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僕がペンを置いた時のお話

先生
苦しい時に苦しいって言おうねとか
限界はもう少し先にあるとか
そういうのもうお腹いっぱいって言ったら怒りますか。

私、書けなくなりました。


言葉というものは時として苦しい時にしか溢れないものだと思います。誰かに肺を握られるような、あの時の感覚にならないと、出て来ないものってあるんだと思います。
あの頃の澄んでいて汚くて悍ましくて純粋で純粋で純粋な
あの、
あの言葉は
あのしんどい涙の代わりに出てきたものだったみたいです。

普通に、なれていますか
これは普通、なのでしょうか

書いていた頃の私は浮いていましたか
今は地に足がついているのでしょうか

冬が寒いから手を温めるくらいには温もりが欲しくて
結局エモさの消費として消えていって
探した均衡価格なんてないの
だから

秋晴れの日に
暴力がぼうりょくじゃなくて
苦しさがくるしいじゃないみたいに
僕はぼくじゃないって言ったら
怒られました。

それって、もしかして綺麗じゃないんですか?
温もりの中に生きるほどに
私は、
ああ、

違う。


僕は
まだ子供なのでしょうか


僕はね
言いたいことがなくなったんじゃなくて
うまく消化できるようになったんです
だから褒めてください
大人になったんだねって

ペンを置いたときにうまく笑えた気がしたのは
僕がもう大人だからです。
大人という括りに入って
安心しているからです。
あの時の大人の声が
痛かったものが
優しかったものなんだって
うまく変換できたからなんです。

忘却という暴挙が人間の脳みそに備わっていて
僕はそういうのが嫌いなのでシステムごと破壊するのだけれど
いつしかそのことも忘れてしまいます。
甘いことばかり吸い上げて
雲がわたあめなんだって夢を見せていたみたいに
手のひらの上で僕の脳が震えています。

先生
会いたいです
風の隙間を縫うように
会いたいです

先生
春が遠いです
道のりが長いです
道が、ないです
僕はきっと
ここでペンを置くのです
おしまいにしましょう

敬具


追伸
あの頃先生に何て呼ばれていたか忘れてしまいました。いつの日かお会いした時呼ばれても気が付かないかもしれませんね。

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