支援の多様性が求められる時代かな
利用者さんを支援している時に、時々ふと思うのが、「僕ら支援者自体が枠にはまった支援をしてないか」という事です。
つまり支援者側が自分達の支援の型を決めてしまってて、その視点からしか利用者さんの事を見えなくなってるかもしれないよね、という話です。
僕らは利用者さんを前にした時、関わりながらも終始観察や分析をしながら支援のベクトルを微調整して(いるはず)います。
この方にどんな課題があって、どんな支援が必要で、どこをゴール(便宜上)に設定するのか、って当然考えながら僕らも進んでいくわけなんですが、果たして僕らはこの問題に対して、何を柱にして考えていくんでしょう?
どんな視点で見なきゃいけないんでしょう?
知らず知らずのうちに、「就職」を当たり前のゴール設定にしてたり、自分達のカリキュラムに当て込んだ課題解決の方法論で見ていたり、「今」だけを見た課題抽出をしたりを知らず知らずやっているかもしれません。
最近利用者さんを支援している中で、つくづく考えさせられるのは、働き方のカタチも、社会の中での生き方も、僕らの価値観で計ってはいけないんだなぁ、という事です。
数日前に「雇用や福祉的就労だけが「障がい者の就労」じゃない」という記事を書かせてもらったんですが、これは利用者さんの持つ生きづらさが変わったのか、うちの事業所に来られる利用者さんの層が変わったのかその両方なのかは分かりませんが、多分それだけで片付けてはいけないんですよね、多分。
利用者さんを通じて見るのは彼らの生活状況(家庭環境や生活圏域など)で、さらにその向こうに見なきゃいけないのは社会構造です。
つまり、変わったのは「社会のあり方」なんだと考えています。
その話を掘り下げるとキリがないんですが、社会の変化はそのまま利用者さんの生きづらさのバリエーションに繋がっていると見ています。
そんな中で「就職する」というのは必ずしも彼らの生き方の正解には当てはまらなくなることだってあるんです。
ゴールの想定が変わるだけでなく、利用者さんが抱えている生きづらさの課題自体も当然変わります。そうなると必然的に必要な支援も変わっちゃいますよね。
そうなると、本当に利用者さんの社会参加を本気で行っていくつもりで支援をするとするなら、支援者側の僕らが型を固定させてしまうと、結果的に漏れこぼれていく方が相対的に増えていくことになります。
対象顧客のターゲッティングを絞って専門特化させるというのも経営戦略的にはもちろんあっていいとは思います。ただ全体から見たら当事者の方にはシビアな環境とも言えるかも知れません。
だって自分に適切な支援を必ずしも受けられないかも知れないわけですから。
福祉というか、支援というものの「そもそも論」で考えると、僕らのほうが分析の仕方の方を変えていかないといけなくて、課題抽出、支援方針、ゴール設定全てを新しい視点で捉えていかないといけないんじゃないか、と思います。
そういった意味では、雇用されて働きつつも自分のやりたいことを叶えていくために副業的にフリーランスな働き方をゴール設定に置いた支援が必要になるような課題を持った方も出てくるでしょうし、Youtuberとまではいかないかも知れませんが、ネットでの発信を自身の社会参加のきっかけにしていくことがプロセスになるような支援も必要になるかも知れません。
ひきこもり、と言われている方を「まず外に出す」からではなくて、先にネット上で仕事ができるようになってから外に出る支援をする、みたいな支援プロセスの逆転現象とかもアリかも知れません。
本当に就労支援、という限定的な見方ではなくて「生き方」を一緒に探していくことが支援になるような時代なのかも知れない、と思うようになりました。
世の中はダイバーシティが謳われていますが、そんな社会の中で当事者の方が生きていけるようになるためには、僕らも支援の多様性を見出していかないといけない時代がもうすぐそこまでやって来ています。
福祉が「ガラパゴス」にならないように、準備していかないといけないかも知れませんね。