コミュニケーションの「場」とコミュニティ(後編?)
昨日書こうと思って書き始めた話が、書き出してみると終わる気配がない方向に広がってしまったので、力尽きてしまいまさかの後編になってしまいました、いやこれが後編で終わるかどうかも今の時点では分からないんですが。
念の為に昨日の前編を読まれてないかたは前編をよかったら読んでやってください。
↓
ということで、僕の発想は「居場所をもう少し広げられたら⇒建物は広げられないから一つの場所というよりも【エリア】として考えたほうがいいかも」という風に考え始めました。
きっかけはある仲間の存在でした。
うちの事業所は商店街の中にある珍しい事業所なんですが、なんの偶然か同じ商店街の並びに、障害福祉事業ではありませんが同じように「居場所」を運営している人?事業所?がありました。
本当にすぐ近くで運営されていたからなのか感覚が近かったからなのか、折に触れて「なにか面白いことをしたいね」みたいな話をする仲になり、うちの事業所もよくその居場所に参加させていただいたりして交流するようになったことが大きなきっかけだったと思います。
こんなに近くに「居場所」を冠する場所があることで、単独の場所で考えるんじゃなくて【エリア】で考えるのもアリなんだ、ということと、自分のところだけで考えるんじゃなくていろんな仲間と一緒にその居場所を広げていくとそれは大きな居場所、営みが生まれて、つまりそれは「コミュニティ」だったり「まち」と呼べれるものになるんじゃないか、ということを発想できた、という感じです。
自分にとって身近に「コミュニティ」というものを考えるようになると同時に、自分達だけで創るものではなくいろんな分野の仲間と一緒に、という感覚は今までになかった感覚だったので、視野が広がりました。
そこからなんやかんやで、環境としての「コミュニティ」、仲間との繋がりとしての「コミュニティ」に傾倒していくわけなんです。
いつか作ろう、と思っていたオンラインコミュニティはコロナの発生をきっかけに早急に動かないといけない、と思って立ち上げちゃったり、そのための練習と思って始めたSNSからいろんな方と繋がらせてもらったりと、ドタバタの一年をそこから過ごすようになるわけなんですが・・・。
2020年、コロナウィルスの蔓延により、生活や仕事の過ごし方の強制変革を余儀なくされる中で気付かされたことがあります。
それが「コミュニケーションの機会そのものの価値」です。
簡単にはリアルに人と集うことが難しくなったからなのか、自分の視野や意識が変わったからなのかは定かではありませんが、気軽に集まって話をするなんてできないから、ZOOMやSNSをメインにせざるを得なくなった時に、今までいかに気軽に集まったり会えたのか、というのをすぐに痛感しました。
そしていかに今まで「コミュニケーション」の濃度を気づかずに薄めてしまっていたのか、とかも。
コミュニティ、というものを考えだした時から僕は「異業種・異文化」の方と繋がることが避けられない必須科目となっていて、繋がるためには当たり前に「コミュニケーション」を図らなきゃお互いを知ることすらできないんです。知ってもらうこともできないんです。
やばい!!
今日も書ききれなかった!!
あー・・・
また明日、明日こそ完結させます!!
飽きないで読んでくださっている方、ありがとうございます。
もう少しだけお付き合いください。
以上、「中編」でした。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?