魂の道しるべ~恐怖という指針
「恐怖体験」というと、トラウマの要因として知られており、
重篤になるとPTSDを発症してしまうのですが…
時に軽度のトラウマ的出来事が、
当人にあることを「知らせて」いたりもします。
警告というか「運命の道しるべ」として。
もちろんPTSDを発症するほどの体験ではなく、心に強いインパクトを与え、
後々まで忘れられないような強い印象と、人生に影響を与える出来事という程度の体験のことです。
例えば、先日クライアントさんから、子供の頃に芥川龍之介の「六の宮の姫君」を読み、このお話をとても「怖いお話」だと受け取り、この姫のようになってしまったらどうしよう…と、後に尾を引く強い恐れをずっと抱いてしまったとそう伺ったのです。
実はこの恐怖心こそが、この方が今生に生きる上での、
「ヒントと警告」だったりするのですね。
この「六の宮の姫君」については、過去記事でも引用したことありましたけど、今回のクライアントさんの場合も
「自分からは何もしない、受け身の人生を送ってはダメだよ。
誰かや何かに 依存して生きるのではなく、
そして誰かや周囲や運命のせいにすることもなく
自分で考えて感じて、
自分から進んでリアクションを起こして、
その行動に自らが責任を取って、
生きることを積極的にしないとダメだよ」
ということを、過去の人生から得た後悔と反省として、自らの心に深く刻みこんでいたのです。それはもう戒めのように…
なので、「六の宮の姫君」を読んだとき、我が事として「姫君」の人生に恐れを抱いたのですね。それは本能というか。感情的な反応として。
再びの人生としてこのような人生を、生きることになったらどうしよう…
また同じことを繰り返してしまったらどうしよう…と言うように。
ある意味でこの物語を読むことになったのは、偶然なのかも知れないけれど、(教科書に掲載されていて、たまたまかも知れませんが) 必然でもあったのですよね。主旨が同様のお話や類似のテーマを扱ったものも、本以外に映画とか他にあるのかもしれませんが。
記憶としては憶えてはいないけれど、自分に必要な「なにか」を思い出させるために、人生の早い段階で選択して「読ませた」意志の意図がそこには介在しているのです。
それは第三者ではなくて、その人自身の本質たる本体…いわゆるホームグラウンド…母体であり故郷として存在する魂のこと。
そこにはすべての情報と記録がありますから。
そんな風に、人生の早い段階において、心に深く刻まれるようなインパクトある出来事や強い印象を受けた事象、トラウマになるような恐怖を覚えたこと。それは魂が今生のテーマとかミッションについて、道を示唆するヒントを与えてくれているのです。埋もれている記憶を呼び覚まそうとするかのごとく…
「これだよ」
「この中にあなたのとるべき道、進むべき方向性へのヒントがあるよ」
「このことにあなたの今生のレッスン(ノルマやタスク)が隠れているよ」
というような…
だから「恐れ」というか恐怖を抱いて、乗り越えられない壁のように感じてしまう出来事というのは、実のところそれさえ克服してしまえば、これまでの自分の枠を超えて大きく成長できる道で、抵抗するのをやめて降参して、そのテーマと向き合うことが出来れば、生きる上での人としての大きな力も手に入るし、なかなか手に入らない欲しいものも手に入るだろうって、そんなレッスンだったりするのです。
だから、そうですね。
人生が思うように上手くいかない人は、子供のころから自分が抱いている「恐怖」昔から自分が恐れていること…や、これだけはイヤだって思っていることについて、自分が抵抗して目を背けていることが何なのか、一度考えてみると良いと思います。
心に強い印象を残した出来事はどんな出来事だったのか、いつまでも忘れられないインパクトのある出来事や、それらについてどんな風に考え感じているのかも併せて、そんなことについて振り返ってみると、違った視点から今の自分の問題点や克服すべき事象など、見えてくるものが色々とあるかも知れません。
極端な話、仏陀(ゴータマ・シッダルダ)が、
ヒンズー教の階級制度(カースト)に疑問を持ったり、
「私はそれが悩みなんです
老・病・死、これが解決されなければ
何のために生まれてきたのかわかりません
死ぬために生きているようなものです
これを解決するために、城を出させてください」
と"四門出遊"を悩んだように…
「疑問」を抱いたり、心に苦悩をもたらす出来事と事象のすべてに、自分が向き合って追及すべく、その人の課題があるのです。
さすれば道は開かれん…と。