浅草でコーヒーを(国際通り)
前回までのお話
「彼、会社のお金を着服してるかもしれないの…」
そう言って目に涙を浮かべている真百合に、そんな男やめておけ!と怒鳴りつけたい衝動を、私は強靭な精神力によって抑え込むことに成功した。
「それ、いい話と悪い話じゃなくて、悪い話ともっと悪い話じゃん」
私が恋愛相談を不得手としている理由は、たいがいそういうのは惚気か、相手が酷い男(たまに女)なのはわかっているけど未練があって別れられない、の2パターンしかないと思っているからだ。要するに、いいじゃん!か、やめとけ!しか私の中には答えはない。今回のは明らかにやめとけ!だ。しかしその一言で話を終えてしまえば、私は数少ない友人を一人失うことになる。
「なんでそう思ったの?」
私の言葉が引き金になったかのように、真百合はさめざめと泣き出した。話せる状態になるまで時間が掛かったので、私はシングルオリジンのコーヒー(今日はケニア)を啜りながら待つ。
こんなシチュエーションでも、コーヒーは美味い。
やっと落ち着いた真百合の話を要約するとこうだ。
真百合は勤め先の会社の経理担当として、営業課から回ってくる経費精算のレシートをチェックする仕事をしている。真百合の彼は営業マンなので
必然的に彼の経費精算資料は真百合がチェックすることになる。その資料に違和感を覚えたのは3ヶ月ほど前。真百合と彼が付き合い出してからちょうど半年経った頃だ。毎月回ってくる経費精算資料の中に、必ず手書きの領収証が混ざっている。だいたい金額はいつも20,000円くらいで、品目は文房具。この令和の時代に珍しい、けれど昔ながらの老舗の店ならそういうこともあるかもしれない、とあまり気にしないようにしていた。しかし…。
「付き合って6ヶ月の記念日に、彼から手紙をもらったの」
真百合はその手紙に書かれている内容よりも、最後の日付に目が吸い寄せられたという。
「2023年4月22日って、6ヶ月の記念日だったんだけど、2の書き方が例の領収証と一緒だったの…」
領収証に書かれた2の数字はかなり特徴的で、左下の折り返しの部分がリボンのようにくるりと交差していたそうだ。そしてその特徴は、真百合の彼の手紙の2の数字と同じだった。
「それを見て、領収証は彼が自分で書いているんじゃないかと思ったわけね」
私がまとめると、真百合は頷く代わりに項垂れた。
経費精算というのは、仕事で必要なものを一旦自腹を切って購入し、後から会社からその金額を払い戻してもらうというものだ。もちろん会社は社員の言い値ではお金を出せないので、エビデンスとしてレシートや領収証の提出を求める。
もし社員自身がその領収証を書いていたとしたら…、その物品を購入したという申請自体が嘘だとしたら…。
「彼に確認したの?」
真百合は黙って首を横に振る。
怖くて聞けないか。そりゃそうだ。
「領収証には店名とか電話番号とか住所とか書いてあるでしょ?それはどうだったの?」
その途端、真百合はガバッと顔を上げて私の手を掴んだ。
「それを一緒に確かめてほしいの」
さらに、iPhoneを取り出して1枚の画像を差し出してくる。
「これが例の領収証の写真」
金額は26,300円。確かに2の書き方が真百合の言う特徴の通りだ。右下には店名と住所、電話番号のスタンプが押してある。
「住所、この近くなんだ」
私が呟いた時には、真百合は荷物を持って立ち上がっていた。
「今から行こうと思ってるの。きぃちゃん、付き合ってくれる?コーヒー、ごちそうさま。おいしかった」
真百合のコーヒーカップはいつの間にか空になっていた。私も急いで残り一口になっていたコーヒーを飲んで後を追う。
領収証の住所は西浅草だった。FUGLEN ASAKUSAを出てからGoogleマップで場所を確認し、WINS浅草の横を通り過ぎて国際通りへと抜ける。
「ストリートビューとかで見なかったの?」
真百合に尋ねると、
「ひとりで確認する勇気はなかったの。職場の人には言えないし、家族は彼のこと知ってるから話せなくて」
「ちょうどいい距離感だったのが私かい!」
ごめんね都合よく使って、という返事を聞いてなぜか私は嬉しかった。3年も会っていなかったのに、こんな大事な話をする相手に選んでくれたのは、信頼の証だと思えたからだ。働き出してから忙しくなって仕事関係や家族以外の人間とコミュニケーションを取る頻度が激減したので、友達の存在が貴重だ。
軽口を叩きながら国際通りを南下して浅草ROXの交差点を渡る。住所はこの辺りのはずだ。
「ここ…、だね」
真百合が立ち止まったその場所には、何もなかった。草ぼうぼうの空き地だ。集合住宅の建設予定地らしい。
「やっぱりクロか」
刑事ドラマみたいな台詞を吐いてしまった。
「念の為、電話かけてみる」
真百合はiPhoneの領収証の画像を確認しながら、震える指で電話番号をタップする。その指が発信ボタンを押した時には、私まで息を止めていた。
『お客様のお掛けになった電話番号は現在、』
そこまで聞けば、全ては十分だった。
つづく