子(夫)の問題は親(妻)の問題〜与え与えられるレッスン②
大変な時代は強い人間を生む
強い人間は良い時代を作る
良い時代は弱い人間を生む
弱い人間は大変な時代を作る
byロシアの諺より
※日本の親の、何でもしてあげる買い与えるなど
子の要求を満たすことに専念する、過保護な子育てに関して
ピロシキーズの小原ブラス君が上記の言葉を思い出して記述していた
すべての子がそうなるわけではないが、家庭や母親の不安定さが、子供の心理状態に影響を及ぼすことは間違いない。
子供の不登校で悩み、相談にやってくる人のほとんどは、偶然の一致やたまたまかも知れないが、過保護や母子癒着という、親離れ子離れ出来ていない、双方が自立できていないケースだった。
豊かな時代が故に、親は子供に物だけでなく時間も手も与えすぎ、
先回りして歩くであろう道から、すべての危ないものを取り除こうとする。
ようするに、子供から自我の目覚めを奪ってしまう育て方。
一言で言うなら手をかけすぎる。心配しすぎるし、全部を把握しようとしすぎる。つまりはコントロール欲求。
自分の人生の代替物として、思い通りには上手くいかなかった自分の人生を、子供の人生を代償としてコントロールすることで、埋め合わせようとしているのか…
そして本来ならば、母親はパートナーたる配偶者に求めるべき役割を、小さな恋人としての子供にそれを求めてしまうから、共依存と言う、病み歪んだ親子関係も時に生まれてしまう。
夫婦や恋人同士の共依存ってのは、なんだかんだ他人だから、離れて距離を置くことで解決することもあるけど、親子の場合はなかなかどうして厄介だったりする。
昔は子供の数が多くて何人もいたから、一人に手をかけてられないってのがあって、よしんば兄弟姉妹間でえこひいきや差別があったとしても、特別扱いされない子が複数いるならば、自分だけがハブられているわけではないってことで、それはそれで兄弟姉妹同士で連帯感も生まれやすく、他の兄弟姉妹を手本にして育つこともできるから、親をあてにしないでそれぞれが勝手に自立する環境が整ってたような気もする。
けれど、今は多くても二人とか一人っ子とか、兄弟姉妹の数が減ってしまったこともあって、親の愛情や関心の方向性を一人で背負わないといけない子も増えてしまった。
一人っ子に限ったことではないが、親の愛情と関心を一身に受けすぎてしまった子は、庇護されすぎることから精神的に弱くなるし、ほんの少しのことで挫けてしまう、脆すぎる子が多い。
その反対で両親もしくは片親が多忙、あるいは無関心の極みで、突き放されて育った子もいるのだが…
幼少期の環境において、親に囲い込まれてしまった子は、いつまでも母親の胎内に取り込まれてしまったカンガルーの子のように…「自分」というものの核を、母親に依存して預けっぱなしのまま生きている。
まるで自分の生きる世界は、そこにしかないのだと言わんばかりに、なかなか新しい世界への扉を開けようとしない。
母親なしには、母親という養分が常に寄り添っていないことには。
そんなわけで、子供の問題で悩んで訪れる方の背景には、カルマのレッスンと言えばそうなんですけれども、必ずその方自身の問題が隠れているというのがあります。
というか…
お子さんが表している問題そのものが、
お母さんの問題を顕現しているのが事実かなと。
子供が引きこもりだとか不登校っていう人の多くは、そのお母さん自身も社会と断絶した生活をしていたり、周囲の人間関係とくにコミュニケーショントラブルやコミュニティとの軋轢や和に入れない問題を抱えていて、配偶者を心理的に拒絶していたりで子供にしか関心向けてなくて、独身でもパートナーがいないとか、非社交的で閉鎖的な人が結構多いんですよね。
だから子供の問題と向き合うことで、他人と交わって、外の意見に耳を傾けて、自分の依存心や依頼心を手放すこととか、精神的自立を問われている…そういうケースを多く見受けます。
あと被害者意識がやたらと強いお母さんが多いのも、特徴のような気がします。周囲の人はみんな自分を傷つける人だって、そう言わんばかりに攻撃的なほどに過敏に反応する。
そしてこれもやっぱり、感謝が足りない人だっていうのも、様々なことに共通することです。
まあなんて言いますか…子供の問題行動 適応障害とか不登校とか、そういうことに悩む人は、まず自分が抱えている問題について、色々と振り返って考えて、そこから取り組んで解決しようと試みるほうが、ベストのような気がします。
自分が子供に与えてしまっている悪しき影響、そして自分が子供から奪ってしまっているものについて考えて…
この出来事は何のために起きているのか
自分に何を教えようとして起きたことなのか
自分がこのことから学ぶべきことは何なのか
子供を通じて自分が学ばされていることは何か
そういった自分が成長するべきポイント。子供が自分に何か教えを与えようとしている教師という存在であるという視点で、一緒に成長しようとするのが正解でしょうね。
実際に子供は親に与えられた「ギフト」であり、一番身近な自分の問題を表わしてくれている写し鏡でありますから。
子供を通じて、提示されているレッスンを直視するだけでいいんです。