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『ONODA 一万夜を越えて』観てきました

観てきましたー とにかく長い映画でした。約三時間っっ ボリウッド映画並みの長さ。トイレ我慢するのが辛かったです。

そうですねぇ…スペシャルのテレビドラマ(前後編)、でも良かったようにも思うけど、映画で無いと作れないってのもあるのかなあ。出演者ほとんど日本人のドラマだけど(フィリピンの方たちはエキストラ的な感じ)、監督はフランス人であちこちの国との合作なのね。なので、日本映画的な戦争モノと一味違って、フランス映画的な脚本と構成。そこがともすると、単調で間延びしてしまうシーンもあったりするのだけども。

「トラ・トラ・トラ 我奇襲に成功せり」は子供の頃に見ましたが、アメリカ主導の合作作品なので、テイストがまったく違います。黒澤監督が絡んでいたとは言え、完全にハリウッドスタイルの娯楽作品なので。それにしても、田村さんカッコイイ💛

リアルに小野田さん帰国のニュースをテレビで見ていたものとしては、何とも…な感じではありました。その前には横井正一さんも帰国されていたけど、横井さんと小野田さんは全然違うタイプって言うのかなあ。写真でも解ると思いますが、雰囲気とか目つきがまったく違うわけですよ。横井さんは本当に普通の人のよさそうな人。けれど、小野田さんはとってもシャープで、ナイフのようにとんがった感じの鋭い目つきの方でした。

横井さんが帰国された年は、沖縄が日本に返還された年でもありました。これも結構、鮮やかに覚えてます。それ以前の甲子園(高校野球全国大会)では沖縄の高校も参加することは出来たけど、検疫により甲子園の砂を持ち帰ることが出来ず、船から泣きながら球児たちがその砂を海に撒いていたシーンが印象的でした。

で、横井さんや沖縄が日本に戻ってきた2年後。

こんな風に、数十年の時を経て、戻ってきた人たちがわずかながらもいたことに、帰らぬ息子を待ち続けた母親たち、家族が希望を繋いだものでしたね。「ビルマの竪琴」の水島さんみたいに、現地に残ることを選んだ人たちもいましたけれど<ミャンマーやインドネシアの独立戦争にゲリラとして参加した日本兵の残党がいた。※水島さんは僧侶になりましたが

ビルマの竪琴と言えば、埴生の宿ですかね

インドネシアに親日の人が多いのは、このような背景もあったからです

して、忘れちゃいけない「岸壁の母」

はい。息子はきっと生きている。きっと帰ってくるって、信じて待っていた、たくさんのお母さんたちがいました。京都は舞鶴に行って、今度こそはとずっと…と待ち続けた母たちが。歌にもなったし、ドラマにもなりました。

そういう理由で母方の祖父の兵歴に、帰還地が舞鶴と記載されているのを見た時、何とも言えない気持ちになりましたっけ。

そして

日中国交正常化で…旧満州に取り残された日本人が戻れるようになりました。日本列島改造化計画の頃ですね。

同じ頃、毎週のように新聞の一面、二面、あるいは見開きで、残留孤児の写真が掲載されていました。「私を知りませんか? お父さん、お母さん、兄弟姉妹を探しています」と…

さてさて

それで映画の感想なんですけれども。うーん。やはり脚色が入っているので、時系列がちょっと事実とは違っていましたね。赤津さんの投降時期や島田さん、小塚さんの死亡時期と亡くなり方。まあ、ドラマを成立させるためには必要な変更なのでしょう。

あと、時おり出て来てた、あのBLを思い起こさせるようなあの雰囲気、あのシーンは・・・何?って感じです。一人遊びのシーン位なら、状況が状況なだけにあって然りかと納得できますけども。この辺り、もしかしてこの監督は大島渚監督の影響受けてるのかなあ?って思いました。「御法度」や「戦場のメリークリスマス」絶対に見てるだろって、ハイ。たぶん、アレを日本の武士道の文化?伝統?として捉えて、あんなシーン入れたんかなあ…そんな気がする。まあ、衆道は武士道の文化っちゃあ、文化でもあるけどね。

云えているのは、津田さんがもう、スゴイ!の一言。この映画の小野田さんを演じるためだけに役者になった人なんではないだろうかってくらいの、嵌り具合つーか、そっくりぶり。まるで憑依されたのかってくらい、なりきりぶりです。殺気とか出てるし。津田寛治さんは、ドラマ「働きマン」でカメラマン役を演じられた時が初見の役者さんなんですが、味のある人で脇役専門の方かなって感じでしたけど、迫真の演技でした。若いときの遠藤さんの狂気みちた雰囲気も良かったですけれど。

はい。イッセー尾形さんも、良かったです。あの強烈な個性とクセが、マッチしていた役でした。それ以外だと、名の知れた俳優さんは島田久作さんが出てたけど、他の役者さんたちはほぼ無名に近いのでは無かったかな。でも、それが良かった。とにかく皆さん、はまり役でした。んでもって、鈴木さん役の俳優さんは、1970年代の若者な雰囲気を上手く醸し出していました。

そうそう、それで気が付いたんですけど、戦中戦後の時代の人…つまりは役者(女優男優)さんと今の役者(女優男優)さんって、発声や発音が全然違うんですよね。声の出し方が全く違う。同じ標準語でもイントネーションが異なっていたりする。そして、体系も違う。今の人たちは骨が細くて、スタイルが良くなっているから。歩き方とかも違うわけです。所作以前に、体重の移動の仕方とか、全く違いますからね。これは生活様式が異なってしまって、使っている筋肉とかも違うから、仕方ないです。

だから、今の時代の人たちが時代劇やると、どうしても嘘くさくなっちゃう。椅子やソファーに座る生活をしている人と、ちゃぶ台に座布団の生活をしている人では、身体的な動きが違っちゃうんですよね。靴と下駄の歩き方もそうです。下駄や草履だと、内股に力入れないと歩き憎くて転びますからね。けれど、靴だとつま先に体重が掛かる。靴の歩き方で着物着て下駄履いて歩くから、所作が変になる。

そんな中で、この映画は頑張っていました。当時の漢字を使っていたり、役者さんたちも減量をして、髪型や服装も再現していたし。ただ、文字はね。当時の人が書く字では無かったです。昔は楷書で、筆書きでしたから。それを見て字を習った人は、あんな文字は書かない。

ちなみに私が子供の頃、習った字と今の字って違うんですよね。使わなくなってしまった字(ひらがな、かたかな、漢字)もあるし、書き方(書き順ではなく形)も違う。未だにひらがなは昔習った形で書いてしまいますがねww

後、映画のことではないんだけど、フィリピンの人たちのこと、考えてしまいました。小野田さんは当時のマルコス大統領(この人も色々ありましたねー、イメルダ夫人の靴コレクションにはビックリしたけれど)に恩赦と言うことで、罪を咎められることなく、日本へと引き渡されたけれども。

フィリピンのジャングルを不法占拠?していただけでなく、村人からモノを盗み、田畑を焼き払い、生活を邪魔し、脅かしていただけでなく、大勢の村人を殺してしまっていたわけです。映画の中では、そうしたシーンも多少描かれていたけれど。日本人としては、何とも言えない気持ちになりました。村人の立場と言うか、殺された人たちの遺族の方の心情を思うと、うーん…って。日本政府としては謝罪の証として3億円を賠償金という形で、払っているわけですが。村人や遺族の人に渡ったのかなあ‥とも。何しろ汚職にまみれたマルコス大統領の時代だもんなあ。

だから、フィリピンの人は未だに日本人嫌いって人もいたりするわけです。祖父母を日本兵に殺されたって恨みに思っている人、けっこういるし。

このあたり、同じ南太平洋は南方戦線でも、パラオやラバウル、ニューブリテン島に派兵された水木しげる先生と現地の人たちの交流とは異なりますね。いやさ、そちらでも反日本という事で現地の人たちがゲリラ化し日本兵狩りで、襲ってくるということはあったわけですがね。

とりあえず、まあ、あれやこれや物思わされる映画ではありました。小野田さんの孤独な闘いを戦時教育の狂信的洗脳と見なすか、武士道(大和魂)として見なすかで、見方がかなり違ってしまうと思います。ただ、ヒーローではない。美化して語られる物語ではない…と言うことだけは言えると思います。

その辺りは、帰国して日本に馴染めた横井さんと、馴染めなかった小野田さんの違いでもあるのかなって…その事実、差が如実に表しているような気もします。そして二人の対談が実現しそうでしなかった理由でもあるのでしょう。

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