支援の構築はどれだけ「切れるカード」を持っているかにかかっている
僕はソーシャルワーカーではありません。立派な資格も持ってはいないし、膨大な社会福祉の知識も持っていません。
知らない制度もたくさんあるし、知らない法律もたくさんあります。
もっと勉強すればいいんですが、あてのない勉強はどうしても苦手で、いつも支援の場で壁にぶち当たったケースの時に教えてもらったり勉強したりしてかれこれ20年近く経ちました。
今でもちょいちょい皆さんにいろんな知識を教わりながらなんとかかんとか支援ができているのは否めないです。
ただ、幸か不幸か分かりませんが今までいろんなケースの対応をしてきました。
家族会議にも幾度となく出席してきましたし、母子分離も何度もしました。あまり大きな声では言えませんが、なかなか難しい家族問題の中で利用者の家出支援もしてきたし、恋愛や結婚の支援もしてきました。
最近では就労移行っぽい?仕事として、本人のフリーランス計画を一緒にサポートしていますし、独り立ちするための住居の支援もはじめました。
なので経験値だけはわりと豊富です。
話は少し変わりますが、利用者さんの支援を行っている過程では、途中までトントン拍子で上手く人生が回りだしたと思っていた矢先に、想定外の大きめのトラブルによりドロップアウト、というか一旦人生が滞ってしまう、というケースはよくあります。
介護であれば、スムーズに歩行が出来るようになったり自宅でお風呂が入れるようになったりしていた矢先に転倒・骨折してしまった、というアクシデントで、一から支援を組み立て直さないといけなくなることってありますよね?
順調にお仕事頑張っていたのに、湧いて出てきた問題が蓄積して爆発して、仕事に行けなくなったり入院したりしてしまうこと、なんかもあります。
こんなイレギュラーは珍しい事じゃなくて、どんな時でも起こりうるものなんですが、当初進めていた支援は、この時点で一旦継続不能になります。
じゃあどうするか。
当然新たな手立てを考えなきゃいけません。
何せこういう時こそ僕らの出番なので。
支援機関が集まって、知恵を出し合って新たな道を模索しないといけません。
さて、ここです。
課題をクリアしながら、本人の人生が前に進んでいく見通し、将来予測が立つような手立てを考えていかないといけないんですが、僕はこの時に問われるのが、
「どれだけ切れるカードを持っているか」
だと思うんです。
知っていることと出来ることは違います。
知識として知っていても使えなければ意味がありません。
どんなに経験が豊富でも、それが実用性のある手段じゃなければこれまた意味はありません。
ちょっと辛口かも知れませんが、つまるところ利用者さんの支援をしようと思ったら、本当に集わないといけないのは「切れるカードを持っている」支援者です。
極論かもしれませんが、切れるカードを持っていないのに、いくら議論を重ねてみても、何の根拠も見通しも持てない支援案しか組み立てられません。
つまり、僕らが支援者でいるためには、知識だったり経験だったりをどれだけ積み重ねて引き出しを増やしていく事や、生活や人生の様々な場面での経験の幅も広げて、「切れるカード」を持てるか、がとても重要なんです。
支援は理論でするものでも知識でするものでもありません。
そして個の経験値だけでするものでも多分ないと思います。
各分野の「切れるカード」を持っている支援者達が持ち寄るのが本当の知恵です。
誰かがイニシアチブをとってそれにみんなで付き従うような支援が展開されていないだろうか、という懸念と自戒をもって、改めて支援を構築するってどういうものか、ということについて考えてみました。