんな感じではなかったからなぁ。当時は洋楽ばかり聞いていたもんで。
でも、本人たちは別に好き好んでこのスタイルでやってたわけではないみたいで、ロックバンドとしてロックをやりたかったものの、売れるために仕方なくアイドル歌謡路線になっちゃったのですね(たぶん)。
なんでも、ベイシティローラーズを模倣するスタイルで売り出されてしまったらしい。事務所の方針てやつなのかな。当人たちは納得していたのかも知れないけど。
バンド名のレイジーは、ディープ・パープルの曲「Lazy」からだし…
Deep Purple 「Lazy」
デビューのきっかけも、パープルの「BURN」をテレビで演奏したことですし…もともとはハードロック指向で、そっちやりたかったバンドなんですよね。
レイジー「紫の炎」伝説の「ハローヤング」1977音声のみ
まだ高校生の時です よく残ってたなー この映像 お宝だと思う。感想は・・・ノーコメントにしておきます。
※映像が削除されてたので音声のみの動画をば。
ハードロック路線をやりたいのにやれないジレンマ。
これキツイですよね。当人たちは葛藤すごかったと思うし、
「やりたい音楽」と「求められる音楽」の違い。
時代もあるのかなあ…でも現代にも通じる、バンドマンの悩みかもですね。はい、私の高校の同級生(友人の彼氏)も卒業後バンドマンになったんですが、めちゃ葛藤してましたよね。結局某アイドルのバッグバンド止まりで、自分のバンドは挫折しちゃって、遅咲きのサラリーマンになったけど。
「Hey! I Love You!」1977
これねー こんな古いのよく残ってたなあ…
この曲がデビュー曲なんですが、当時はこういうデビュー時に売り出すためのプロモーションフィルムというのが存在していたのですよ。もろアイドルとしての作り。そして皆さんお若いのであったっっ
「赤頭巾ちゃん御用心」1978
これに同級生の女の子たちがきゃーきゃー言ってたわ~
下敷きに写真入れてたりしてっっ 懐かしす。
「ハローハローハロー」1978
コスチュームがグループサウンズです。
「Midnight Boxer」1980
この歌も覚えてますな~
「ベイビー・アイ・メイク・ア・モーション」1978
さてさて、そして…
「地獄の天使」1978
この曲のCM(宣伝)見た時、おったまげた。
なんてか~メンバーが全員上半身はだかだったのですよ。
正確なキャッチコピーは忘れてしまったのだけど、
「レイジーがそれまでの殻を破って変わった」みたいな??
なんか、そんなこんなな意味合いのことを言ってたような気がします。脱アイドル宣言みたいなね。
そのCMとこの曲を聴いて、レイジーのめちゃファンだった子が…「あんなの私のレイジーじゃないっっっ!!(>_<)」
って翌日嘆いていたかなっっ汗
まあ、アレだ。王子様を求めてたのかなあ。アイドルバンドが好きだった彼女たちは、うん。ジャニーズに憧れる女の子たちと同じか。私はたまたま、園児の頃から洋楽とか聞いてたからねー アイドルも嫌いじゃなかったけど、そこは外タレに求めてたから、思考回路は同じか(BCRに黄色い声援あげてたし)。
「カモフラージュ」1978
確かに曲調変わったし、ロック路線??と言えばそうなんでしょうけど、でもさ…
どう聞いても、青春歌謡だよね? ロックではないと思ふ。
ロカビリーなスタンダードロックでも、ハードロックでもメタルでも勿論ないし、しいて言うなら 青春歌謡ロック??
ちょっと違うー
カラオケで一度歌ったことあるけど、歌詞がハズイ…
おばさん、どうしようかと思ったよ…選曲間違えたわ。
同じ歌詞でも、甲斐バンドが曲作ったなら、かっこよくなったろうなー ちゃんとロックになったと思うし。うむ。
つまりはなんだ、彼らの個性に合ってなかったんだな、曲とか歌詞とかコンセプトとかその他モロモロが。
ミスマッチっていうかー
「EARTH ARK / 宇宙船地球号」1980
うん、自分たちで曲作った方がいいと思いますた。
そして、この後に解散して、ソロやらLOUDNESSやらSLYやら
ネバーランドやら、それぞれの道を行くことになり、再結成したり、メンバーのうちお二人が亡くなってしまうなどもあり、現在に至ると…
ミッシェルは影山ヒロノブとして、アニソン歌手で復活!!
影山ヒロノブ「CHALA HEAD CHALA」1989
NEVERLAND「ゴーバリアン 孤独の旅路」1983
LOUDNESSはねー 実は聞いたことないの。ヘビメタだってこともあったかもだし、でも日本のバンドの歴史というか~
ジャパニーズロックのルーツを考えるとき、絶対に外せないバンドではありますね。忘れちゃいけない存在。
Loudness 「Crazy Nights」1985
SLY live at Sapporo 1997
西洋のミュージシャンに憧れてギターを始めた、日本のギターキッズたち。自分たちの好きな音楽をやれなくて、葛藤しつつも、一時代を築いて、そして彼らに憧れてギターキッズになって、バンドマンになった人たちがいて…そうやって受け継がれているものがあってさ。
チャーもたくさんのジャパニーズ、ギターキッズを憧れさせ、ロックの世界に導いた一人。
最初から、自分たちのやりたい音楽をやれてたらいいのになあって思うけど、日本の音楽業界というか芸能的社会の構図というかなんというか、商業主義なのはどこもかしこも同じとは言え、それらの犠牲になって利用されたって言い方もちょっと違うんだけど… 好きなスタイルで自由に、好きな音楽をやれる土台が、もっともっと昔から日本のエンタメ業界にも整ってたらなあ…って思っちゃうよね。
復活のレイジー
「Dreamer」2002
売れる売れないってとこを考えるのも大切なんだろうけど、音楽への純粋な憧れとか気持ちを、少なくとも踏みにじられずにただ好きで楽しいって、心からそう思える音楽をプレイして歌って、当人たちもファンも一緒に楽しめる…そういうのがいいよね~
それが本来の音楽の楽しみ方だもんね。
てなわけで、ジャパニーズロックのルーツの一つたるバンド、レイジーの紹介でした。
F2blogに書いてあるものを、訂正・加筆・リンク修正の上、こちらに再度マガジンとしてまとめてUPしています。
「My Favorites〜音楽のある風景」
2021/01/09 掲載記事より転載