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障害者の性について考えておきたいこと

先週、いわゆる「性」の支援で、当事者の方を障害者対応可のデリヘルの利用に付き添ったり(利用中は外で待ってましたが)、異性と話ができない、という事でスナックに連れてったりしました。


すごく地味ではありますが、現場支援の中でこの数年間やってきていることです。


全然不勉強だし、あくまで自分の周囲の環境のみを見て思う事なんですが、障害を持たれている方の性の問題って結構生きづらさに繋がっているなぁ、と思うんです。


時代背景なのか地域性なのか分かりませんが、障害を持たれた方の性ってすごくタブー視されていて、あまり触れられる事がなかった方が結構いらっしゃいます。
何となく避けている、というか触れる時は何か問題があった時だけな感じ。
それは今に至ってもそうかもしれません。


たまたま僕が関わらせて頂いている方もそうでした。


いわゆる「お触り」という触法を何度か繰り返して、その都度捕まって仕事をクビになったりを繰り返してきたんですが、僕自身も最初はあまり踏み込みきれなかったんですが、今までは「仕事などのストレスがたまってて、衝動的にやっていた」というのがパブリックな動機だったんです。


じゃあストレスの解消方法を探っていきましょう、というアプローチをしてきていたんですが、最終的に最近捕まった時に思い切って突っ込んで聞いてみると、やっぱり性的な衝動がそこにはありました。


よくよく背景から考えてみるとそりゃそうなんです。


僕よりも少しだけ年配のその方は、障害者である、という事を理由に「性」というものに一切と言っていいほど触れさせてもらえず育ちました。


お恥ずかしい話ですが、僕らは小学校の頃とか中学校に上がってから、上級生のお兄ちゃんや少しませた同級生がいわゆる「エロ本」とか「エロビデオ」みたいなものをどっからともなく仕入れてきてみんなで回し読みしたり、ある時期からは自分でそういったものの情報を仕入れたりして友達とワイワイそんな話で盛り上がったりする時代を過ごしました。


性というものに何とはなく触れながら、来るとき恐る恐る実体験を踏みます。


好奇心に従ってそれに触れる事があり、関心に沿って議論する仲間、というか相手がいて、それがいいことかどうか分かりませんが、やっぱり成長に合わせて性というものについて触れて考えて体験する事がありました。



でも、障害を持たれている方は必ずしもそうじゃなかったりします。


「問題を起こすから」、「教育上良くないから」、「障害者だから一生そんなもの必要ないから」・・・。


全てそこに起因するとは思いませんが、何となく遠ざけられて触れることがタブーにされて伏せられていきます。
もちろんそれについても全員が全員そうだとは思いませんし、学校などでも性教育をされているところもあるので一概にそうだ、と断定している話ではないんですが。


少なくとも僕は男性として、健全に育っていけば異性に興味を持つのは障害の有無を問わず当たり前だと思いますし、興味を持てばそれは関心になり、健全な性欲を持つのは至極当然です。
それが人間の仕組みであり成長の証なので。



性の問題は確かにセンシティブな問題だと思います。
当人だけの問題ではなく、そこには相手が存在します。同意や合意の問題もあれば当然性交渉となれば妊娠などのリスクとどう向き合っていくのか、という問題もあります。


僕が今回支援の中で利用させてもらったいわゆる「性風俗」的なサービスについてもいろんな意味での是非の問題はもちろんあると思うんです。


ただ、何をどう考えても「問題」や「リスク」を前にして、触れさせないという判断だけは違うような気がするんです。
どう考えても不自然じゃないですか、人としては。


僕自身も答えを明確に持っている訳じゃありません。
ですが、性の問題に「触れさせない」ということの違和感くらいは分かります。



少なくとも僕が関わらせていただいているケースは、長らく触れる事も忌避されてきた自身の性の欲求が、ずっと日の目を浴びることなくずっと沈殿させられてきた中で、何かの拍子で弾ける、ということを繰り返してきたんだと思います。
そしてそれは表出としては法に触れてしまうもので、自身の社会生活を壊してしまうものでもあります。


これはやってしまった本人の問題でしょうか。それとも本人の行動の管理の問題でしょうか。


これが再現性の高い方法かどうかは僕には分かりませんが、僕には「健全にふれること」が一番大事なんじゃないかと思うんです。


今回は成人の方なので、いわゆる公共の社会資源として、そういった性風俗や接客サービス的なものをきちんと対価を支払った上で適切に利用して、ただただ性的な欲求を抑圧するのではなく、できるだけ健全に発散する、という方法を支援として選びました。


もちろん一番いいのは本人にパートナーができ、お互いに合意を交わしながら避妊などの手段はとりながら、ただ制欲を満たすためだけでないカタチがとれることがいいのかも知れません。
そんなことも含めて「婚活支援」というものを手掛けようと思ったので。



ただ何にしても、「蓋をする」かの如く性の問題はスルーすることはできないと思うんです。
今の時代、スマホやPCを開けば簡単にそんな情報にはアクセスできます。
もちろんそれゆえのリスクだってあると思います。
ただ、だからどんどん遠ざける、というのは全く現実的ではないし、僕ら支援者も含め家族も含めてその問題に触れないのも違うと思うんです。


むしろ人が成長する中では、僕らだってそうであるように性的な関心や欲求が生まれるのは当たり前だし、それが解消されないことによる問題やリスクの方がむしろ大きいように思うんです。



今の時点で僕も明確な何かを持てていないし、目の前の当事者の方ごとの対応にしかなっていないんですが、きっと支援者としては何かの折に触れて議論をしていかないといけないんじゃないか、とつくづく思うんです。
そして、そこに生きづらさが生まれているようならやっぱりインフラを整備することも僕らの役割なんじゃないかと思うんです。



ちょっと取り留めはないんですが、僕なりに障害者の性という問題についてはここ数年ずーっと頭の片隅にあって時々大きく頭をもたげる話題なので、書かせてもらいました。

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