見出し画像

過去生体験ワークショップに寄せて

「戦争の爪痕」

私の視点(主観たる感想)から書く「スピリチュアルカルテ」と違って、ワークショップに参加していただいた人に、自らの体験談を文章に起こしていただくレポートには、私の雑感とか解説など、余計なものの付記を、これまで敢えてしていませんでした。

※ちなみにスピリチュアルカルテは有料マガジンにしてまとめてあります。


ここに掲載することは、あくまで本人のメモリアル的な記録でもあり、各自がそのような印象や体験を持ったのだという、共有の書庫でもあり・・・

誘導瞑想によって行われる「過去生を追体験する」という世界が、どのようなものであるのか、まったく別の個性である、様々な年代の立場の人の、それぞれの文章で表されたものとして、余計な手を加えないことにより、すべて読み手の解釈におまかせしたかったからです。

※今回、下記のマガジンに一気にまとめて掲載しました。カテゴリ(テーマ)的には「過去生からの学び」ってことで、上記有料マガジンに相当するんですけど、一般公開にしたかったので下記マガジンに追加しておきました。参加者の中には書くのが苦手な人もいたので、全員提出というわけにはいかず、一部になりますが<18件ほど



ですが、今回のワークは、参加メンバーの顔ぶれが決まったその時に予想できたものの、通常とは異なった、ワークとなったこともあり、また、あまりにも近しい、生々しい(まだ存命中の犠牲者もいる)

史実に関与することも含まれているという特異性からも、私の視点から、補足をしておくべきと思った次第です。

そうですね・・・。

セッションで他人の過去生らしきものを視るとき(正確には感じとるといったほうが正しいかも)、それを正直にクライアントさんに話しつつも…

「これは現実なのだろうか? それとも夢か幻覚か、私の妄想なのだろうか?」

と、何処か疑いを捨てきれぬ部分があるのが常でした。
(私自身、自分の過去生の記憶を保持してはいますが、全部の人生の完全な記憶を有しているわけではないので)

疑念を捨ててはいけないと思う裏には、それを真実として妄信してしまうことに対する「恐れ」がありました。

でも、今回のワークで、私が以前にリーディングしたこと、それぞれの過去生として捉えたことが、奇しくも、三人それぞれの視点と立場から、改めて浮き彫りになり、当事者と第三者が見たものがほぼ同じ物語のようである、という結果と確信を得ることになり、ワークを終えたあとに、とても複雑な気持ちになりました。


そして、改めて運命の不思議さ、私という一個人ごときには計り知れない、人智の枠を超えた大きな力の、目には見えない導き、用意周到に仕組まれた、巧妙な人間の運命の絡み合いを垣間見せられることになって、呆然としたといいましょうか・・・。

つくづく、私たちは「大いなる」ものの力によって、「生かされている」に過ぎない存在なのだと。自分が本当に小さい存在で、私なんぞの浅はかな考えの及ばないところで、動かされているコマのひとつに過ぎないのだと、そう改めて思い知らされたのでありました。

今回のワークショップの感想、体験談に出てくる、国や団体の名前を掲載するべきかどうか・・・正直迷いましたし、いろいろ考えあぐねてしまいました。

何しろ犠牲者がまだ生きているという現実があります。

結果的にほとんど原文まま載せる・・・ことを選択したわけですが、(一部人物名や名称など削ったところもあります)
ここが日本であり、当事国、被害国の人が見る機会もほとんどない、と判断することになりました。

今回のワークの体験談に書かれたことから、どんな情報を得、何を教訓と取り、何を考えるかはすべて読み手次第といえるでしょう。

そしてまた、何を真実と取るか、この体験話を嘘だとか妄想だとか、集団幻覚と取るか・・・それも個々の方の自由です。

さて、
今回のワーク(過去生体験)で、過去に親子であったことがあった三名・・・BさんとDさんとEさんは、それぞれ別のルートから、私のところにたどり着いてくれた人たちです。

Dさんは、私がまだ、今の仕事ではなくて占いの仕事をしていたとき、彼女がまだ大学生だった頃に、占いのお客さんとしていらして以来のお付き合いになります。ですので、知り合ってからは六年くらいになりますでしょうか・・・。

Eさんは、お友達の紹介で二年前くらいに当方にいらした方です。

Bさんは、私の友人が趣味を通じて知り合った方で、今年に入ってから、ワークショップにいらして下さいました。

ちなみに、この三人は、それぞれがひとつ前もしくはふたつ前の過去生で親子だったわけですが、この日参加いただいた、後のふたりも実は同時期にドイツに暮らしていた方でした。

なので、偶然にもこのメンバーになったとき、思わず、「やや、ドイツつながりだ」とコメントしたもので。

(参考まで、私自身もドイツ系ユダヤ人として、この時代にを生きました。ただし、私の場合、第一次世界体験後の大恐慌がきっかけで、ユダヤ人ネットワークを頼り、アメリカはニューヨークへと移民として家族で渡ったものですから、第三帝国の毒牙にかかることはなかったのです。しかし、その後ウォール街の大暴落で大変なことになりましたがっっ)

なので、この日というのは、単なる偶然ではなく、本当に周到に用意された「運命の日」だったのだとつくづく思います。

さて、この過去生体験(回帰)のグループワークは、基本的には・・・常連さん向けといいますか、今までに当方でヒーリングのセッションを受けられた方に限定しています。
なぜ、そうしているかというと、過去を思い出す作業は、ダメージと負担の大きい経験であるからです。

なので準備が出来た人であることももちろんですが、これまでにセッションを受けてくれていることで、基本的な問題が解決できていて(メンタル的にもエネルギー的にも)、こちらがフォローできる状態にある人でないと・・・いうのがありますので。

なので、一見さんは受けつけていないのです。
とくに単なる興味本位の人は。

また、このブログでも私自身が度々触れたり、クライアントさんの書かれたワークショップの体験談からも分かるように、過去というのは必ずしも「キレイごとな人生」ばかりではありません。

全然ロマンティックなものではないことも、もちろんのこと。はっきりいって、辛くて、悲しい、心が罪悪感で重くなるようなことも、含んでいるものだというのがお分かりいただけるかと。

そのように、過去を思い出すというのは、ときに残酷な事実を知る、辛い体験なのです。

人が生まれる前のことを忘れているというのは、ある意味で幸いであり、覚えていないというのは「慈悲」のなせる業です。

思い出すことが「解放」となり、その人にとって「救い」となるのは、当人がそれを知る準備が出来たときであり、人としてあるレベルに達したときのことになります。そのような場合であっても、思い出したことが結実となるのは、過去から何を学び取ることが出来るか・・・によります。

今回再会を果たすことになった、BさんとDさんとEさんの家族ですが、この三人の中では、Dさんがもっとも早く、自分の人生を思い出す体験をしていました。

Dさんは、六年ほど前に私のところを訪れてくれたその当時から、ずっと自分探しの旅をしていました。彼女はずっと色んなことで悩んでいましたが、たぶん、無意識的に罪の意識に苦しみ、魂の救いを求めていたのでしょう。

私がヒーリングやこの種の過去生セラピーを始めてからは、
自分の問題に取り組むだけでなく、精神世界や霊的な事柄に興味を持ち、私が開設したスクールで、ヒーリングやエソテリックな勉強にも熱心に取り組む生徒になってくれました。
結果としてヒーリングやリーディングの能力が磨かれることになり、そして、断片的にではありましたが、少しずつ自分の過去生を思い出すことが出来るようになっていました。

BさんとEさんとの出会いで、今回のワークでも再体験することになった過去を思い出すことになったのですが、それは大きな罪悪感を抱え込み、そのことで懺悔する日々の始まりでした。

何百年も前のことなら、人はピンと来ないかも知れません。
ですが、写真やフィルムなど色々と残っている、あまりにも最近の出来事です。自分がそれに関わっていた一人であることを知って、彼女はそれはそれは苦しみました。

たぶん、同じような立場にあった人が己が過去を振り返るとき、それを知るとき、人はそのように悔恨するものなのでしょう。

すべての人がいつかそのように、自分や過去を振り返って、やがて苦悶するのです。
誰もがそのような存在なのです。
他人のことを責める権利など、誰にもないのです。

戦争という異常事態においては、人は・・・人が常識を保つことなど、道徳的に生きることは難しく、人間性を麻痺させられてしまった状況下においては、人間を貫くことはとても困難な現実です。

そのような理屈をもって、犯した罪を正当化することは許されませんが、人は過ちを犯して、その過ちを通してしか、正しいことが何であるのか・・・人が人として生きるべき道を知ることが出来ない存在であるとも言えます。

また、私たちは己が過去や人生だけでなく、歴史や他人の生き方からも多くを学ぶ事ができます。

そういう意味で、転生というこの不思議の中に、人生の教訓をくみとっていただけたなら、それがこうした情報を開示している意義となりましょうか・・・


ちなみにDさんは今生で、医師の家系に生まれていたりします。とはいうものの、彼女は今回の人生では医師の道には進んでいませんが。江戸時代から続く医師の家系で、「腑分け」など率先して行っていて、曽祖父にあたる方は、某部隊の軍医でした。

ナチスに協力した医師であった者が、今生では日本に生まれ、同じような罪を犯した人物のひ孫として生まれている・・・のです。

(ちな、他の2人…は医療従事者です)

このことは、人は生まれ変わるときに、自分がかつて犯した罪に似た罪や宿命など、そうした似通った因縁を持つ場所に引き寄せられて生まれてくる、ということを表しています。

つまり、自分が解消すべきカルマにふさわしい「家」「環境」を、人は選んで生まれてくるのだということ。

実際そうですね、そういうものだったりします。

なので、先祖の罪など自分には関係ない、とはいえないのですね。自分もかつて罪を犯したり、何がしの負の連鎖を創り、子孫に何かを背負わせている先祖だったりするのですから。

例えていうなら・・・カルマを借金とするならば、自分が作った借金を子孫に遺して、そんな自分もまた、生まれ変わって、その肉体の祖先の誰かが作った借金を背負う、とい状況。

今はその家とは関係ないとしても、結果的にはすべて自分に巡ってくるんです。だから、自分の荷物でないとしても、自分の荷物を誰かに押し付けている以上、誰かの荷物を背負うことも義務であったりするのです。


まあ、そんなわけで・・・

ドイツでの人生で、Dさん、Bさん、Eさんが、その環境や立場、そうした経験が出来る人生を選んで生まれたこと、それぞれを家族として選んで生まれてきたことには、ちゃんと意味があったりします。そこに至るまでのそれぞれの歴史、人生の積み重ねが・・・。

三人は、そうした人生を生きなくてはいけなかった理由がそれぞれにあって、たまたま先の人生で、家族という縁を結ぶことになったのです。

それも偶然といえば偶然だけれども、ある意味では必然性で、そして運命が周到に仕組んだ、綿密な運行ダイヤの流れの中の出来事。

私たちはそうやって、たくさんの人とかかわりあっているわけで、お互いがお互いに与えられた役割をうまく果たせるよう、本当にそれは上手く出来た脚本としかいいようがないというか・・・。自分のためにいろんな人がいろんな役柄を演じてくれていて、自分もまた、誰かのために様々な役割、役柄を果たす役者なんだと、つくづく思い知らされますね(この辺りの話はいつか機会があったら)。

で、話かわって、この日参加いただいたメンバーの一人、Aさんの話です。彼女はもっと前のワークで(このブログには掲載していませんが)、ドイツでの人生を思い出していました。

彼女はユダヤ人で、収容所に収容されたものの、死への恐怖から、ユダヤ人でありながら、ドイツ人に協力する立場を取ったユダヤ人の一人でした。最終的には彼女も死ぬことになりましたが。

Aさんは自分が生き残ろうとして仲間を裏切ったことに関して、ずっと罪悪感を抱き、自虐的に自分をさいなみ続けていました。その人生を思い出したのはほんの二年前位ですが、
それから彼女はずっとかつての仲間たちの冥福を祈り続けています。

体験談では、文章としては・・・
おのが罪のことも各自さらっと書いているように思え、読み手からしては、感情的に納得できない部分があるかも知れません。

ですが、思い出したことで罪を自覚し、その重大さに自らを責め、罪の意識にさいななまれる日々を経て、客観的に見れるようになった今だからこそ、淡々と書き起こしているのだと、理解していただきたいのです。

(Cさんもドイツ人でしたけれど、彼女はまだこの人生のことを思い出す時期、段階に来ていません。その日が今生で来るのかはわかりませんけれど、その必要性に駆られるときまで、私のほうから伝えることはないでしょう。)

そんな風に、人には「償い」のチャンスが必ず与えられているものです。

たまたま、AさんやDさんの場合は、当人たちがずいぶん早い時期に、スピリチュアルなことに興味を持ち、強い関心を持って、真摯に勉強して、出来ることに取り組んできた結果、
(それだけでなく人間的な向上を目指すなど、性格的な問題の解決を図ろうと、自分ととことん向き合った結果として…)普通の人があまり思い出すことのない、自分の黒歴史たる過去を思い出す機会を与えられたわけなんですね。

人は罪も罰もすべてを乗り越えて、善を知り、より深みを増していくもの・・・

魂とはそのように研磨されていくものなのかも知れません。


で、またまた話変わって、今回Cさんがワークの後、酷くなっていた股関節の痛みが少し軽減されていたことについて…

これは、彼女が「怒り」を貯めていたため、痛みが酷くなっていたことが背景にあるかと。強いストレスや「怒り」はある意味で肉体に緊張を強いますので、その緊張によって筋肉に負担がかかり、そのことで痛みが増していたと思われます。

だから、彼女が自分の中の「怒り」の感情と対峙したこと。
自分が怒りをもっていることに気付き、なおかつ「お互い様」ということに気付いて、怒りの感情を溜め込まずに処理しようと、少し気持ちが柔らかくなったので、筋緊張が緩んだことが、痛みが治まったことに関連しているかと。

つまりはそーゆーことでしょうね。


前の大戦終了からまだ65年。もう65年。

戦争体験者は少なくなったとはいえ、まだ生きている人もいる現代の世で、気がつくと、クライアントさんの中には、その戦争での被害者(戦没者)などが、いたりするもので・・・

なんとも不思議な心持がします。


731部隊の行った人体実験も、南京大虐殺も、昨今では「そんな事実は無かった」というふうになっているようですが、
私がクライアントさんを通して垣間見る「過去生」の中や霊的存在から得る情報からは、それらはちゃんとあったことであり、また、歴史として残っていることとは異なる事実?もあったりするので、とにもかくにも複雑です。

でも、本当のことだなんて、事実だなんて立証できることじゃあ、ありません。あまりにも非科学的な視点すぎますからね。

ちなみにDさんの曽祖父さんは、自分がしたことをとても悔いていて、「申し訳なくて、成仏できない」とも・・・

先の戦争のことで言えば、(あくまで私がクライアントさんとして接した方のケースですが)原爆で亡くなった方、東京大空襲で亡くなった方、イギリス人でドイツ軍のロンドン空襲で亡くなった方、日本軍で戦地で亡くなった方、連合軍の兵士だった方、イタリアで民間人だったけど、飛行機が家に墜落して亡くなった方・・・とか。

ベトナム戦争の最中、民間人で巻き込まれて亡くなって生まれた方もいましたね。ものすごく早いサイクルですけど。

ああ、そういえば、Eさんの今のお父さんは、やはり先の戦争(というよりは日中戦争)のとき、中国人だったんだけれど、関東軍に協力的だったがために、同胞たる中国人にリンチされて亡くなってたり。(それで今の人生では中国嫌いになっちゃったみたいです)

うーん・・・

なんていいますか・・・

本当に、こうしていろいろと関係性を見てみると(私の立場から)。何人だの何だの、民族だの国だの血だの何だの、ホントにこだわることがバカバカしいです。

肌の色も宗教も文化も、今がそれってだけなのに・・・と。

戦争も本当に愚かです。

結局は私達は、皆、兄弟姉妹であり、家族なのに。

みな、親戚というか身内であり、お互いの子孫であり先祖なのに。

かつて敵だった人は、今の人生では家族だったり、友だったり、恋人だったりするわけで。

かつて友であり、親であり子供であり、配偶者だった人に対しては、敵として憎しみの矢を放ち、怒りをぶつけり、相手が飢え死にしようが無関心でいたりする。

何で殺しあうのか、何で、憎みあうのか・・・

何故、今、同じ民族で同じ言葉を話して同じ神を信じていないというだけで、今の人生で血が繋がってないというだけで?かつて、抱きしめ、愛を語った人を引き裂き、追い詰めることができるんだろう。
子孫繁栄を望み、子供達にたくさんのものを残そうとしたのに、その自分が子孫に残したものを今度は奪おうとするのだろう?

このことを考えはじめたら、キリがないのですがね。

もし、こちらの記事を読んで頂いて、面白かった、参考になった…とそう思って下さったり、サポート下さいましたならば、心から嬉しく思います💛