「DOJO vol.2」に参加して、自分の強みについて考えた
昨夜は格闘技ドクターの二重作拓也先生が開かれた「DOJO vol.2」に参加した。
「面白そうだな」と思って、でも「自分が参加していいものか」と悩みつつ、勇気を出して二重作先生に参加表明のDMをお送りし、晴れて参加させていただけることとなった。
でも実際は不安だった。「みなさんの話についていけるのだろうか」と。世間に何一つ名をとどろかせるようなことをしていない、しがない大学生が居させてもらってもいい空間なんだろうか、と。
でも参加してみたら、それがただの自意識過剰だと気づいた。
参加者の皆さんが対等な雰囲気でお互いにお話をなさっていた。
最初のうちは卑屈になっていたけれど、徐々に「私が居てもいいのだろうか」という気持ちは消えていった。
難しい話などは一切出てこないで、むしろ身近に思えるような話が多く、聴きながら共感したり、考えさせられたりした。
で、深く刺さったのは「自分の頭の中(で考えていること)を、絶対外に出す方がいい」というお話。
自分の気持ちを外に出すのがすごく苦手だ。
というか、言語化することに自信があまりない。
いっつも「こんなことを言ってもいいものだろうか」とオドオドしてしまい、気がつけば時間がどんどん経って、言うタイミングを逃してしまう。
「あー、またこんなことになっちゃった」と思いながら、その時に言語化できなかった思いは、自分の心の底でどろどろと残ってしまう。
「もうこんなの嫌だなぁ」と思いながらも、ずっと同じことを繰り返してきている。正直なところ、とてもしんどい。
最近、思うことを何でも、紙のノートに書くようになった。
頭で考えたことを冷静に言語化するには手書きの方がいい気がする。例えば、怒って書いた文字はやっぱり乱れてるし、それを見て「あ、自分、怒ってる」と客観視できる。
そして、紙のノートに書くことが増えていくと、noteのほうにも書きたいことが増えてきた。
とはいえども、まだそんなにたくさん記事は書けてないんだけど。
というのも、やっぱり「こんなことを書いてもいいのかな」という思いがどっかで引っかかってしまう。
そんなに傷つくのが怖いのか。
これからは臆せずに、思いを表現していった方がいいのかな。
まだ「いいのかな」という時点で、自信は持ててないんだけど。
この集まりの中で、二重作先生は何度も私の書いた論文や、それについて書いたnote記事にメンションされ、そのたびに褒めてくださった。
これが自分の強みだと気づいてなかった。
というか、この論文のテーマはそもそも大学院の修士課程の入学試験の面接時から、私が指導を希望していた先生に「やめたほうがいい」と諭されたものである。
結局、以前に卒論を指導してくださった先生が代わりに引き受けてくださって、無事に論文を書きあげることができた。
でも研究している2年間も、いろんなことを言われた。ありがたいことに面白がってくださる方が多かったけど、真逆の反応をしてくる人もいた。
今なら「お前のために書いてるんじゃねーんだよ、バーカ!」と言えるが、当時は真に受けて辛かったときもあった。
未だにこの論文に対しては、自信がない。
というのも、正直言ってテーマにした2つの楽曲に対して、特段強い思い入れがある人にしか読んでもらえない、ニッチなところを攻め込みすぎてしまったなぁ、と思っている。
ただ、この論文を書いたことにより、次にやりたいことがぼんやり見えてきた。
今度は、他の人の「好きな人」や「好きなもの」について、話を聞いていきたい。
そういえば「DOJO vol.2」に申し込んだきっかけも、二重作先生が、親交のある木村龍之介さんや田中孝幸さん、また他の皆さんとどんな話をされるか楽しみだったからだ。
他にも学ばせていただいたことはたくさんあって、思い出すと脳みそが火照ってくる気がする。
お聞きした内容を少しずつ自分の行動に実践していけるようになれたらな、とも思う。
その手始めとして、このnote記事を書いている。
二重作先生、木村さん、田中さん、参加された皆さん、どうもありがとうございました!
(トップ及びサムネイルの画像は、二重作先生と田中さんの著書、そして木村さんの著書は持ってないため、木村さんのお話を聞いて思い出した大学の授業のテキストを開いて載せてます)