ぐるグル
はじめに
中学2年生の頃に書いた小説の原稿がそのまま出てきたのでそのまま載せました。
読み難く、文章の構成もひどいものですが、
お読み頂けたら、とても嬉しいです。
死してなおこの世に留まる死霊。
それを追う、謎のグループ。
死霊と人を判別できる少年が、ひょんなことから彼らと出逢い、どうなっていくのか……。
序章
タタン、タタン……タタン。プラットホームへ電車が入ってくる。薄汚れた柱と壁と床。
地上であるにもか関わらず、薄暗く陰気な灰色の場所。ここは東雲駅。
逆方面へ向かう電車を待っているのだろう。今来たものには見向きもせず、少年が一人、柱に凭れている。
ぷわぁぁ。間の抜けた音がして、列車の戸が開いた。少年は、ちらりと、後ろのベンチを見やった。
そこには帽子をかぶった男が一人眠っている。この男はさっき、少年に彼の行き先を尋ねてきた。
不審に思ったが、正直に答えると、男はベンチに戻り、今のように眠り始めたのだ。こちらからは、その背中しかみえない。
彼を見たとき、少年は何となく眼に疲労を感じた。誰かを見て、それがぼんやりと映ったり、眼に違和感を覚えることは昔から度々あったことだから、彼は別段気にもしなかった。眼をこすりながら少年は、電車から降りてきた人々の方を何気なく見た。
そして彼の目は、こちらへやってくる五人の男女に釘付けになった。
色の濃い薄いの差はあれど、皆黒い服を着ている。無駄に広いホームには、彼らを除いて人はもう殆どいない。
ホームを掃除している駅員と、例の帽子の男がいるだけだ。
少年は柱から離れ、少しばかり五人組に近づいた。彼らはゆっくりと歩いてくる。
人の足音に、ベンチの男がふと顔を上げる。
少年を振り返り、彼がそこにいるのを確かめると再び眠り込んだ。その一連の動作に、少年は気づいていなかった。
五人はホームの中ほどで止まる。ちょうど少年と帽子の男の間に彼らは立っている。
彼らの内で一番背が高くがっちりした体格の男が、傍らの女に声をかけたようだ。少年のいるところからは、彼の声はよく聞こえない。
ずっと俯いていた女が、ひょいと相手を見上げる。その目元は薄茶のサングラスに隠されている。
彼女はこの集団の中で最も小柄で、かなり痩せている。そして、彼女は一風変わったショルダーバックを持っていた。
大型で縦型の鞄だ。彼女の後ろにいる青年も鞄を持っているが、彼のそれは、ごく普通の茶色い革の鞄だ。
彼女の肩をざらりと流れる、長さは不揃いだが美しい黒髪。女らしい曲線を描く引き締まった躯。
黒い長ズボンと、同色のブーツに包まれた脚は、ほっそりして頼りなかった。
容姿は抜群の彼女を、美人だなと少年は思った。ファッションモデルか何かかとも思ったが、このどこか怪しげな集団の中にいてそれはないだろう。
「また私が?一人で?」
細い顎と頬が動き、とても投げやりな口調で女が喋った。彼女の声は少年にもよく聞こえた。
男がさも当然のように首肯する。そして、彼女に手振りを交えて話し始めた。彼の言葉は、司にはよく聞こえない。ただ、命令口調であることは判った。それに対し、特別低くも高くもない平板な声で、女が口を開く。
「つまり、右を消すのか?右だけか?左も消していいのか?」
だが先の男は彼女に、消すなとだけ今度はいやにはっきり言った。女は黒いコートの腰のベルトを緩め、あげていた裾を下ろしながら、面倒くさそうに頷いた。数歩大股に歩き、男が振り返って彼女に言った。
「あぁ、もしあれだったら連れてこいよ」
数歩大股に歩き、男が女を振り返って言った。何かを彼女一人にやらせるつもりらしい。その上 注文を付けられ、彼女は苛ついたようだ。コートの裾を丁寧に整えていた手をとめ、相手の顔も見ずにはっきりと、司にも聞こえる声で言った。
「判ったから、さっさと行っちまえ」
「何だその態度は!」
彼は怒りを露にし、彼女を拳骨で殴ろうとした。その横で、鞄を持っている青年が首をすくめる。まるで自分が殴られそうになったかのようだ。 だが女は、自分に振り下ろされた拳を難なく受け止めると、ねじり上げた。ますます怒る男。ホームの端の方を掃除していた駅員が、揉め事かとこちらへ走ってくる。鞄を抱えた青年がそれに気づき、自分から駅員に近づいていった。青年と駅員は、少年や少女たち、帽子男のいるところからかなり離れた所で言葉を交わしている。青年が 駅員に頭を下げているのが、柱の向こうにみえる。
青年が巧妙にとりなしたのだろう。駅員は喧嘩している男女の元へは来ず、掃除用具を片付けにホームを去った。
青年が戻ってきても、まだ二人は啀みあっている。残る二人は怒鳴る男を避け、微妙に距離を置いて傍観している。
青年は呆れて彼らを引き離し、女に何か言った。青年に叱られたのか、彼女は軽く俯いてしまった。
そして青年は男にも何か言った。男が大げさに肩をすくめる。こちらも諌められたようだ。
男はなおも怒りながら、残りの者を率いて去りかけ、だがその青年が来ないのに気づくと、
「おい、行くぞ」
と、かなり不機嫌そうに彼を呼んだ。
「じゃ、またな」
青年は男について行こうと少女に背を向けた。
「生きて帰ってこいよ」
彼女に背を向けたまま言って、青年は先に行ってしまった仲間を追った。
彼女は独り、置いていかれた。女は彼らの消えた方をちらりと見て、それから首を右に巡らせた。そちらには、ベンチに座った男がいる。帽子を目深にかぶった、まだ若そうな男だ。
改めて彼を観察して、少年は驚いた。
その男の輪郭だけが、少年の眼に、ぼうっと霞んでみえるのだ。さっき感じた眼の疲れは、このせいか。
女がその男に近寄っていく。男はゆらりと立ち上がり、女を見下ろす。女が何か、男に言った。突如、男が女に殴りかかった。
「ぎゃっ」
鈍く短い叫び。女が、少年の足下まで殴り飛ばされた。
いくら力が強いとしても、ここまで人が飛ばされるだろうか。超人的な力だ。男は、帽子の下に表情を隠し、突っ立っている。
女は両足を投げ出し、後方についた左腕で、なんとか上体を起こし支えている。彼女の鞄は少年の後ろに転がっている。女は、ずれかけたサングラスを指先で直し、服の袖で額を拭った。
緊張か、驚きのために唾を嚥下したのだろう、女の喉が、ごくりと動く。
周囲を見た女は立ち上がると、たっと駆け出した。コートの裾がふわりと広がる。帽子の男の脇腹に蹴りを、首筋に手刀を叩き込む。それだけの攻撃を受けた男は、ぐにゃりとベンチに座り込んだ。それをみて、女が肩の力を抜いたのが、傍目にも分かった。
男の脇を抜け、かなり先にある、改札口の低い階段を、柱の陰から女は透かし見る。
改札を通った人がプラットホームへ上がってこないか気にしているのだ。駅員の詰め所も改札もその一ヶ所しかない。
女は今、緊張していない。もう男が向かってこないと思っているのだろう。だが男は怯んではいなかった。彼は急に立ち上がった。立ち上がりざまに後ろから女の首を片腕で絞めあげた。不意をつかれた女は為す術もない。
声を出そうにも、口を塞がれ、首を圧迫されていてはどうすることもできない。
男は女の首を絞めている腕を、自分の肩の高さに持ち上げる。女は男の腕一本に吊るされている。
男が、女を宙づりにしたまま柱に背を向ける。
そして体を大きく捻り、女を自分の真後ろの柱に勢いよく叩きつけた。柱の塗料に亀裂が入る。男が女の首を解放する。ずるずると彼女は崩れ込んだ。女は ぐったりと、柱に体を預けて動かない。
しばらく男は女の前に立っていた。そして男は、女が動けないのを見て取ると、
この争いのことなど忘れたように、ふらふらと何処かへ行ってしまった。少年は目の前の光景に、ただただ呆然と立ち尽くしていた。
少年がぼんやりと男を見送って女の方を見た時には、彼女も起き上がっていた。こちらも何事もなかったような顔をして、鞄を取りにきた。
[newpage]
少年の待っていた電車が来た。女が鞄を手にしたとき、彼女のポケットから紙切れが落ちた。女はそれを見やり、だが拾いはせずに電車に乗った。少年は、彼女の落とした紙片-切符-を拾うと、慌てて空っぽの箱の中へ駆け込んだ。
二人の乗った車両には、彼らしかいなかった。この電車は東雲駅で人を降ろした後は、二駅で車庫へ帰される。
利用者の少ない、廃線間近のローカル線だ。
長椅子の一番扉寄りの端に、女は座っていた。
仰け反らせた頭を壁に押しつけている。自分の前に立つ少年を認めると、「何だ」と例の声で言った。
この不遜な態度はどこからくるのだろう。彼に対して姿勢を変える気が全く窺えない。
「え、その…これ」
少年は女の物言いにまごついて、おずおずと切符を差し出す。
女は何も言わず、一瞬その口元をにやりとさせて―少年は女の笑みに気がつかなかった―それを奪うように受け取った。
目の前に立っている少年に隣の席を顎で指し、座るよう促した。
少年は迷ったあげく、彼女から席一つ離れて座った。少年が座ると、彼女はコートを脱ぎにかかった。
下には、露出度のとても低い、黒色のタートルネックシャツを着ている。
そして彼女はサングラスを外した。その顔は、ませた少女のそれだった。年の程は十六、七。少年と同い年かそれ以下だろう。
切れ長の双眸は赤みを帯びた濃灰色で、鋭く細い光を放っていた。
彼女は黒髪を赤い組紐で括った。コートは畳んで鞄に入れ、代わりに白いパルカを出して、座ったままそれを羽織った。それから鞄の底の蓋を開いて中に収納された車輪を起こした。そうして鞄を床に置き、鞄上部の取っ手を引っ張り延ばす。彼女の鞄はキャリーケースだったのだ。鞄の胴が縦長なのも頷ける。
衣服の色が明るくなり、鞄の形も変わったためか、一見今時の普通の女の子にみえた。それでもその瞳の光は変わらない。
がたん、と電車が揺れた。速度が落ちはじめる。
「そろそろ西東(にしあずま)か」少女が呟いた。
「西東で降りるの?僕と同じだね」歳の近さも手伝って、少年は少女に話しかけた。
だが彼女に「それが何だ」と冷ややかに返され、彼は仕方なく口を噤んだ。
のろのろと電車が滑り込んでいくプラットホーム。そこに、先ほどの男とよく似た、帽子を被った男の姿があった。少年は席を立とうとした時、その男と目があった気がした。
そう感じたとたん激しい動悸に襲われた。一度腰を浮かせ、だがすぐにまた座り込んだ彼に、
「西東だぞ」
少女が声をかける。
「降りちゃだめだ…怪しい人がいる!」どきどきする心臓をなだめ、息を整えて言った。
「は?」
「さっきの人だよ!帽子の…、輪郭がはっきりしない」
「お前、奴らが判るのか?!」少年が言い終わらない内に彼女は叫んだ。
「…私と一緒に来い、少年」
「少年て…僕は天城司」
大して彼と年の違わない少女は、平然と彼を“少年”と呼んだ。それを不快に思った彼が名乗ったところで電車の扉が開いた。
「早く来い、天城!」少女は名乗らず、彼を呼びつけるとさっさと電車を降りた。
素直について行く気にはなれず、彼は開いた扉の前から離れなかった。車両の床をみつめて、少女の鞄の車輪の音を聞いている。
それは一度止まり、少しの間があって、その音は遠ざかっていった。
[newpage]
発車音が鳴り、慌てて司は下車した。すれ違いざまに、二人の女が車内へ消える。人の視線に、はっと前方に司は気をつけた。そこには例の帽子男がいた。司の後ろで、ごぉと風が吹いた。
電車は行ってしまった。
辺りを見回すが、少女の姿はない。当たり前だ、自分は少女の立ち去るのを待っていたのだから。
だが今、どうしたらよい。前へ行くのは気が引ける。かといって後ろへは逃げられないし、巧く撒けるとも思えない。
完全に目を付けられている。
彼女の後について電車を降りればよかった。今更後悔しても、遅すぎる。
男が早足で近づいてくる。腕を振り上げている。あれで殴られたら線路に落ちるだろうなどと、司は考えた。
その時、目の前に黒い影が立ちはだかった。パルカを脱いだ少女だ。
ふわりと、髪の本つ香が匂う。急に少女が現れ、男は踏鞴を踏んだ。
そこへ容赦ない回し蹴りを食らわせて彼女は
「あそこにいろ」と司に言った。
少女の指さす方に、彼女の鞄が置いてある。司が自分とこの帽子男から充分に離れたのを確認し、少女はホームの縁から男の後ろ側へ回った。
この男と戦うには、足場は広い方がよい。帽子男は、回し蹴りをされたことに怒っている。
大声で喚きながら、上着から何かを引きずり出している。
鎖だ。少女は、はっとして自分のズボンのベルトに手をやった。彼女は丸腰だった。
男の持つ鎖の先には鎌がついている。それを勢いよく振り回し始める男。
少女は身震いした。これが武者震いでないことは自分で判っている。
自分は、この男に既に一敗している。だが自分は此奴を倒さねばならない。この男は死霊だ。少女には判る。
何故なら左胸の紅い傷が、この男を前にして、ずきずきと鈍く痛み続けているからだ。
死霊は倒さなければならない。
ひゅぅんと、風を切って鎖が少女の首に巻き付き、横様に引き倒される。
吐き気を催すほどの圧迫感に、少女は暗然とした。
―私はここで死ぬのか。
男のゆっくりした足音が聞こえる。
死霊―死んだ人間に、殺されるのか。
ふと彼女の脳裏に浮かんだ名前。そうだ、私はまだ死んではならない。一瞬とはいえ、死を受け入れようとした自分を彼女は恥じた。醜いまでに生に執着していた自分はどうした。
さくりと小気味よい音をたて、鎌が少女の左掌に突き刺さる。咄嗟に出した左手で、鎌を掴んだのだ。
鎖は少女の首に巻き付いたままだ。武器を失い、敗北がちらりと見えた途端、帽子男はホームから線路に飛び降りた。
そのまま軽々とフェンスを越えて逃げ去った。人間離れしたその動きに、司は驚いた。少女はと言えば、首を絞めつける鎖を取るのに苦戦していた。それに気づいた司が鎖を外すのを手伝ってやる。少女は一度司を見、だがすぐ目を逸らした。ようやく取れた鎖鎌を脇に退け、彼女は左手をずいと司につきだした。
そしてさも当たり前のように言った。
「私の鞄の中に包帯がある。縛ってくれ」
司がぽかんとしていると、
「何をぼんやりしている?いいから早く鞄を持ってこい」と急かす。
仕方なく司が鞄を取って来ると少女は鞄に右腕を突っ込み、包帯を掴み出した。
そしてそれをぽんと司の手に乗せ、「縛れ」と司に命令する。
赤く口を開いた傷を見せられ、司はおそるおそる包帯を傷口に巻き、きつく縛ってやった。少女は満足げに頷いた。
それから鎖鎌をそっと持ち上げ、血をふき取ってから布に包んで鞄に仕舞った。
その時鞄の中が司に見えた。まるで黒い淵を覗き込んでいるような錯覚を覚えた。淵の中に、鎖鎌が吸い込まれる。
鞄の中には、衣服や細々した物の他に、何やら長細いものがたくさん入っている。
少女がシャツのポケットから携帯電話を引っ張り出した。
「あぁ、西東にいる、来てくれ」
誰かに電話している。
「1番ホームだ」
用件だけ告げると、電話を切った。そして司に言った。
「事務所の仲間がもうすぐ来る。それまでここにいろ」
[newpage]
しばらくして。再び先の連中が現れた。大柄な男と、彼の秘書なのだろうか,鞄持ちの青年、そして伸ばした茶髪を首の後ろで結わえた若い男(青年より幾つか年上に見える)と、彼と同年代であろう女が1人。
この4人が少女のいう“事務所の仲間”らしい。
「何だ、急に呼び出して」
男が言う。
「彼を保護対象にしてくれ。奴を倒せなかった…私一人では彼を守れない」
少女が司を指さして言った。茶髪男と女が顔を見合わせている。青年は鞄を持ち替えながら少女を一瞥した。
男は少し考え
「彼はアレか?」
と訊いた。
司は“アレ”とは何だろうと一人首をひねった。
「違う!」
即座に彼女は男の言葉を否定した。上擦った声で叫ぶような強い否定だ。
「ならば保護する価値はない」
彼らにとって“アレ”でなければ、価値のない人間であるらしい。
「ホシは此奴を狙ってるんだ!」
少女は、シノノメ駅とこの駅で帽子の男とどう戦ったかを話した。その話から推測するに、どうやらホシとは、その帽子の、とても人間とは思えない高い身体能力をもつ男を指しているようだ。
彼女の訴えを聞いても男は納得しない。
その傍らで青年が呟いた。
「ま、確かに保護の必要性はあるな」
「なんで?」
茶髪の若い男が青年に訊ね、青年はかなり砕けた口調で答える。
「この駅でホシがそいつにちょっかい出される前に此奴を襲ったんだろ?ホシに狙われてる証拠じゃないか。こっちから手出ししなけりゃ害はない奴みたいだけど」
司を庇おうとしている少女をそいつと呼ぶなど、固有名詞を避けた説明だが、茶髪男には通じたようだ。
青年は大柄な男に向き直る。
「もしそうなら、やはり、少なくともホシを倒すまでは、彼を見ていた方がいいのではないですか?所長」
所長と呼ばれた大柄な男は考え込む。少女が青年をちらりと見た。一つ彼女に頷いた青年は辺りを見回しながら、再び所長に言った。
「実際彼はホシを目の当たりにし、攻撃されかけている。彼ならホシが普通の人間ではないってことが証言できる」
彼の視線がある所で一瞬止まる。
「賭けに出てみるのもいいんじゃないですか?」
彼は言いながら、すっと自然な動きで立ち位置を変えた。
「謎の連続殺人グループなんて汚名、払拭できるかもしれませんよ」
それを聞いて、司は驚いた。その一連の事件なら、最近細々とニュースになっている。
約2ヶ月前に最初の殺人がおき、それからすでに3件の殺しが発生している。同一犯かつ犯人は複数人として、警察が捜査しているのだ。未だ彼らに関する目撃情報は全くなく、捜査は難航している。
しかも遺体の中には、一部白骨化もしくは腐蝕が始まっているものもあり、昔殺害された遺体をどこからか運んできて、さらに新たに損傷を与えているのではないかという見解まで示されている。
警察に通報しようと、携帯電話を持たない司は辺りに目を走らせた。この駅には公衆電話が一台だけあった筈だ。しかしそこへ行くには青年が思い切り邪魔になることに気がついた。司に通報させないためだけにそこに立っているようなのだ。
「見逃せよ」青年が司の目を見て言った。
幾人も人を殺しておきながら、この青年はさっきから、見逃せだの、汚名を着せられただの、とんでもないことばかり言う。殺しを是と心得ているのだろうか。
「奴らならともかく、一般人を殺すわけにはいかないですよね?」
青年が所長に言う。普段殺しているのは一般人ではないというのだろうか?奴らとは一体何者だろうか。さっき彼女は帽子男を狙っていた。彼のような、司の目に霞んで見える一部の人間のことなのだろうか。
改札機の辺りに、人影がちらついた。交替にきた駅員のようだ。時計は十三時を回ったところだ。次の電車は十五時過ぎまでこない。二時間も前から立って電車を待つ物好きはそういないだろう。
ホームにいるのを怪しまれる前にここを離れなければ面倒なことになるかもしれない。
少女も所長も、新たな部外者の出現に困った様子だ。
青年も駅員の動きに軽く目をやり、言った。
「こいつは俺たちの顔を知っている。保護しないなら、どう処分するつもりです?」
確かに悪事を働いているのに面が割れたら不都合だろうだが、処分とは何だ?司はその言葉に恐ろしいものを感じた。
所長が答える。
「保護はしない」
つまり司は‘処分’されるのか?
青年は所長の顔を見ると、何かを追い払うように軽く頭を横に振り、一呼吸おいて
「じゃぁ仕方ない。俺は貴男に逆らいます」
何故だか躊躇いがちに言った。少女が所長と茶髪男の鳩尾に膝蹴りを食らわせ、彼らが咳き込んでいるうちに少女は司と青年を連れてその場を離れた。
青年は鞄を手放していた。少女が重たそうに引きずっているキャリーバッグを青年が代わりに持ってやり、
彼らは駅員から隠れるように、柱の間を縫って駅の裏へ向かった。