魂の暗夜~様々な縛りと向き合う日々
だいぶ前に何度か書いていることですので、解る人には「ああ、あの話の続きなのね」と解ることかと。しばらく触れていませんでしたが。
なんだかんだ、過去と向き合う日々は続いています。
ようするに、自信の過去の癒し。必要性があって、対処している呪詛のことも絡んでいるので、一括りにすると「過去の呪術的縛り」に対処している…というような話になりますでしょうか。いちいち経過報告はしていませんけど。
自分一人では出来ないので手伝ってもらいつつ。
けれど、人任せに他人に頼ってばかりではいけないので、自らも取り組みつつ。
自分一人の「目(視野)」だと、視えないことも複数の人により多方面から視てもらうことで明らかになって、より具体的かつ複合的に全体像が視えてくるものだと実感します。
この状況って、まるで大きな課題(ドリル)に取り組んでいるかのよう。ミステリーを紐解いていく謎解きのようであり、実践しながらの訓練や学びのようでもあるなあ…と思ったりして。
あまり詳しく書けないのが、もどかしいのですが。
その過程の中で、覚えていない、まだまだ思い出せていなかった過去の人生に出合うこともありますし、忘れかけていた今生での出来事を思い出すこともあったりします。
先日は自分が抱えている「恐怖心」恐れの感情ですね。それを再認識させられたりしまして…未だ克服出来ていない、この「その怖れの感情」の出所はどっから来ているのだろう? などと瞑想をしていたらば…
今の人生の話ですけど、3-6歳頃の記憶が蘇りました。
チャクラで言うと、第2チャクラが発達する時期ですね。
今の実家を建てる前に住んでいた、貸家での記憶。その家ではたくさんの不思議を体験しました。両親がその家に住むまでに3回引っ越していて、3回目に住んだ家でしたかね。私が生れてからは2回目でしたけど。それまでは古い木造のアパートの一階で、3歳の時に戦前からの建物である、その家に引っ越したんですね。なので、お風呂がありませんでした。途中で庭に簡易的な風呂場が作られましたが。
武家屋敷を模して作った家のようで、今の時代なら古民家って呼ばれるような家でしたかしら。ですが、武家屋敷(大家さんのご先祖様が武士)と言っても、鹿児島の母方実家…祖父が元々住んでいた先祖代々の武家屋敷を模した家…とは造りや間取りが異なってました。
大体は似ているけど、その家は御徒の家の間取りに近かったかな(武家屋敷と言っても、どれも同じではなく、役職で大きさや造りが異なるので。もちろん地域差もあるでしょうが)。玄関は一つで、あとは勝手口しかなかったし。
この家には、作り付けの仏壇があったんですが、その部屋ではよく怪奇現象がありまして、親は…とくに母親はそういうのに敏感な人ですから、その部屋のことを怖がって嫌っていました。何ていうのかな、人の気配がいつもあるっていうか、襖一つ隔てただけの他の部屋なんかと、なんか空気が違うけです。空間が濃厚って言うか。上手く言えませんが。
仏間でありながら客間でもあるその部屋は、家の中心に位置していましたが、いつも「誰か」がいたわけですね。
でも、私は平気なんですよ。というより、その部屋にいつもいたかしら。気に入っていた、というわけではないと思うけども。
んでもって、親からしたら、子供の奇行なんですけど。
私は、その仏壇の下を自分の「部屋」にしていたんですよ。
はい、仏壇の下って、お骨(骨壺)入れるとこですよね。
とても狭いとこ。まあ、幼児は入れる大きさではありますが。そこにみかん箱を持ち込んで机にして、仏壇のローソク(電気式)で灯りを取って、絵本とかを読んでいたんです。
一人閉じこもって。身体を動かすのもようやっとのスペースなのに。
それだけじゃなくて、とにかく隅っことかに一人で「はまって」いることが多かったんです。
ブラウン管のテレビの裏。置き方としては、斜めに置くから、三角形の隙間が出来ますよね、そこに入り込んでピッタリ納まっていたりする…
あと、箪笥の裏側。10cmの隙間にはまって、じっとしていたりするの…まるで挟まっているみたいにねっっww
お前は、Gかよって言いたいっっ
押し入れの中だと、布団の上に乗って、ではなく、二列に重ねられている布団の間の小さい隙間に入るんですよ、ピッタリと。あるいは布団の裏の隙間。
そういう狭くて隠れられるようなところを見つけると、自ら挟まりに、もしくは「はまり」にいってた。。
自分でも謎過ぎる、その行動。実に意味不明。
今の時代だったら、発達障害を疑われていたでしょうねっっ
でも、外では幼馴染(男子)や近所の子たちと走り回って遊んでた。田んぼでタニシを採ったり、ザリガニ釣りをしたり、かくれんぼや缶蹴りや虫取り、秘密基地なんかも作ったり、月光仮面ごっこみたいなのもやってたわけですよ。
だから、自閉症や知的障害を疑われたことは無かったなあ。
ただ、過去生のことを思い出したりはしていました。
夜になると、幽体離脱をして遊んでいたのもこの頃でしたっけねぇ。親は毒親でしたんで、その辺りは色々ありましたけど。
この奇妙な行動…何から来てたものなんだろう?って今更ながら疑問に思って、探ろうとするんですが、上手くいかない。思い出したくないのか?
「奴らに見つかってはいけない。隠れないといけない」
そういう声が聴こえてきたものの…
まあ、何かの体験に由来するのでしょう。
さすがにそこは、これまでの仕事上の経験から理解は出来ますけど(つか、普通はそう思うに至るよね)。何か思い出したくないこと、記憶の中に「忘れよう」として埋もれさせて封印していることが、まだあるんだなあ…と改めて思いつつ。ボチボチかなあ…
ああ、そう言えば。
その家の大家さんから土地を購入して、実家を建てた後、数年してからですが。大家さんと親は付き合いがあったので、曰く付きの日本人形をもらってきたんですよ。古い人形。
藤娘、だったかな。髪の毛が伸びるという人形。
もともと私たちが借りていた家に大家さんが住んでいて、その時からあったみたい。大きな家(お屋敷)を建てて、大家さんはそちらに住んでいたわけですが、人形もその家にあったのかな? それが我が家に何故かやってきたんです。
新築祝いとか、そういうのでもない。古い人形ですし。
たぶん、うちが女の子二人だったから(大家さんのとこも同じ女子二人だったけど)、「いる?」って感じでもってきたんだと思うけど。断れなかったんでしょうね。関係性が関係性だったから。
この人形に関しては過去にも触れていますが、母親が気持ち悪がっていましたので、子供部屋の押し入れに仕舞われることになりまして…。髪の毛伸びてて不気味なものだって話をしたとある人がオカルト好きで欲しがってくれたので、差し上げたんですけど…そうしたら、すぐに返品されちゃったんですよっっ はい。その家で色々と怪奇現象が起きるようになってしまい、どうやらこの人形のせいだってことで、結局戻ってきちゃった。
いやさ、そういう人形が欲しかったんじゃないの?っていうツッコミはありましたが。
我が家(私の部屋)にある分には、何も起きないので、今も実家の私の部屋だったところにあります。
それと今の人生でも、この種の仕事をしている性質上、ボーダーの人とかとはどうしても関わらざるを得ない(避けられない)っていうのがあったりしたわけですけども。幸いなことにここ最近はありませんが。
過去生でも、そのような方たちと関わって「逆恨み」をされて、その執着的(妄執)な念が今でも弊害をもたらしていたんだなあって、そこも改めて。
そうですね。今生で言うならば…
その昔、まだ20代前半の時ですけど、某新聞社で総務のバイトをしたことがあったんですが。そのバイト初日に午前中だけ、ご一緒した方がいたんですね。
ていうかー、午後(昼休憩)になったら、いなくなってたので、「あら?」と思ったら、午前中ちょこっと働いただけですぐに辞められた…ということでした。その方は経理補助で入って、私とは就業場所も業務も異なっていて、実質一時間だけ説明のときにご一緒しただけの方だったから「あら、そうなの」って感じで。
ところが一週間位経ってからのバイト中、もうすぐ終業時間だって時に、電話が私宛にあったんですね…出てみると、その辞められた方。苦しそうな声を出しながら「助けて…と」
そう言われたら、良く知らない人ではあるけれど、放っておけないじゃないですか。「心臓が苦しい、動けない」みたいに言われちゃったらば…
呼びつけられた駅にすっ飛んでいってしまいました。会社は八丁堀だったんですが、埼玉の「ここどこー?」って、行ったことの無い駅に行っちゃいました。
今の私だったら、救急車を呼べば?と…冷たく言ってしまって突き放してしまうかも知れません。だって、よく知らない人ですよ。一緒に働いている時に倒れたとか…同じ会社で長く働いている人ならともかく、たった半日ちょっと顔を合わせただけの相手ですもん。後で考えれば、「おかしくないか?」って気づくんですけどね。
だって、知り合いでも友人でもない人に…その人にしてみても、数時間で辞めた会社でちょこっと顔合わせただけの人に助けを要請するなんて、普通しないですもんね。私だってそんなことしません。電話するなら、昔からの友人にお願いしますわ。
でも、私ってばお人好しというか、考え無しのアホでした。危機管理能力が無いと言うのかな…もうね、バカかと。
ホントね、ボーダーの人って、そういう嗅覚が素晴らしく働くわけです。獲物を見抜く目?って言うのかしら。
そこに付け込まれちゃったわけです、私。
どんだけ甘いんだかなぁ。
それからが大変でした。
その人は売れない作詞家さんだったんですけども。メンヘラという言葉が無い時代。ボーダー(境界性人格障害)についてもまったく知識のない私。すっかり振り回されて、利用されてしまいました。あげく…
「なぜ私に親切にした! なぜ私を見捨てなかった!
なぜ、私を助けたー! なぜ食料なんて送ってきたー!
どうしてお金を貸したー!」
…って、
逆切れして、喚いて、騒いで、被害者面して、こちらを加害者のごとく責め立てるのね。
いやさ、「助けてくれ!」って、わざわざ私の名前を指名して電話かけてきて、SOSを送ってきたのはそっちじゃん。
電車賃も出させて、住む処がないとかで押しかけてきたり、食べる物がないって泣きついてきたり、色々取りすがってきたのは、アンタやん! なんですが…
ボーダーメンヘラさんには通じませんのよ。
うん。その後も、この手の手合い?に何度か遭遇しましたが。出くわす度に少しは学習したのかな??
クライアントさんでも、生徒さんにも、いましたからねー
いくつになっても、私はアホなんだなあって痛感します。
人は痛い思いをしないと学びませんねっっwww
こういうタイプ。第一種接近遭遇で危険信号感じたら、回避するためにいち早く撤退するしかないわけです。
「ヤバイ!」と感知したらば、即後退(逃げる)という具合にしないと、痛い目に遭うだけでは済まないんで。
して、過去生でも、何度か…やっぱなあ…って経験がありましたわけで。あら、私、学習してなかったんだあ…とorz
そうですね。シャーマンしていたときに、無縁仏的な亡くなった方を弔ってあげたら、感謝されるどころか、なんか… その人が抱えていた他の人への「恨み」をこちらに向けられちゃいましたーってのがあったりしてっっっ
いやさ私、あなたの死んだ原因に全然関係ないっちゅーの!
…なんですが。
成仏させてあげようとして、祟られちゃいましたって、マジ
笑えねぇ。まあ、修行不足以外のナニモノでも無かったのでしょう。力量以上のことに手を出したってことなのかな。
それ以外でも、生活苦の人に助け船を出して、あれこれと世話を焼くというか気にかけて、なんだかんだーしてた人生があったんですが…「余計なことをすんな!」と噛みつかれたのかな? そして逆に恨まれてしまったのでございましたっ
まあ、そうですね。たぶん、上から目線でされたように思われたのかもと思います。心が荒んでいる人にとって、親切って薬にはならず、かえって毒になることってありますもん。
私もむかーし若い頃にものすごくセレブなマダムと知り合って、色々とよくしてもらったことがあったけど、生活に差がありすぎる人から色々とされることって、やっぱ素直に受け取れないことってあるもんです。施しをされているように惨めな気持ちにさせられてしまうことがあるって言うのかな。
親切にする側は、そんなつもりではなく、純粋な気持ちからであって、悪意なんて一つもないんだけど。
そうですね。私の場合は、ブランドものの服をギフトされたり、ものすごーくリッチなところに食事に連れてってもらったりとか、最初の数回とかたまになら良かったんだけど、それが毎度でしょっちゅうのことというか、され過ぎてしまうと、まるで自分が「たかり」になってしまったような、それをしているんじゃないかと相手を誘いにくくなってしまう。
難しいですよね。「わーい!」と単純にありがたく受け取れれば苦労はしないんだけども。
その意味で、過去生の私は彼女たちに対して、とても無神経だったんでしょうね。相手がそれをどう受け止めるかって言う想像力が全然足りてなくて、配慮が出来ない人だったのかと思いますのよ。
与えるばかりが親切では無いし、援助っていうのは国が国に対して行うこともそうだけど、その人に見合った、本当に当人が必要としていることをしないと意味ないわけです。
かえって相手を傷つけたり、ダメにしてしまうだけだから。
まあ、そんなこんなで日々、まだまだ色々と続きます、続いてます。一体いつ終わるのかなあ、とため息をつきつつ。
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