めくらめっぽうに支援をしてるわけじゃない
こんな話をすると不謹慎かも知れませんが…。
支援を行っていく上で、ある程度早めの段階で僕らは「予後予測」というのを立てていきます。
語弊はありますが、分かりやすい言葉で言うと「あたりをつける」というやつです。
利用者さんを受け入れさせてもらって、日々の過ごし方を見ている中で、その時点でのアセスメント(能力分析)をしていきます。
今の時点でどういう力を持っていて、どういう部分に課題があって、という事を整理していきます。
そこから、僕ら支援者の中で知識や経験知や伸びシロについて検討して、「この辺りまでは最低限成長、習得されて本人の可能性は伸びるだろう」という見立てを一度するんです。
もちろんそれが結論なわけではありません。あくまで支援を組み立てていく上でのひとつのプロセスです。支援をしていく中で随時変化をしてはいくんです。
ただし、結構シビアにここは見ます。安直に楽観的な評価はしません。
それを基準として持った上で、自分達の支援の進捗を自分達でもモニタリングしていくんです。
きちんと進めているか、ブレていないか、変な妥協をしてないか、とか。
この見立てが、支援者のベクトル合わせにもなるので。
こっからちょっとウェットな感情論も込みになっちゃうんですが、僕らはやっぱり利用者さんに幸せな人生を送ってほしいんです。
たくさんの希望も期待値も持ちがちなんです。
就労して社会に飛び出してほしいし、豊かな人生を歩ませてあげたい、と思ってしまうんです。
そのために、「どこか就労できる道はないか、ここの課題をスパンとクリアする手立てはないか」って思いながら日々の支援を行うんです。
哀しいかな僕ら支援者も人間なので、ともすれば自分達の想いが溢れやすくなっちゃうんです。
シビアな話をしなきゃならない時でも、「伝わってくれー!」と祈るような気持ちでするんです。
それでも僕たちは専門職なので、プロなので、きちんと根拠立てて、それこそきちんと目の前のリアルな利用者さんと対峙しながら彼らの未来を切り拓くサポートをしなきゃならないので、きちんと立ち返る意味でも、早めに一度予後予測を立てて、可能性の整理をするんです。
針の穴を通すような支援の道筋を探すプロセスですね。
そんな、ウェットさと冷静さを両立させながら、日々の支援にあたってるんだよ、って話です。