かぐや姫&風 ‐ 22才の別れ ‐ 1973
基本ロック好きですが、もちろんフォークも好きですし、
好きなグループも曲もそれなりにあるわけで…
流行っていて、よく耳にした歌は、心に刷り込まれてるって感じですね。
思い出と共にあるといいますか、時代を彩り風景として存在していたヒット曲というのは、懐かしさと郷愁を呼び覚ますもので…いつまでも耳に残り、心に深く刻まれて、生涯忘れることがないのです。
須藤リカ&南こうせつとかぐや姫「海のトリトン」1972
風もかぐや姫も、よく流れていた歌を知っているだけで、聴き込んでないし、すべてのアルバム(収録曲)を聴けたわけではないですが。この曲はタイトルや歌詞の内容もそうですけど、イントロからして物悲しくて、何とも切ない気持ちにさせられます。
かぐや姫があっての風になりますが。
「神田川」1973
この曲のタイトル「神田川」ですが、曲(歌詞)の情景は、
文京区にある江戸川(=神田川)のことで都電荒川線の面影橋辺り(作詞を担当された喜多条忠さんが、その付近に住まわれてたそう)
早稲田と学習院の間くらいのとこなんですが…(椿山荘近く 限りなく新宿区よりの新江戸川橋公園のあたり)桜の季節には、とても綺麗なビューポイントがあるんですよ。
ちなみに我が家からは近いです<徒歩30分位かな
早稲田大の近くには、確かに古い下宿が少し残ってます。
モデルになった銭湯はもう無いですが。
秋葉原から御茶ノ水経由して、水道橋のあたりの神田川にも、その昔は四畳半フォークっぽい建物がたくさんあったけれど…今は建て替えられて、無くなってしまいました。
そして、かぐや姫というとあとはこの二曲が有名かしら。「神田川」を含めての四畳半三部作になるけども…
「赤ちょうちん」1974
「妹」1974
この歌をテーマに、映画も作られました。
妹役は秋吉久美子さんでした。
映画「妹」予告編 1974
秋吉さんは、今でもとても若々しくて、お綺麗ですよねー
で…かぐや姫の「22才の別れ」1973
そしてアコギでなくて、エレキなバージョン。
風のデビュー曲になった、「22才の別れ」1975
カバーというのとは違うのです。
カバーやリバイバルはよくあるけれども…
では、かぐや姫と風とで、何が違うのかというと、
かぐや姫が解散したことで風が結成された…
こんな感じで、「22才の別れ」はかぐや姫第二期の曲で、
かぐや姫が解散したので、伊勢さんが自分の持ち歌を次に結成したデュオでデビューした…
風「君と歩いた青春」1976
すなわち「22才の別れ」は伊勢さんが作詞作曲した歌なので、かぐや姫解散後もご自身の持ち歌として風で歌われていたわけです。
だからソロとして、こうせつさんもかぐや姫時代の曲として、この歌を歌うことあるし、伊勢さんも風および自分の持ち歌として歌うわけです。
風「海岸通」1975
でもって…当時の人及びその以前の世代の人には、この歌の意味、女性の心情が理解できると思うけども…今の人にはピンと来ないというか、ぶっちゃけ解らないでしょうね。
むしろ、「なにこの女、二股かけてるし、ほかの男との結婚を黙ってるなんて酷くね? 最低女じゃん」になるかな?
この歌の歌詞を理解するためには、当時の常識とか世相とか、価値観やら結婚観など、昭和の当たり前をまず知らないといけません。
風「雨の物語」1979
この頃はまだ女性というのは、結婚して子供を産んでこそ一人前と思われていて、世間一般の常識(認識)として、女の幸せは結婚して子供を産むこと…
というような、型にはまった考えがあったのです。
学生運動だの、ウーマン・リブ運動だのも盛んだったけれど、社会はまだ男尊女卑で、女は結婚したら専業主婦をするのが普通で、結婚は家と家同士の問題で、婚家に"嫁ぐ"という感覚であったのですね。
なので早く結婚は(永久)就職的な意味合いがあって、誰もが結婚するべきであって、1980年代のトレンディ・ドラマの時代でさえも、24才はクリスマス・ケーキと揶揄する言葉もあり、25才は賞味期限切れの行き遅れで、負け組とか勝ち組とか…そんな言われようだった時代。
かぐや姫「なごり雪」1974
そのさらに前の1970年代では、22才も行き遅れだったのですね。ていうか、適齢期でお見合い話とか、親戚が結婚しろとめっさうるさいお年頃。
この歌に歌われてるように、17才から22才まで女性の一番いいときを過ごして、それでいて5年も付き合ってて、結婚という将来を約束してくれない相手。共に生きる未来を示してくれない相手ならば別れなさいって、親も世間も周囲の人は思うわけです。もちろん本人も心理的に追い詰められてる。
本人が不安に思うだけでなく、周囲からのそうしたプレッシャーは半端なかったはずです(20才過ぎた頃にプロポーズがあって、婚約してなら違いましたけど)。
かぐや姫「今はちがう季節」
22才で、5年も付き合っている人がいるなら、結婚して当然であって、それを結婚の字も出ない人なら、それはもう遊ばれてますよ…先の約束もしてくれないなら、別れて別の人探しなさいって、誰もが思ったでしょうし、言われてしまう時代だったんです。
今の時代なら、30才過ぎて独身なんて珍しくもないし、40過ぎての出産もありますけどね。事実婚とかの選択肢もあるし。結婚しない自由があるけれど。
でもねー まだまだ当時の常識は古かった。
かぐや姫「加茂の流れに」1972
だから、待つことは難しかったと思います。相思相愛の恋人がいるけど、その恋人は結婚を言い出してはくれなくて、自分はもう22才になってしまって、不安でたまらないっていう状況で、周囲からの薦めを断れずにお見合いをすることになったのでしょう。
その恋人と別れてない状況でお見合いをして、並行して付き合って、別れを言い出せないまま結婚話が進んで、結婚式も決まったのに…まだ結婚することをいいだせない…
それって二股じゃん?? って現代の感覚ならそうでしょう。
女性のほうが不実だって非難されるとこですね。
かぐや姫「雪が降る日に」1972
でもね、昔はそういうの多かったと思いますよ。当時の感覚だと。今のとは違うのです。状況や常識が…立場がまったく違うから。
ギリギリまで恋人からの「結婚しよう」っていう言葉を待っていた。それを聞きたくて、ずるずると離れられず、ただ待っていて…その言葉を言われたらお見合いも断って、結婚も直前で断って逃げ出して、何もかも捨てて着いていく勇気を持てたのにって…
そんなところまで追い詰められる女性は多かったってこと。
風「あの唄はもう唄わないのですか」1975
今の時代の常識で図ると、酷い女だって話になるけど 違うんですよ。昔の女性は、自分だけの気持ちや意見で、自らの処遇を決められない。そういう人も多かったのです。そんな中でも自分を貫ける人いましたけど…
そのような女性はほんの一部ですね。
社会的にも職業的にも、まだまだ女性の地位は低くて弱くて、女一人で生きていくには辛く厳しい時代でしたからね。
だからこそ、結婚というものは一生の就職であり、重要な人生の選択で…好きな人と一緒になりたいものの、それができない。待ちたいけれど待てない。こんな選択しか出来なかった女性の気持ち。それが当時の世相なんですわ。
変わりいく時代のはざまの最中ではありましたけどね。
かぐや姫「置手紙」
だから、今の時代の人が歌っても伝わらない歌。当時だから、あの時代だからこそ、様々な女性の胸に響いた歌。
自分の立場と重ねられて、泣くことができた歌なのでした。
そしてこの曲ですが、
編曲をされた石川鷹彦さんのギターがまたいいのです。
もうね、スバラです。神です、神。
石川鷹彦「22才の別れ」
この繊細で透明感のある音色、柔らかなタッチ、マジたまりません!
日本人のギタリストは、こういうデリケートな優しい音色を奏でられる、ソフトなタッチが秀逸で巧みな人が多いです。
本当にギター界のゴッド・ハンド!!
伊勢さんが作られる叙情性豊かな歌詞とメロディ、
切なさと翳りある韻律も素敵なんですけども…
石川さんのギターテク、演奏の素晴らしさも忘れてはいけないなって、改めて思ったり。
うん、エレキだとね。どうしても外国人のダイナミックなプレイにかなう人って少ないんだけど、アコギだと日本人独特の指先の器用さが長所になっているというのかしら。
そして、譜面として書かれるものではあるけれど、メロディとして奏でる音の違いは、耳の違いも大きいと思うのです。(例えば欧米人は、虫の音を音として捉えることが出来ない)
日本人の耳が拾える音質と音域の違い、その耳の違いが、そのまま和製フォークと欧米の曲とのコードの違いとして出てるような気がするのです。
こっちの加藤和彦さんとの共演も貼っておきます。
アコースティックギター入門(1996年)加藤和彦&石川鷹彦
てなわけでこの曲って、日本人ならではのフォークの和の旋律で書かれた美しい曲で、日本人独自の文化と風情から生まれた歌詞で…日本人ギタリストにしか奏でられない、繊細なテクニックとが上手く融合して生まれた、素晴らしいメロディの日本の歌・名曲だと思うのです。
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「My Favorites〜音楽のある風景」
2020/12/28 掲載記事より転載