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障害者の性をタブーにしているもの

僕は元々障害者の就労支援が本業です。何かしらの生きづらさややりずらさがある方が、就労という手段を通じて社会に出ていく事を支援するのが仕事なんですが、僕の地域は少なくとも就労して社会に出たから安心して生活していけるか、というとどうやら必ずしもそうではありません。


特に就労して社会に出ると、社会保障としての福祉や支援というのはほとんど切れてしまいます。でも、就労したからといって何の支援もサポートも受けなくていいという証な訳ではありませんし、健常者と呼ばれている人だって社会の中で生きていく上では様々なサービスを受けながら生きているんだから、同じように彼らにとって必要なサポートは、彼らが受けやすいカタチで存在しないとおかしいなぁ、と思います。


そんなこんなで就労支援に端を発して、婚活支援を行ったり地域の支援者と地域福祉のプラットフォームを作るプロジェクトを立ち上げたり、自分の本業でも住居支援や成人期のフリースクールを行ったりと制度の外にある、でも障害者の生きづらさに繋がっている課題だと思えることにあれこれと首を突っ込むようになりました。



言い訳がましい前置きなんですが、そんな中で今「障害者の性」の問題について地域の支援者と一緒に議論をしています。
地域の中で性について解決しないといけないことは何か、ひとまず少しずつ議論を重ねながら見出していって、どんなサポートが必要か、どんなインフラがその課題を解決できうるのか、ということを探っている最中です。



テーマのカテゴリを大きく3つに分けて、9月から定期的に集まってまずは議論しましょう、という形で動き始めました。
テーマのカテゴリは、ある程度成人期あたりの世代に絞っているところはありますが、

・パートナーがいる場合の「性」について
・パートナーがいない場合の「性」について
・そもそもの「性」の入り口周りのこと

です。


前回は3つ目の「性」の入り口について議論をして、ぼんやりと姿が見えてきた部分もあるので、今回は「パートナーがいない場合の性について」というテーマで議論を行いました。
今回は地域の仲間だけじゃなく、「一般社団法人 輝き製作所」の代表をされている小西さんにもオンラインでご参加いただいてのディスカッションです。 


僕はたまたま性の課題がある方の支援を担当する機会があって、今現在パートナーがいないその方の性的な欲求の発散の支援を継続して行っています。いわゆる一般の性風俗などの社会資源を使う支援だったり、別の方であれば実際に介助も含めた支援を行なっています。その辺りの切り口の話題が多かったかな、と思います。



今回の話の中でいくつか印象に残ったことがあります。
それは、もちろん障害者対応可のそういったサービス自体の供給量が少ない、ということももちろんなんですが、どうやらそういったサービスを利用するために支援をしてくれる機関がほとんどない、ということでした。


性のサービスを使うことが唯一の術ではありませんし、パートナーがいない方の性的な欲求の発散や解消の方法は他にもあるとは思いますが、僕らの地域ではそういったサービスを使う際に移動の支援やサービスを利用するためのサポートは支援機関がほとんど受け付けてくれないんだそうです。


本人が自力でその手続や移動などを行うか、家族などインフォーマルな支援でなければ、移動支援すら得られなくて、ちょっと大袈裟な言い方をすると、自身の性的な欲求を発散させるための選択肢が「支援をしてもらえない」という事が原因で得られない、という事なんですよね。



それと、多分地域の中でずっと性の話ってややタブー視されてきていたこともあって、特に成人期近くになるとあまり当事者や保護者から声を拾える機会もない、ということもあります。相談するところももしかしたら少ないのかもしれません。



すべてのケースがそういう訳ではないかも知れませんが、ちょっと整理をすると、当事者や保護者は性の問題について声を拾われる機会も声を上げる機会もあまりなくて、仮に個別で支援者などに相談をしたとしても、支援機関では性サービスの支援は行なっていない、もしくは行動力のある一部の支援者が実際に資源を探して繋ごうと思うと今度は資源自体がそんなに多くない、利用するにしてもいろんな段取りを踏まなければいけない、という状況がある、ということです。



それにそもそも当事者も家族もどんなサービスがあるのか、もしくはあったとしても使えるのかということを知らない、ということも少なくありません。
そして支援者は、当事者の性的欲求についても実は意外としっかりと向き合えていない事があります。きちんと向き合ってみると実は「触れてみたい」とか「手を繋ぎたい」とか「デートをしてみたい」だったりする事だって少なくありません。


もしかしたら実は僕ら支援の専門家が壁になっているのかもしれません。



障害者の性というが、別に性的好奇心や欲求が生まれるのもそこに関心が高まるのに本来は障害の有無は関係ありません。
それ自体が問題なんじゃなくて、どうやって性に触れてどうやって扱い方を身につけていくか、の支え方、支援が見出せていない事が本当は論点で、それはもう性というものがトラブルや犯罪などに紐付く、という安易な議論ではないんです。




そしてもう一つ感じたこと。
それは性の問題がタブーになっていくのって、あちこちに「分断」があるからなのかもしれない、という事です。
つまり、「知らない」こと、「知ろうともしないこと」が多すぎるという問題。



一般の人は「障害者の人って性欲ないんだと思ってた」という方も少なくありません。
仮に知っていても、障害者の性ってトラブルが多くて大変そう、という印象の方が多いんです。


そして保護者の方も当然お子さんが子どもの頃から性の問題には頭を悩ましている方もいらっしゃると思うんですが、どう対応したらいいかは「知らない」んです。
当然当事者の方も困っても相談する場所が限られているため「知らない」まま間違った認識を強化する場合もあります。


でも何よりネックなのは、僕ら支援者が障害者の性について「知らない」ままでいること、「知ろうとしない」ことなのかも知れません。


支援者が支援者に当事者の性の問題についてオープンに議論できない、おそらく明らかにそこにある課題なのに対応してもらえないって結構異常なことだと思います。
性的欲求って人の三大欲求のひとつなので、人が生きていく上で絶対に避けて通れないもんだと思っているんですが、生きづらさを感じている人に向けて衣と食は支援するのに、性はアンタッチャブルにしてしまっているということなので。


ということは、まずしなきゃいけないのは「知らない」という状態をなくすこと。つまり、性の問題についてオープンに相談したり議論できる土壌をつくることがどうやら優先なんだな、ということです。


それはつまり当事者や保護者の方の声を拾う、という機会にもつながりますし、支援者同士でも相談し合えたり議論し合える風土をつくる、ということでもあります。


そういった場を作ることが、今度は当事者や家族、支援者以外の一般の方に向けて「知る」機会にも繋げていくことにもなるような気がします。


当然「知る」機会をつくるだけに終始してちゃいけません。実際に今やっている支援を続けていくこと、カタチにしていくことも同時並行で進めていかないといけないことだとは思います。
それが性の支援を自分たちで生み出していく事なのか、むしろ地域のそういった資源と繋がりながら協力し合える環境を整備していく事なのか分かりませんが。


少しずつ、地域の中でやらなきゃいけないことが見えてきつつあるような気がします。
僕だけではどうしようもない事なんですが、少しずつ関心を持ってくれる支援者も増えてきています。
今はまだタブーみたいになっている障害者の性の問題の枠組みを外して、オープンに支援したり相談できる風土ができるといいな、と思います。


ちょっと記録みたいになってしまいましたが、こんな活動もやっています、という話です。




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