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どこからものを眺めるか

最近は仕事の仕方を少しずつ変えようとしています。


僕は現場が好きで、目の前の利用者をどうやって支えるか考えながらトライ&エラーをしつつ利用者の人生が変わる実感が何よりのやりがいなので、これは麻薬のように中毒性をもって僕の身体を蝕んでいます。
 
 

でも、これはマズいなぁ、と思っているので、僕は少しずつ現場稼働から軸足を抜いています。(何がマズいかはまた別の機会にまとめます)

でも、ただ軸足を抜くだけじゃ「無職」になってしまうので、新しいことに足を突っ込んでいこうと思います。
 
 
 

そんなこんなで、最近はプレイヤー、よりもアドバイザーやマネジャーの役割の比重を考えながら高めていってるんですが、そういう中で「ものの見方、眺め方」から話をする事が多いなぁ、と思ってて、多分そこそこ普遍的な事なんだろうと思ったので整理しておこうと思いました。
(#今後使い回す気マンマンです)
 
 


これからまとめることって、少し表現は変わりますがいろんなところで言われていることなんですけど、支援を行うにしてもマネジメントを行うにしても、ものの見方、視点って多分基本的なポイントは同じだと思っています。

だからぶっちゃけ僕は少なくとも人のマネジメントと「支援」って同じものとして捉えています。あんまり賛同してもらえないんですけど、多分マネジメントに長けた人って支援のスキルもクソ高いんです。


ゴールとスタートの確認

「当たり前じゃん!」て言われるかも知れないけど、大事なのはゴールっていうのをどこに定義づけするのか、スタートと言える「相手の状況」をどこまで深く洞察するか、のところ。
 
 
例えば僕は就労移行という業態だけど、そこの利用者のゴール設定は「就職」じゃないし、ましてや「長く働き続ける」じゃないんです。
これは僕たち事業所側の都合に合わせてるゴールであって、全然優しくない。
少なくとも支援の現場で最も重きをおかなきゃいけないのは相手、つまり利用者の「人生」です。
僕らもそうだけど、いくら働くといったって、生活や人生は働くだけじゃない。そもそも利用者は「生きにくさ」を抱えているので、「はたらけない」という課題は氷山の一角なんです。

マネジメントでも同じ。人は「仕事」だけを切り取って生きることはできなくて、どこまでも人生とか生活の中にそれがあるんだから、一部だけに焦点をあててみても多分根本的な課題は解決しなくって、むしろ可能性を狭めたり摘んだりすることにもなってしまうと思います。
どこまでタッチするかどうかは別にしても、ゴールを設定していく時には、相手の立場に立たないといけない。自分の側の都合で決めていくのは一番やっちゃいけないことだと思います。

ゴールをきちんと設定して初めてスタートラインの確認ができます。
ここは肝心なところで、「ゴールを先に設定する」です。くれぐれもスタートを先に手を付けないこと。
スタートからものを眺めてしまうと、とりあえず走り出さなきゃいけない感覚になってだいたい「とりあえず走りながら考えよう」ってなります。だいたい迷子になります。
でも考えてみてください。例えば車でどこかに出かける時に、行き先も分からないままで走り始めますか?
「今日はふらっとドライブに出よう」みたいな、走る景色や時間を楽しむ、っていう『ゴール』を定めて出かけるならともかくだいたいまず目的地を決めるでしょう?なんならスマホや車のナビに目的地を入れて、ルートや所要時間まで確認してから出かけるでしょ? それとおんなじです。
先にゴールをきちんと設定しておかないとスタートなんて切れません。ついでにドライブの話を続けると、出かける前に車のガソリンがあるかどうか確認したり、今の時間見てご飯を途中で食べるのか買っていくのか、はたまたお弁当を作っていくのかとか決めませんか? それがスタートの確認、ってことです。


僕たちは普段の生活の中では自然に「ゴール」をそこそこ細かく設計してからスタートラインに立ち返って、スタートの状態を確認してから動いています。だってそうしないと動けないから。
休みの日とかに、何となくダラダラ寝て起きて、『出かけようかな〜、あぁあそこに買い物行こうかなぁ』なんてしていたら気がついたら夕方になっていてすげぇ一日の休みを無駄に過ごした感になる、って経験ありますか?  それです。
細やかなスケジュールを立てないといけない、みたいな大げさな話じゃなくて、僕たちは多分、ゴールからものを眺めたほうが視界がくっきりしやすくて、ゴールを先に決めたほうが、どの道を通ってどれくらいの時間で行けるのかとかを考えやすい脳みその仕組みなんじゃないかと思っているんです。

ほら、大体の人は先の見通しがあると安心して行動できるでしょ?だから、自分で見通しをつけれるような思考をしておく、って話です。


3つの視点
 
さっきのゴールとスタートの話の因数分解になるんですが、僕はいつも自分の観察点を3つ持つようにしています。

・俯瞰の視点
・辿る視点
・相手の視点


「俯瞰の視点」というのは、さっきの「ゴールから眺める」に近いのかも知れません。要は全体図でものを見るということです。
俯瞰でものを見るのって、ゴールが分かっていないとできないんです。ゴール設定をきちんと作り込んでおくと、そのゴールに辿り着くために何が必要か、というのを見つけやすくなります。それでゴールに辿り着く上での障害物の想定も考えやすくなります。どんなプロセスを踏まないといけないかも。
そうやってゴールから辿っていくと、スタートしてからまず何をしないといけないか、っていうのも見えやすくなってきます。
つまりゴールを設計してから先に全体図を作っちゃうんですね、頭の中にでも紙に落としてでも。
これをやっておくと何となくおおざっぱにものの『要点』が抑えられるようになるので、常にものごとの進み具合が分かりやすくなります。つまり、俯瞰の視点、っていうのは『全体図を構成してそれを見ながら判断できる』視点です。


「相手の視点」というのはどっちかというと「スタートの確認」に近いかな?
俯瞰の視点とは対象的に、相手の立場に立つことです。
支援の中で考えるのであれば、
相手の生育歴  生活環境  性格 理解力 情緒の傾向 特性 能力 立場など色んな情報を踏まえて、「相手だったらどう思うか」「どこで不安を感じるか」「何を嬉しいと思うのか」「何に達成感を感じるのか」とかをどこまでも
『相手だったらどう感じるのか?』に徹底して目線を合わせることです。

相手の目線が分からなかったら、支援であろうが対人関係であろうがマネジメントであろうがだいたい上手くはいきません。だって何をどうやってみてもそれは自分の目線からのものでしかなくて、相手にフィットしているかどうかも検証できないんですから。

とことんまで相手の目線に立ってものを眺めてみることで、今度は「俯瞰して見ていた景色」とのギャップを知ることができます。ギャップを知ることができると、僕らがどういう対処をしていけばいいかが随分くっきりと見えるようになります。


「辿る視点」というのは、もうまさにカーナビみたいなもんです。
これが一番感覚的に難しいのかも知れないです。
どういうプロセスをどういう順番でどのように辿るかを読む視点です。
今どの辺にいるか、ルート変更をしたほうがいいか、どんなプロセスを辿るとどうなるだろう、みたいな。「予測力」みたいなものですかね。

この辿る視点、というのにはどうしても経験値の要素が大きくなると思います。だから辿る視点を身につけるためには積極的に経験値(トライ&エラー)を積みにいかないと精度は上がりません。カーナビでもアップデートしないとルートの精度悪いままでしょ?
あとセンス。 まぁ直感ですね。
僕の持論ですが、直感っていうのは「経験則 × 持っている情報 × 応用力」だと思っているので、多くの経験を積んでいき、いろんな情報に耳を傾け、それを「どっかで使えねぇかなぁ」といつも企む(#言い方)ことで身につけられると思っています。

でも、辿る視点については必ずしも1から探らないといけないものではなくて、多分ある程度のパターンというか見方、みたいなものは先人がずっと考えてきてくれているのでそれを参考にしてもいいと思います。
僕はよくビジネスの世界で用いられるようなフレームワークを使って考えたりします。
・ロジックツリー
・PDCA
・SWOT
・パーセプションマップ(いわゆるY軸、X軸ってやつ)

などなど。こういうのは結構使い慣れると役に立ちますよ。ちなみに僕がよく視点を考える時に使うのはロジックツリーです。

 
 
手段が目的化してないか

支援もマネジメントもあくまで「ゴールにたどり着くこと」が目的なので、そのプロセスで行っている仕事や取り組みはあくまで手段、なのでを「上手くやること」が目的になってしまったり、相手にそれが目的かのように思わせてしまったらあまり意味がないです。車でどこか目指して走っていくことが目的だったはずなのに、いかに交通マナーを守って上手く運転することにばかり気を取られてしまっていたらなんか本末転倒ですよね?

会社の経営とかでも、立派な理念があってそこに果たす目的があるにも関わらず、現場では「売り上げ!売り上げ!」「利益が、コストが」ばかりをことあるごとに言われていたら、理念という大きな目的なんて響かなくなって、みんな売り上げや利益ばかりを結果追いかける組織になります。

伝える側も受け取る側も、目的と手段が混ぜこぜになってしまったらもはやどこにも辿り着けれません。
僕の感覚では、支援をすることって「目的に向かうための手段」を適切にとっていく役割だと思うので、支援現場に携わる人が手段を目的化して伝えてしまうと、支援自体が崩壊することすら起きると思います。っていうかそういう現実は結構多いんじゃないかなぁ?

 
一回「常識」を疑ってみる

世の中には【常識】とか【世論】という集団意識が存在していて、人はそれを正解として、縛られたり因われたりしがちです。特に日本という閉鎖的な文化を携えて生きてきた国では、そこから外れることは良しとされない風潮があります。でも、少なくとも、相手が人間である限りその相手と関わる上で「これが正解」なんてものは存在しないと僕は思っています。
時代は常に進んでいて、特に今の時代はものすごいスピードで変化をしています。昨日の常識が今日通用する保障なんて実際にはどこにもなくて、教科書やネットに載っているはずの正解ではクリアできない問題がボコボコ起きてきます。


常識を破れ!とまでは言いませんが、今まで当たり前、とされてきていたことが本当に今も「当たり前」のままなのか、ということを疑うことはした方がいいと思います。
常識を疑いもしない脳みそのまんまでいると、どんどん思考の幅は狭くなります。いいか悪いか、じゃなくて一回非常識な角度で物事を見る、っていうのは、新しい発見の元だと思います。


まぁ、今回も結局グダグダとそれらしいことを述べてしまいましたが、要は「目先だけ見て動くとろくな事にならないよ」という話です。

もし読んだ方の参考になれば。 今日はそんな感じです。

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