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利用者さんに「この人は支援してくれる人だ」と認められて初めて僕らは支援者になる
タイトルで結論を述べてしまうのは何の習性なのか分かりませんが、分かりやすくていいだろう、と開き直ろうと思っています。
あまり論理的じゃない話です。
根性論とか精神論の類になるかもしれませんが、できるだけ論理的に書いてみようとは努力をしてみます。
先日現場の支援について書かせてもらったんですが、方法論だけじゃなくて、支援者としての覚悟、みたいなものはやっぱり携えておいたほうがいいと思います。
ちょっとだけ厳しいような内容ですが、僕らは事業所に配属されて、社員証に「支援員」と書かれたら支援者になるのか、という問いです。
自身の経験からなんですが、僕らが本格的な支援を行うためにはまず利用者さんとの関係性を構築しないといけないと思うんです。
しかし、その関係性というのはただ仲良くなる、ということではなく「信頼関係」を形成するという意味です。
先日、現場の支援というのはほぼ「アセスメント」ですよ、という話を書かせていただきました。
もちろん支援を構築するためにやっていることですが、こと自分が利用者さんと関わり始めた時期であれば、支援を構築するためというよりも、
「私はあなたを分かろうとしている。」
を示すためのものだったりします。
つまり、利用者さんの信頼を得るために、まず僕ら支援者の側が利用者さんを誰よりも理解しようという意思を示すための行動や態度、でもあるんです。
どんなに豊富な知識を持っていても、素晴らしいスキルを持っていたとしても、熱い思いを持っていたとしても、それが利用者さんに届かなければ僕らは彼らに「支援者」としては見てもらえません。
支援者として扱わないといけないからそのように対応はしてくれるかも知れませんが、彼らの人生に僕らが入り込むことは出来ないと思います。
利用者さんはいつだって支援者をアセスメントしています。
・・・とは言え、本当に観察や分析をしているわけじゃなく、シンプルに支援者としての僕らを評価している、という意味です。
本当に自分の生活や人生を預けていいのか、頼っていいのか、信じられるのか、ちゃんと支えてもらえるのかって。
僕らにとってはもしかしたら業務の一環かもしれません、たくさんいる利用者さんのうちの1人かも知れませんが、利用者さんからしてみたら限られた時間と機会の中で他に選択肢がない中で出会った「支援者」と名乗る知らない人です。
僕らの経験値やキャリアなんて利用者さんには全く関係ない話で、名札に「支援員」と書いていれば支援者なんです。プロの。
別に脅すわけでもないし、ブラックな精神論を展開したいわけではなく、人を支援する、ということは同時に「支援される人」がそこに存在するんだ、ということ。そしてその支援される人には感情もあれば、本来選ぶ権利もあるんだ、ということなんです。
長ったらしく書いても仕方ないので、最初のタイトルに戻ります。
現場での支援でまずやらないといけないことは一にも二にもアセスメントですが、その目的はただのデータ収集ではないんです。
利用者さんのことを必死で知ろうとし、そして利用者さんから「この人は自分を支援してくれる人なんだ」という信頼を得ることなんです。
信頼を得る、ということは間違っても「ただの仲良し」になることでも、「優しくてすぐ手を差し伸べてくれる」人になることでもないんです。
結局あまり論理的な話にはなっていないですね。
バキバキの精神論になっちゃいました。
でも、古臭いけど大事なマインドセット(心構え)なんです