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やんわりと見守り続けられる環境や状態を創ることが「支援」なのかも知れない
表題で完全に結論を述べてしまったので、これ以上興味ない方は読まなくていいと思います。我ながら下手くそな表題をつけたものです。
支援、ってなんですか?
先日も少しだけ自分のブログやFacebookにも投稿したんですが、この問いに明確に答えられる人ってどれだけいるんだろう、と考えます。
支援とひと口に言ってもそりゃいろんな形があります。
対象者が変われば内容も変わるし、僕らのような同じ障がい者支援というカテゴリの中でも児童期と学童期と成人期でも全然違えば、いわゆる「特性」によっても違います。
どこを目的にするのか、そのために何をするのか、逆に何をしないのか、によっても変わるかも知れません。
支援ってなんなのか。
多分僕たちはいくつかの答えを持たないといけないのかも知れません。
単純に「何をするのか」ということだけではその答えにはならないんじゃないかと思うんです。
何のためにするのか
誰に向けるのか
いつまでにするのか
どこでやるのか
できないことを手伝うのが支援だ、と言われると「いつまでも手伝うのが支援?」って疑問が湧くし、「すべての人が暮らしやすい」というような理念を見るが、明らかに対象になっている方は障害者だけだったら「?」となるし、「住み慣れた地域で云々・・・」と言っているけどその事業体の地元にしか展開していなかったりしたら違和感じゃないですか?
屁理屈かも知れませんが。
難しいのは、僕ら支援者が持つ支援の答えと、利用者さんが認知している「支援」というものもどうやら違うらしく、時に「何もしてくれない」と言われることもあります。
その時に僕らはどんな答えを返すことができるでしょう。
僕にとっての支援ってなんなのか。
対象者の方が自分で生き方を選び、自分の足で意思で生きていけるようになるためのあらゆる手段を適切に選択して提供すること。
そしてその手段がもし存在しないのであればきちんと創り出すこと。
そのためのインフラがなければ生み出すこと。
だと思っています。
地域を見渡せば障がいがある事が制限の理由になってしまう環境が山程あります。
障がい者の性の問題
恋愛や結婚のハードルの高さの問題
彼らの居場所や行き場所があまりにも少ないこと
児童期から成人期までの支援が縦割りになりすぎて連続性がないという問題
などなど・・・。
支援ってなんなのか、という問いに自信をもって答えられるとはいいませんが、少なくとも明らかな課題から目を背けてしまうことや「気づけない」ことは支援ではありません。
少しずつでも向き合いながら、みんなで気づきながらそこに僕ら支援者がリーチすることがその答えに近づく唯一の手段じゃないんだろうか、と思います。
いろんな直接支援が行われて、いろんなインフラが整っていき、最終的にどこにいてもやんわりと見守り続けることが出来るようなコミュニティになったら、「生きづらくない」状態になると思います。
そしてそこまでを創ることが、最終的に一番必要な支援なんだと思います。
そのためには、僕ら福祉に携わっている人たちが少しずつ力を寄せ合って一緒に動けたらいいな、と思います。
そうしたらもっともっと福祉は前に進むんじゃないかと思います。
もしかしたら、福祉に携わってるみんなが繋がっていく事も「支援」なのかも知れませんね。