KANさんに出会えてよかった。
KANさんの訃報を知った翌日、バスで出かける用事があった。
片道数十分の路線バスの中、スマホからヘッドホンでKANさんの楽曲をずっと聴き続けていた。
一人の人間が作り出した作品は、その人が存命かどうかに関わらず、後世まであり続ける。
いま改めて、KANさんの誰もが知る名曲の歌詞をテーマにした論文を書けて良かったと、実感している。
でも、私は正直なところ、あまり熱心なファンではなかった。
ライブも、地元から行きやすい場所なら行く、という感じだったし。
アルバムも、新譜が出てすぐじゃなく、気が向いたときに買ってた。
実にゆるゆると、身の丈の範囲でファンをやっていた。
10代のはじめに「愛は勝つ」を聴いて衝撃を受け、がっつりファンになっていたものの、高校や大学に上がるにつれて興味は少しずつ薄れていき、20代の真っただ中はKANさんとは全く別のアーティストの追っかけをやっていた。
でも、2008年から再びKANさんのライブへ行き始めた。たまたま、弾き語り形式のライブを始めたと知り、何となくチケットを取って行ってみたら良かったのがきっかけで。
以降、平均すれば年に1回程度はKANさんのライブに足を運んでいた。
ソロライブだけでも、上記の弾き語り形式もあれば、以前からやっていらっしゃるバンド形式もあり、また弦楽4重奏のカルテットを従えて行う場合もあった。
その他、他のミュージシャンの方々とグループを組んでのステージや、合同ライブもあって、いろんな形式のライブに行ったなぁ、と思う。
とはいえども、どのライブでもほとんどの場合は「愛は勝つ」を演奏してくれたから、だいたい年に一回ペースでこの曲の生演奏と生歌唱を聴いていたことになる。
ここ数年、KANさんのライブには、ひとりで行っていた。
でも、それが楽で良かった。
ライブが終わると、遠征の場合はそのままホテルに戻ったり、自宅が近い場合は帰路についたりして、ライブの余韻に浸った。
そのおかげで、あえて言葉にしなかった感情を少しずつ、心の中に溶かし込むことができた気がする。
KANさんへの想いを言語化することを、本当はなるべく避けておきたかった。
でも、あることがきっかけで、避けられなくなった。
それは「大学院に進学して、そこで歌詞分析の研究をしてみたい」という夢ができたこと。
そこから先のことは以下の記事で書いている。
本当は好きなものをそっと、心の奥に秘めて隠しておく方が、知らない誰かや何かにいきなり傷をつけられる心配がなくて楽だ。
だけど、この研究を思いついたのは自分なんだから、責任をもってやり遂げたい。
全力で取り組んでいった。
紆余曲折あり、やっとのことで論文を書き上げた後も、いろいろあった。
でも「書きたかった論文を書きあげた」という誇りはいつまでも自分の中に残ると思うし、後悔なんかまったくしていない。
(以下のnote記事でもそのことを書いた)
むしろ、感謝の気持ちでいっぱいである。
この論文を書きあげて、学外向けのオンラインジャーナルにも要旨を載せていただけて、新たな方々との繋がりもできた。
そして、この研究がきっかけで、また新たな研究も始めることとなった。
ひとつのテーマで長い文章を書きあげることへの自信がついたのも、この論文のおかげだ。
でも、このような論文を書いても尚、自分のことを「熱心なKANさんのファン」だなんて少しも思ってもいない。
手元にあるアルバムだってまだ聴き込んでないし、そもそも買ってないのもあるし、最近買った本だってほとんど読んでないし。
そんな緩めのファンだったけど、今はそのことを「良かった」と思う。
これからどんどん聴き込んでいけるし、読んでいけるっていう、新たな楽しみがあるから。
でも「もう新譜が出ることはない」と考えたら、悲しくなりそうだけど。
KANさんに出会えてよかった。
KANさんがいてくれてよかった。
楽曲、言葉、ライブパフォーマンス、ユーモアなど、たくさんのものを私たちに遺していかれた。
今はただそのことに、感謝するばかり。
遥か遠くまで旅に出られてしまったことは、とてもさみしいけれど。
きっと、最期の最期まで、KANさんは頑張ってくれていたんだと思う。
病に伏せたKANさんをずっと支えてくださったご家族とお仲間の方々、医療従事者の方々にも深く感謝を捧げたい。
そしてKANさん、本当に今まで、どうもありがとうございました。
そちらでの生活、楽しんでください。
こっちはこっちでKANさんの遺してくれたものを大切にしつつ、楽しくやっていきますので!