子どもが欲しいのは子どもが好きだからではない
「いいお母さんになりそうだよね」
大学生の頃、同級生の男子にスタバで突然にそう言われて。なんとも複雑な気持ちになったことを今でもよく覚えてます。
別に好きな人とかではなかったけれど、「ああ、私って彼女とか結婚とかの対象じゃないんだ。お母さんまでいっちゃうんだ」と。
当時は自分がお母さんになる想像なんてついてなかったし、結婚さえそこまで強い願望がなくて。自分が「誰かの奥さんやお母さん」として生きていくことよりも、「自分は自分でいたい」願望が強かったのかなと。
社会人になって数年後、一人暮らしデビューをした頃。早く実家を出て自分だけの城が欲しくてたまらなかった私は、なんとも言えない幸福感で満たされていて。いろんな友達を呼んでは、自由な日々を謳歌してました。
初めて家に来てくれたのは大学の友人たち。その中に一人、妊娠中の子がいて。私からすると未知の世界すぎて、どう気を遣っていいのか?もわからないまま大したおもてなしもできず。ひたすら戸惑ってた気がします。
当時周りに母親になった人はほぼいなかったので……尊敬の気持ちはありつつも、「自分とは違う世界に行ってしまった友人」という印象がどうしてもありました。
おめでとう!と思う反面、私はまだこちらの世界にいたいな……とどこかで思っていたのも事実です。
その後20代半ばから後半にかけては自分内「大恋愛迷走期」。長く付き合っていた彼と別れ、相手がいる人のことを好きになり、2年間微妙な関係を続けた挙句に選ばれることはなく。その後もふらふらと、誰かにとっての都合のいい女になる日々でした。
今思えばネットワーキングビジネス系の人たちにはやたら声をかけられたけど、それだけ迷走オーラが漂ってたのかなあ、と。
少しずつ結婚・出産のステップを踏んで「向こう側の世界」に行き始める友人たちも増える中。結婚式をしたい願望だけはやたらとあり、相手の顔にモザイクをかけたまま不毛な妄想ばかりしてる自分。一体何をやってるんだろう……と落ち込む日々に、しばらく光は見えませんでした。
やっとかすかな光が見えたのは、20代終わりかけの頃。長い結婚生活に自ら終わりを告げて、同じく迷走していた夫と出会い。互いを慰め合うかのように2人でいることが増え、付き合い始めました。
14という歳の差もあってか、「君を幸せにできない」と一度はフラれたものの……「幸せになれるかどうかは自分で決める!」とどこかのドラマみたいな台詞を吐き。結婚を前提に付き合うことに。
都合のいい女ポジションだった自分がこんなに自我を貫いたのは初めてで、ちょっと驚きつつ。それだけ理屈抜きに好きだったのかなあ、と。
やっと結婚を意識し始めたものの、結婚したって旧姓のまま働き続けたいと思っていたし、「自分は自分なんだ!」という意志は学生の頃から変わりませんでした。
そんな生活の中、昔から悩んでいた生理不順を解消するために婦人科に定期的に通っていて。不順の解消の仕方が「妊娠を希望する場合」と「しない場合」で全く異なることを、そこで初めて知りました。
妊娠って明確に希望する・しないというより、授かりものだから……流れに任せて「できたらできたで嬉しいね」というイメージがあったので。
こんなにハッキリ「希望する道」「希望しない道」どちらかを決めなさい!と決断を迫られるとは、思ってもみませんでした。
その頃には30代に突入していましたが、結婚を意識することでいっぱいいっぱいで子どもなんてまだ考えられなかったので……希望しない道を、ひとまず歩むことに。
激動のコロナ禍の中で結婚もして、夢だった式もギリギリ挙げられて。仕事とプライベートで充実した日々を送り、楽しいは楽しかったのですが……
30代前半というのは1年1年が重たいもので、31、32、33……と積み重ねていくたびに「35」の数字がちらつき始めました。
深い知識はなかったものの、「35を越えると高齢出産になる」とは聞いたことがあったので。きっと今の時代、それ以上でも問題ないのだろうなーとも思いつつ。
そろそろもう一つの道についても真剣に検討しないといけないのだろうなあ……とじわじわ、思い始めて。
結局私が「妊娠を希望する道」に切り替えたのは35まであと1年になった、34歳の頃。
あたりまえのことながら、道を切り替えたってすぐにゴールに辿り着けるわけではありません。
道を切り替えた途端、いくつもの高い山がそびえたっていて。気づいたときには「不妊治療」という道のりを歩んでいる自分に気付きました。
不妊治療とはなんとも重みのある響きで。重装備をして、何重もの分厚くて重たいドアを開いた人だけが、その世界に行くようなイメージがありましたが。
あれ、リュック一つで来ちゃったけど大丈夫?と思うくらいに実際はぬるっとその道を歩み始めるものなんだなあと。
薬を飲んだり。タイミングをとったり。人工授精をしたり。体外受精をしたり。ゴールに辿り着くまでに一体いくつの山を乗り越えなければいけないのだろう?
そもそも私は何のためにゴールを目指してるんだっけ?本当に辿り着きたいんだっけ?
ゴール目掛けてまっしぐら!!な仲間たちもいる中で自分は曖昧な気持ちのまま……それでもリュックは背負ったまま、なんとなく来た道を戻れずにいました。
そこで気づいたんです。私には重装備をして、何重もの分厚くて重たいドアを開く覚悟がない。ゴールに対する、熱い気持ちが足りない。
そんな中途半端な自分に罪悪感も感じつつ。結局は全ての山を登り切ることはなく、2つ目くらいでゴールに辿り着くことができた私。
やっと辿り着けたー!という思いももちろんあったし、嬉しかったし、いかに奇跡的なことかがわかっていたのでありがたかったけれど。
それ以上に「痛いのが怖い」とか、「仕事どうしよう」とか、「いろいろ生活変わってしんどそうだな」とか。自分のことばかり心配してる自分に気づいて。
私って子どもへの想いが薄くない……?
そこで初めて、自分の薄情さを突きつけられた気がしました。こんな状態で私は母になれるのだろうか。そもそも私は子どもが好きなんだろうか。
あらためて考えてみると、もともと「自分は自分でいたい」願望が強い私にとって、妊娠・出産とは「せっかくなら経験しておきたいこと」だったのだと思います。
子育てすれば人生を2倍楽しめそうな気もするし。せっかく経験できるチャンスがあることを経験しないなんて、なんだかもったいない。
子どもが好きだから、ではなく「自分の人生を充実させるため」という理由で子どもが欲しいだなんて……どこまでも自分本位すぎる。
小学生の頃に仲の良かったグループの人たちに呼び出されて「いっせーのーせ……自己中だよ!」と強烈な言葉を浴びせられた記憶が急に蘇ってきました。やっぱり自己中なのか、私は。
車の運転免許なら、挑戦してみて失敗したらまた受け直せばいい。結婚だって夫みたいに、またやり直せるチャンスがあるかもしれない。
でも、妊娠・出産はそうはいかない。命が誕生するのだから。
そう思うと、私には子どもが好きな気持ちがちゃんとあって、覚悟あって、その道を歩もうとしているのか?
だんだん自分に自信がなくなっていきました。
一方で夫は、前々から子どもを望んでいたのでもちろん喜んでくれて。
そんな夫にふと聞いてみたんです。「私が子どもを欲しいと思う人じゃなかったら、結婚してなかった?」と。
「そんなことないよ。でも、なんとなく産む選択をするんだろうなとは思ってた。だって人生でやれることは、ひととおりやってみたいタイプでしょ?」
……完全に見抜かれている。
子どもが好きだから欲しいのではなく、自分の人生ベースで考えていることが彼にはお見通しだったとは。
でも、そんな自分の本質を理解して一緒にいてくれる人がいることがありがたくて。なんだか急に肩の力が抜けたような気がしました。この人がパートナーで、よかった。
妊娠して6ヶ月が経つ今も、いかに自分が自分のことを一番可愛がってるかを実感することがあり、自己嫌悪に陥ることもあります。
でもたまに動いたり、顔を見せ始めてくれたりしているお腹の中の人。
一緒にいろいろなことを乗り越える仲間であり、「同士」のようなかんじがして。もはや「好き」以上の一体感を感じています。物理的に一体化してるのだから、あたりまえかもしれないけれど。
母としての覚悟がまだまだ足りないし、精神的に自立できてないなと思うことも多々ありつつ。
自分を大切にすることと、中の人を大切にすることのバランスは、きっと極端に崩してはいけないのだろうな、とは思っていて。
これからどうこの「大切にする度合い」をうまくコントロールしていけるのか……人生における大きな課題をもらったような気持ちです。
「好き」では語りきれないいろんな気持ちとこれから少しずつ向き合いつつ、中の人に少しでも母として頼ってもらえるように。
まだ彼とも彼女ともわからない人に会えるまでの、残り4ヶ月。
自分か子どもか、どちらか片方ではなくて。物理的にも心理的にも、「中の人を含めた自分」をできるだけ大切にしていきたいと思います。
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