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kindnessとは!? ━━映画『憐れみの3章』"Kinds of Kindness"より

前作『哀れなるものたち』"Poor Things"で一躍メジャーにもなったヨルゴス・ランティモス監督の新作映画『憐れみの3章』"Kinds of Kindness"を観てきました!

この映画は私の愛読雑誌CNN EE10月号でも取り上げられていたので、その時から気になっていたのですが、

邦題の『憐れみの3章』、これは英題"Kinds of Kindness"に対してなかなか攻めたタイトルだなと。

英題はいわゆる頭韻(alliteration)になっていて、king of kingsのような響きがありますが、kindnessは不加算名詞でkindはここでは可算名詞となっており、不定形のkindnessを種々に腑分けしていくようなニュアンスを感じます。

で、邦題なのですが、3章というのはオムニバス形式の映画であることを伝えるためであり、そこは十分納得いきます。問題はkindnessが「憐れみ」なのかどうか。

辞書的な定義でkindnessは「優しさ、思いやり、親切な行為・態度」といった意味。「憐れみ」は普通pity, compasssion, mercyあたりになります。なので、かなり思い切ったタイトルですよね。

あとは実際に作品を観て、3つのオムニバスに共通するテーマが「憐れみ」なのかということですが......これは私個人の印象ではちょっと違うかなと。

先に軽く作品の概要に触れておくと、「選択肢を奪われ、自分の人生を取り戻そうと格闘する男」「海で失踪し帰還するも別人のようになった妻を恐れる警察官」「卓越した教祖になると定められた特別な人物を懸命に捜す女」といった内容の3つの短編作品集となっているのですが、全作品のメインキャストが同じエマ・ストーン、ジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォーらによって演じられている奇抜な試みとなっています。

私見によると、本作の主題として描かれているのは、人間関係における、支配-被支配、愛-憎、信頼-疑念といった相反したり対となったりする諸相で個々人が身勝手に思っているkindnessではないかと。主観的にはkindnessと思っているものが、傍からは極めて不合理に見えたり、また逆から言えば、客観的には不条理そのもののにしか思えない行いの中に、真摯なkindnessが含まれていたりと。例えば、自らへの愛と忠誠を相手に示させるために、日常を事細かに報告させるのみならず、身体・器物の毀損を伴うような指令を出す目を覆いたくなるようなシーンが作中複数箇所あるのですが、それは一般的にはどう見ても不条理そのものだけど、当の関係者達にとっては揺るぎない必然性と真率さをもっていて、実際に行われもします。

そこで行き来しているものがkindnessだとこの映画は言っているのではと。したがって私としてはそれはシンプルに「優しさ」が一番しっくりきます。「優しいけれど思いやりがない」といったフレーズが日本語にありますが、たとえそれが主観的にはどれほど真摯な思いであったとしても、概ね人間の交流していることは手前勝手な「優しさ」を越えない。よって『(手前勝手な)優しさの諸相』というのが私なりの英題の解釈になります。「憐れみ」という日本語には上から下への感情の動きが含まれていて、この映画の伝えているものとは少し違うように私には思えます。

それでもあえて「憐れみ」という言葉がタイトルに相応しいと判断された背景には、各種賞レースで大活躍し、日本でもかなりのヒット作となった前作『哀れなるものたち』"Poor Things"の語感に寄せてるのかな。同じ監督の「あわれ」シリーズだよと。実際、ファミリー向け岡山AEONのシネコンで大々的にかかるような内容とは到底思えない(笑)本作がこのような上映形体にできたのは、ヨルゴス・ランティモス監督-エマ・ストーン主演作品のブランディングの賜物であり、このタイトルの付け方もそういったマーケティングに寄与しているのかもしれません。なるべく多くの人にリーチするのもタイトルの使命だと考えたら、この邦題の戦略にも納得!?

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