無心

わたし

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わたし

最近の記事

苦しむこと、傷を持ってること、歪みを持ってること、過去の経験を盾にして、結局そういう自分と本気で向き合っては来なかった

破滅てきな思考も刹那的な考え方も自分をないがしろにすることも、結局自分に責任を持たないことだった。 自分のさみしさや感情を他者で埋めようとしないこと。 わたしの行動理由が全部みとめられたいほめられたいに収束しているようなきがする。 人とかかわる時間も一人の時間もしぬほど必要なんだけど、 この年になってようやく他人とのコミュニケーションで自分のいたらなさを自覚するようになってきた。というか自覚はしてたけど、ふにおちてなかったものに気付けるようになってきた。 認めたら本当に

    • 最近の悩みやら考えたこと諸々

      四年前くらいに完全に自分が親の影響でいろんなことがめちゃくちゃな人間になってると気づいて、これ自分で自分のこと育て治さなきゃなやつだ、ってずっとゼロからの気持ちでやってきたけど、結局親の育て方しか知らないから、無意識では親にされたことを自分にすることを選んでしまって、また同じことの繰り返しになってるとおもう。 頭ではいくらでも綺麗事をいえるし、私が悪いからって思えるし、過剰なくらいまわりにたいして申し訳なく感じたり、ここに自分がいることが自分で許せなくなるし、それが頭おかし

      • あの子

        私はあの子になりたかった。 自信があって、行動力があって、歌がうまくて、絵がうまくて、教師に対しても強気で、自分の意見を言えて、英語ができて、自分の前髪を自分で切って、自分の人生を楽しんでいるあの子が。 私はあの子に追い付けるものが勉強しかなかった。張り合えるものはそれだけだった。 あの子が、彼女が、同じ高校に行こうというからそれまで別段偏差値や高校のことを考えたことがなかった私は、 彼女と同じところへ行きたくなった。 私も彼女と同じ場所にいるのだと思いたかった。 それは結

        • 今もずっと食べることはわたしのさみしさを少しだけうめてくれている。

          数ヶ月前に書いた記事です。今は過食はちょっと落ち着いてる。 過食がとまらない。 この2ヶ月ほどずっと過食がとまらない。今までもストレスや抱えた問題から目をそらすように、過食することはあったけど、最近は明らかに異常だ。 今もちいさなおにぎりセット(おかかツナ明太子)と唐揚げ四個をこの時間(深夜12時)に食べてしまった。ちゃんと夕飯は夕飯でそぼろご飯とチキン南蛮を食べたのに、である。つい数ヶ月前までならそんなに食べたら自ら吐こうとするまでもなく吐き気がしたしくるしくなったのに、

        苦しむこと、傷を持ってること、歪みを持ってること、過去の経験を盾にして、結局そういう自分と本気で向き合っては来なかった

          ダメだっていつまでもわたしは

          私ってたぶんどこまでもだめです。なりたいものは沢山あった。きっとなれると思っていた。いや、なれなきゃ生きてる意味ないと思ってた。周りからすごいと言われたかった。欲しいものはいっぱいあった。 でも、欲しいと素直に手を伸ばせないことばかりだった。私なんかには結局無理だと心のどこかで思ってた。根っこにこびりついた無力感に、負けて。無理だと突き付けられるのが怖かった。他人に無理だと言われるのが怖かった。馬鹿にされたくなかった。そうやって何重にもおさえつけてきた欲求がいつまでも成仏し

          ダメだっていつまでもわたしは

          欲、期待、死にたい

          人間の欲には際限がない。 たった一歩踏み出せたらじゅうぶんだと思っていたのに。死ぬ前にすきなことを、やりたいことをやってから死のうと、ただそれだけではじめたはずだった。 ひとつひとつが新鮮で挑戦で怖くて、自分を奮い立たせて、誕生日に死ぬのだから、と逃げ道をつくってとびこんだ。毎日必死で、懸命で、ぐちゃぐちゃになりながら、初めて人生が楽しいと思った。 なのに、まわりと比べる。 同じ空間で同じ日々を過ごし、同じことをまなんだせいで、どうしても同じなのにとおもってしまう。 わた

          欲、期待、死にたい

          死にたいけど生きたくて生きたいけど死にたくなる

          軽々しく死ぬとか口にするなと言われるけど、これはずっと私の心に根付いていて、時によって強くなったり弱くなったりする。 三年前、わたしは本気で死のうと思ってた。毎日なにもできなくて、思考と身体と心が全部バラバラで、自分がなにしたいのかもわからず、なにをしてきたのかもわからなかった。 ただ布団のなかでいちどめにこの死にたさが続いた10代を思いだし、あの頃に死んでしまえば楽だったなと思った。 甘えだ逃げだって思考はわたしが一番繰り返してる。前向きになりなさい、と言われれば、後ろ向き

          死にたいけど生きたくて生きたいけど死にたくなる

          怒り

          何で私は自分のことをこんなに否定しなければならないのか。私の落ち度ではない生まれ持った目の形、大きさ、顔の形、顎の位置、額の広さ、そういうものをどうしてイヤだとダメだと思わなければならないのか。 私はこの数年で顎の形が変わってしまった。元々良かった噛み合わせがおかしくなり顎関節症の悪化も影響し、痛みと見た目の変化でずっと苦しんできた。今私の口は口ゴボだ。口ゴボってなんだよ。誰がそんな言葉生んだんだよくそが。 治したくて矯正のカウンセリング受けたりしてるけど、顎関節の悪化や痛み

          鈍っている

          最近日々がうまくいかない。 うまくいかないというか、3月までのわたしと比べてなにもかもが鈍っている。 3月までのわたしはよくもわるくも必死で、懸命で、自由で、楽しかった。 まわりからも肯定され、認められ、そこにいつづけるために頑張る必要はあったし、情緒が安定していたかというと微妙だけど、まわりが自分の価値を感じてくれている自信があったし、自分も自分の価値を感じていた。 それが今すべて0になった感じがする。 要因は3月に一度その環境を手放す決断をしたことだ。長年かかえていた身

          鈍っている

          皆の時間がとまればいいと思ってた15歳の頃の気持ち

          結構ぐちゃぐちゃなきぶんで書いたので、いつになくとりともなく結論などはないです。 わたしのきろく。 中学三年の受験期に鬱になり不登校になった頃の記憶はひどく鮮明な部分と霧がかったようにあいまいなものとがある。 不登校、引きこもり。わたしは自分がそんなものになるとはつゆほども思っていなかった。小学生の時不登校を取り上げた番組を観た時は「結局自分が損するから絶対耐えられないしわたしには無理だな」と思った記憶がある。 無理もなにもなりたくてなった人なんていないのに。 最近自粛

          皆の時間がとまればいいと思ってた15歳の頃の気持ち

          わたしに有言実行は向いてない

          ずっと有言実行する人をかっこいいなと思っていた。 目標を表明して、自分の思考をだれかにつたえることで可能性を広げ、着実に前に進んでいく人たち。 一般的にもなにか目標や夢を叶えたいならまわりに表明することで自分にも責任感がわいて、まわりの手助けを得られやすいから有言実行するほうがいいと言われることが多い気がする。私もその言葉を信じて、目標ができたら口にするようにしてきた。 志望校を友達に言ったり、新しく始めたことをまわりに言ったり。 結果はどうだったかというと結局全部うまくいか

          わたしに有言実行は向いてない

          「21世紀の女の子」を観た日のはなし

          「21世紀の女の子」を観たはなし。 映画の内容というよりはわたしが感じた感覚ばかり書いてるので、正確じゃないとこ、個人的な感情できごとについても多いです。 ねたばれはあるといえばあるようなそんなかんじなので、よろしくお願いします。 この土日は自分の感情が荒波に放り出されたようだった。 土曜日にずっとやりたかったことの試験を受けにいった。ぐずぐずとやりたい気持ちに向き合わなかったから最初の一歩だとただ変化に飛び込むつもりで行ったのに、結局現実の問題に心を奪われ、めちゃくちゃな

          「21世紀の女の子」を観た日のはなし

          私は子供の頃運命って言葉があまりすきになれなかった。

          she isの公募に送って落ちた文章です。 言いたいことの表を撫でたみたいな文章だけど、深掘りする気力がないのでこのままこっちにあげます 私は子供の頃運命って言葉があまりすきになれなかった。 テレビから流れてくる保健所の犬たちの最後、自分と同じくらいの子供が亡くなったというニュース、たくさん働いて懸命に生きてきた祖父の姉の身体が不自由になったとき。そういうものにぶつかるたびに「神様ってひどい人なんだ」と思った。 何故か無条件に神様の存在は信じていて、そのくせに人に降りか

          私は子供の頃運命って言葉があまりすきになれなかった。

          ありがとうよりいっぱいありがとうしたい

          感謝を文字で伝えることが難しい。 友達が最近私のたのみごとをきいてくれて、LINEでその連絡をしていて、ふと感じた。 ありがとう! 本当にありがとう! たのんじゃってごめんね、ありがとう! とか、 ありがとう!!今度奢らせて~~! とか、 なんというかありきたりな感謝の言葉を送る度に、自分の感謝の気持ちの質量と釣り合ってない気がして苦しくなる。 そこにはたぶんちゃんと伝わっているかな?薄情な人間に思われてないかな?って気持ちも存在して、やっぱり他者からの見えかたを気にしている

          ありがとうよりいっぱいありがとうしたい

          殺してきた自分に呼吸をさせ始めた

          最近いろいろ考えて、調べて、考えて、調べて、ぐるぐるとしていた。 ふと力がほんのすこし抜けたのは先月。ずっと興味があったのに先伸ばしにしていたことにほんのわずかに手を伸ばしてみた。 ああやっぱりやってみたいな、と思ったら、自分がずっと蓋をしていた感情にようやく本当の意味で触れられた気がして、すこしだけ呼吸が楽になった。 調べているうちに気づいたけれど、私はどうやらHSPという気質らしい。人より敏感な気質で、障害や性格ともまた違うらしく、変えようと思って変えられるわけでもない

          殺してきた自分に呼吸をさせ始めた

          本当にやさしい人になりたいなあって

          死ぬほどくずなのに、それを見せたくなくて結局ひとりを選んでしまう。  私はくずだ。たぶん考え方とか思考とか、思ってることはだいぶくずだとおもう。自分が一番大事だし、劣等感まみれだし、友達にも嫉妬するし、勝手に比べて落ち込む。面倒くさがりだし自分がしんどいと余裕もなくなる。 でもそういうくずさをどうしても誰かに気付かれたり知られたりするのが死ぬほど嫌で、誰かと接するときは何にも否定しないし、相手を気遣おうと必死になるし、相手の話を聞いて相手が言ってほしい言葉を無意識に探してこ

          本当にやさしい人になりたいなあって