悪縁は災厄を招く香り~人災とも言うべき因果(後編)
悪縁とはまったく違う話になりますが。
過去の人生において、夫婦や恋仲であった関係だからと言って、必ずしも今生で上手く縁の糸が結ばれるとは限らない…と言う話をば。
とあるクライアントさんのケースですが…
(詳細は書けないので、さっくりと触り程度に)
数年間片想いしている相手がいるとのことでしたが、どうにも如何せん、いい雰囲気になるのに、それ以上進めることが出来ないというか、いい感じに距離が縮まったと思ったら、連絡が途絶えてしまい、毎回振り出しに戻ってしまうとのこと。
ちなみにそのスタは、決して奥手で非モテなタイプではなく、見た目もアイドル系とも言うべきリア充で、恋愛遍歴もそこそこ…というか、まず外したことがないって感じ?
ようするにモテ系の方だったわけです。その方が初めてホンキの恋をしたというのに、苦戦しているわけです。初めての惨敗?
あ゛ーありがちだなあ…とも思いますが。
はい、この手の話、結構よくありますよね。女慣れ男慣れしているプレイボーイやプレイガールが本気になってしまった相手に対しては、臆病になってしまって、なかなか手を出せず素直になれず…なんて話も。
とは言うものの、そういうのとはちょっと違いますが。
なんでこんなに上手くいかないのか、はっきり振られるわけでも、相手に他に好きな人がいるとか彼氏彼女がいるとかそのようなわけでもないのに、同じパターンをぐるぐる数年間も繰り返している。これは単なる相性の問題とか、そういうのではないのでは?と… それでGoogleで検索してサイトを知って下さって、ここでならヒントが見つかるかもとピンと来たらしく…うちンとこのドアを叩かれたと。
(最初は、単なる恋愛相談なら、うちは違うと思うし、占いとかの方が価格も安いよ~とお断りしたのですがww)
はい、辛いですよね。しんどいです。蛇の生殺しみたいな、状態というのとも違うけど。まったくもって、太古の昔から、恋の悩みは尽きぬもの。
この問題以前に色々と「うわあ…」って、オーラに汚れがついているといいますか、氣の状態がよろしい状態ではありませんでしたので、何度か通って頂いて、それがかなり綺麗になった頃、ヒプノにトライして頂きました。
その前に相手の方との過去生での出会いなど、当方でリーディングはしていたのですけれど、やはり、当人目線で視て頂くのが一番早いのです。
すると、私が見させて頂いた別の人生で、お二人が夫婦だったことがありました。
はい、江戸時代は某県のとある城下町。新婚さんで仲睦まじい若夫婦で、細々と自営的な商売をしながら日々の暮らしの生計を立てていたのですが…ある日、夫だったその方が一攫千金を狙って、危険な儲け話に乗ることになり、妻であった相手の方の反対を押し切って、江戸に出て行ってしまったのです。それが今生の別れとなることも知らずに。
残された妻はどれほど泣いたことでしょう。そして、待てど暮らせど帰らない、便りも無い。気持ちの整理がつかないまま、消息も得られないままに、生活のため別の人と再婚せざるを得ず…でした。
そんなわけで、相手の中には「恐怖」があるわけです。再会は嬉しいけれど、それ以上に「また取り残される」「どうせまた捨てられる」みたいな相手を拒んでしまう気持ち。
当時の新婚時代の甘い生活での思慕の念よりも、自分の言葉を聞かずに去られてしまった当時の痛みと辛さの方が勝ってしまっているわけです。
そりゃ、素直に飛び込めるわけありません。
いくら、かつて思い合って結婚した仲だからと言って、自分を傷つけ、捨てて(決してそのような意図では無かったとは言え)、その後の苦労を押し付けた相手です。
(今は移動は自由ですが、当時は藩が違ったならば、町人や農民などの移動には許可が必要で、色々と制限がありました)
「そう言えば、相手は自分が仕事の話をすると、ものすごく嫌がると言うか、別の話をしようとするんです」
そりゃ、そうです。
ヒプノは、リーディングによる一方的な情報提示と違って、御自身に視てもらうことになるので、話が早いのです。
「ああ、そうだった、そうなんだな」と…頭では無く、心が理解してくれますので。瞬間的に腑に落ちて、納得出来る体験になりますから。
(とは言うものの、ヒプノをして、自身で視たり、体感できる人というのはさほど多くないので、総ての人に向いているセラピーでは無いのが玉に瑕と言いますか、残念無念なところ)
この場合、相手の方に対する彼の気持ちがいくら真摯なものであったとしても、相手側に「過去の痛みと恐怖」とも言うべきトラウマがありますので、その方の過去の傷が癒されないことには…なんですよね。
これは何も、過去の縁による出逢いに限ったことではなく、今生の出逢いにも言えることです。
10年で癒される傷もあれば、200年経っても癒されぬ傷もある。時間では無いのでしょう。もちろん、時間や年月が癒す傷、生まれ変わり、リセットされることで癒される傷もありますが。
そうですね。この場合のその方は、相手の当時の傷を理解する必要があります。自分が相手の心に残してしまった重荷。夫だった自分がいなくなった後、妻であった相手がどれほどの月日を過ごすことになったのか…それを知り、償ったり、心をほぐし、癒す手伝いをすること、それがための再会とも言えましょう。
再会して、恋に落ちて、結ばれて、めでたし、めでたし…
というような、男と女の関係ばかりでは無いのです。
傷つけあった心の傷を、自分が相手に与えてしまった痛みと苦悩を背負って、何も出来ず、近づけず…その傷に触れさせてもらう事も出来ずに、遠くから見つけるだけで、相手への叶わぬ想いに身悶えして苦しむことが必要な、そんな再会と学びの出会いもあるのです。
さて、悪縁とも言うべき、学びの相手との再会で、相手の方
が覚醒して改心したことにより、良縁へと成りえた関係の事例をば一つばかり。
相も変わらず、私事な話ですが…ww
Mさんという方と私の出会いは、今生で実は8回目。
今でこそ、穏やかに笑い合える関係ですが、当初というか数年前までは…「あら、またお会いしましたね」というような悠長な話では済まなかったのでした。
一つひとつを話すと、とても長い物語になってしまいますし、私は全記憶を所有しているというわけではないので、互いが思い出しているところ、思い出せたところ、第三者(透明なヘルパーさん)が伝えて下さった話などなどを繋ぎ合わせての双方とも理解だったりします。
で…Mさんと私は、どちらかというと、私の方がいつも、殺されちゃいました…ってな関係。一番最初の出会いは私が女でMさんが男性でした。どんなふうに殺されたか…などの詳細までは、流石にここでは書けませんが…
女同士での再会もあったし、男同士の時もありました(上司と部下みたいな)。とは言うものの、異性同士だった時に恋仲だったとかはありませんけどww
第三者の話としても、私がMさんのことを拒否してしまったり、恨んだり、憎んだり、殺したいとか、復讐したいなどと思ってしまっても、それは致し方ないんじゃない?
と、言えてしまうと思います。
この感情的反応と拒絶反応には私自身、随分と悩みましたし、自己嫌悪に陥り、苦悩する日々を送りました。
最初は解らないんですよ。
単純に良縁とも言うべき人たち(過去の恋人とか身内とか友達だった人)とは、出合った瞬間に「懐かしい」という気持ちとともに「久しぶりー元気だったー?」みたいな、思慕の情が胸いっぱい湧き上がって、すぐに思い出せてたんですけど。
前編に書いた、突き落としてくれたかつての幼馴染とか、罠に嵌めて冤罪のきっかけを作った人とかは、初見ではまったく解らないんですね。何故か…
ただ、強烈な引力みたいなのが働くのは間違いなく。
例えば、かつてフランス革命の末期、ジプシーの旅芸人だった時の人生ですね…動乱と混乱の中とは言え、私たち一家を人種差別からリンチして皆殺してくれたジャコバン派だった人たちに対しても、最初は解らず、思い出せず、むしろファンになっちゃいましたからねww
思い出してからは拒絶反応と嫌悪感がすごいんですけども。
はい、被害者ってのは、どうしても加害者に縛りつけられるものなんです。ものすごい吸引力で引力が働いてしまうというか。最初は好意と勘違いしてしまうものなんです。
だから、悪縁ある相手が異性である場合、その強烈な磁力を恋愛感情と勘違いしてしまうものだと言うのは、そういうことなんだって、このことで身をもって理解するに至りました。
でも、まあ‥思い出して理解すると、感情の落としどころは見つかります。とりあえず、ですけれども。
被害者側が気づくことで、今生においてはいったんの決着がつくと言うか、縁が離れていく場合もあります。前編にも書いた通り、あくまで今生においてであって、恒久的にとはいかないのですがね。
相手の学びが進まないことには、なので。
どんな関係も、やり直しは最低3回が目安ではあるのですが、残念ながら、その3回を超えることの方が実状では圧倒的多数なのでした。人というのは、そのくらい学ばない生き物ってことなのかと、哀しくなりますけれど。
Mさんと私との関係性は、8度目ということで…長い付き合いになってしまいました。けれど、もうタイミング的に打ち止めにしないと…な時期だったんですよね。
Mさんは直前の人生で、転換期を迎えてました。その人生では私たち、会っていませんが。そして今生での再会。
私はここ200年位は、今みたいな仕事はしていませんでしたけれど…この仕事を通して、Mさんと再会することになったわけです。最初はヒーラーとクライアントさんとして。
そして、私が霊気のティーチャーを取ったり、霊的知識(真理)を教えることになったことで、生徒さんとして私のところで学んで下さることになり、私たちは互いの縁というか因縁(歴史)に気づくことになったのでした。
そうですね。
Mさんが自分の問題と真摯に向き合い、心からの悔恨を通して過去の懺悔をし(私に対してだけではなく、すべてのご縁あった人、自分の過去の過ちに対してです)、その罪と向き合い、償いの気持ちを持って、自分もご縁のあった人々への癒しを実践し、日々誠実に生きられることを選択されたからこそ、今の私たちの善き関係があります。
たまに彼女の中の過去の悪い癖(ネガティブエレメンタル)が顔をもたげだすと、途端に私の中の彼女に対する厳しい目線(被害者側の意識)が反応すると言うか目を覚まして、それをペシペシ叩くようなことをやっちゃいますけどっっ汗
今では頼もしい助っ人で、よく私を助けて下さるし、支えても下さっています。ここまで来るのには随分年月が掛かりました。いやさ今生でも長かったけれど、数千年単位のことですから、まだ始まったばかりと言えばそうですね。
けれども、互いにとって必要な学びで、貴重な縁でありました。色々な経験が出来たと思います。その意味でとても深く感謝しています。この人生だけでも、過去からの人生においても。
かといって、かつての被害者だからといって、その立場に胡坐をかいて、権利を主張する気もないし、加害者として糾弾する気持ちは今はもう無いです。このような気持ちを「知る」がための何度もの出会いと再会で巡り合わせ、ご縁だったのでしょう。
とは言うものの、それは相手の反省と改心、覚醒ありき、なんですよね。未だ気づかぬ人に関しては、そのような気持ちを持つのはとても難しいです。
被害者が加害者をいつまで経っても許せない気持ちを知ることも出来たし、復讐心を抱いて、それを実行してしまう人の気持ちも理解出来たし、赦すことの尊さも知ることが出来ました。こういう貴重な経験、人生を生きることが出来たこと、それが出来ないよりは…知らぬままでいるよりはずっといいことなんだって、思います。
何も知らない、綺麗なままでいるよりは。
そして、相手を赦せない気持ちも仕方ないかな。
とりあえずいったん〆。
また補足や何かあれば、別途記事にて。