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引き裂かれた姉弟と罪滅ぼしの邪神の話③
(前回の続きです)
大店の娘との結婚を知った時点で、姉さんはもう自分と弟の縁は切れたのだと悟りました。けれど、せっかくここまで来たのだから、三年ぶりに会ったのだから、大きくなった弟の姿を目に焼き付けて、懐かしい声を聞きたかった。
しかし弟が自分との約束のせいで、やはり縛られていたのだと聞いてしまえば、大店の娘の言うとおり、過去の象徴である自分は、会ってはいけないと思いました。
仮に絶対に弟が自分を思い出さない保証があったとしても、美しい大店の娘と結婚して、すっかり立派になった彼に、こんな汚い身なりで会うことは躊躇われました。
姉さんは疲労も手伝って何も考えられず、フラフラと帰路につこうとしました。すれ違う町の人たちは、みな身なりが綺麗で、余計に我が身の汚さが目立ちました。
(ああ、あの人らと比べて、おらはなんて見っともないんじゃろう)
この町の人たちと比べて、貧しくて汚らしい自分が恥ずかしくて、小さくなりながら歩いていると、
「待ってください」
声とともに手を取られて、姉さんはビクッと足を止めました。振り返ると、すっかり別人になった弟が居て、
「驚かせて申し訳ありません。俺はあなたの名前を知らないので、呼び止めることができなくてつい」
街で暮らすうちに身に着いたのか、訛りの無い綺麗な言葉づかいで
「さっきはアイツに止められましたが、もしあなたが俺の知り合いなら、失くした記憶について直接話を伺いたいと探していました」
と言いました。
大店の娘との約束を思い出した姉さんは、咄嗟に人違いだと否定しました。けれど弟は眉をひそめて、
「なぜそんな見え透いた嘘を? さっきはハッキリ俺の名前を呼んだのに」
もともと姉さんは嘘が苦手な人です。今は疲れと衝撃で頭が混乱して、余計に考えがまとまりません。だから嘘を吐く代わりに
「お願いじゃから聞かないで。昔のことなんて思い出さんでください。せっかくまっさらな気持ちで、人を好きになれたんじゃから」
自分との関係は伏せたまま、ほんの少しだけ声を震わせて
「どうか、そのまま自分の気持ちを大事にして。ずっと幸せでおってください」
涙が零れる前に顔を逸らし、弟の手を振りほどくと、その場から走り去って、人ごみに消えていきました。
弟から逃げた後。涙で息が切れた姉さんは、長くは走り続けられず、物陰で足を止めて声を殺して泣いていました。
よほど憐れに見えたのか、
「そんなに泣いてどうしたんだい?」
見知らぬおばあさんに声をかけられました。町には不釣り合いの粗末な着物を着た白髪のおばあさんは、村人たちの雰囲気に似ていたので、姉さんは気が緩んでしまい
「そりゃあ酷い目に遭ったねぇ。アンタを忘れた男も薄情だが、人の男を奪ったその女も最低だ。さぞかし憎いだろうねぇ」
事情を知ったおばあさんは同情してくれましたが、姉さんは首を振って否定すると、
「悲しいけど、憎くはねぇです。むしろこれで良かったんじゃ」
「なぜだい? アンタはずっと、その男の帰りを待っていたんだろう?」
おばあさんの問いに姉さんは、
「おらはもともと、あの子を手放すつもりで街にやったんです。あの子は昔、おらに拾われたことに恩を感じすぎて、ずっと自分を縛っとったから、自由にしてやりてぇと思って」
姉さんが拾った時、弟は村で最も無価値な存在でした。手を差し伸べてくれたのが姉さんだけだったので、居場所を選ぶ自由もありませんでした。
それが大人になって力をつけて、記憶を失くしたことで
「ずっと自分を縛り続けていた過去を、うまいこと忘れて、やっと自由になれたんじゃもん。誰にも遠慮しないで、いちばんの幸せを掴めるようになったんじゃもん。こんなにいいことはねぇ」
与えられた可能性を最大限に活かして、村でいちばん低い場所から、こんなに高くて眩しい場所に来られた。これまで弟がして来た努力が、自分のためだけの報いとして、正当に返って来たのですから
「あの子が自由になれて良かった。おらも間違えずに済んで良かった。きっと神様が護ってくださったんじゃ。お互いにとって不幸な道を選ばんで済むように」
さっきは動揺してしまったけど、自分がずっと願っていたことが叶ったのだと姉さんは喜んで、
「じゃから、おらは大丈夫なんです。誰も恨んじゃいません。ここに来るまでは、もしかして不幸でもあったんじゃないかと心配じゃったから、あの子が生きとって、むしろ幸せになったんじゃと分かって安心しました」
話を聞いてくださってありがとう。お陰で気持ちが楽になりましたと、おばあさんに礼を言って再び歩き出しました。
けれど、おばあさんにはそう言ったものの、一人ぼっちの帰り道。姉さんは弟のことを思い出しました。
――大人になったら俺が姉さんをうんと幸せにしてやるから、もう少しだけ待っとってくれ。
遊びも休みもせず、自分のために熱心に働き、勉強してくれたこと。
――姉さんは俺と結婚しろ。他のヤツのもんにはなるな。
父も兄も居ない弱い自分を、小さな体で護ってくれたこと。
――三年後、村に戻ったらアンタは俺のもんじゃ。
その日を待ち切れないかのように、髪に口づけされたこと。
(……ああ、ここに来てようやく分かった。おらはいつの間にかあの子を、家族じゃなくて男の人として好いとったんじゃ)
弟への好意を認めた途端、姉さんの胸には
(好きじゃった。大事じゃった。ずっと一緒におりたかった)
悲鳴のような本心とともに、再び涙が溢れました。でもだからこそ、そうならないで良かったと、やっぱり最後に思いました。
(愚かじゃ、やせ我慢じゃと言われても、やっぱりおらはアンタを恩で縛りたくなかったんじゃ。じゃから良かった。こんな浅ましい想いでアンタを縛る前に、優しいだけの姉さんのまま別れられて)
胸の痛みを誤魔化すように、何度も良かったと繰り返しながら、おっかさんの待つ故郷へ歩き続けました。
🍀次回からは弟編です。今回もお付き合いくださり、ありがとうございました🍀