「もしもピアノが弾けたなら」に滲む、おかしみと優しさと温かさ
西田敏行さんの訃報を聞いて以来、しょっちゅう頭の中で流れてるのがこの歌。
いくつものテレビ番組で、西田さんがこの歌を歌っている映像が流れ、そのたびに「いい曲だな」ってことだけじゃなくて、「西田敏行さんのキャラクターにピッタリ合った歌詞だなぁ」って思います。
冒頭の「もしもピアノが弾けたなら」ってところから、しばらく聴いていたら、「あー、ピアノが家にあって、練習してるけど、なかなか上手に弾けなくて悩んでるのかなぁ」って思うけど。
サビで「だけど ぼくにはピアノがない」ってサラッと言うんです。
「ピアノ持ってないのかよ!?」と、吉本新喜劇ばりにすっ転びそうになります。
でも、その前後の歌詞では、「きみ」に対しての、主人公の熱い想いが終始、語られています。
その内容から「きっと片思いなんだろうなぁ」ということは伺えるのですが。
もし両想いだったら「心が通わぬ悲しみ」ではなく「心が通ったよろこび(もしくは嬉しさ)」になると思うんです。
でも、「心が通わ」なくて「悲し」いんですよね。だから、ピアノを弾いて、思いのすべてを歌にして、「きみ」に伝えたいんだろうなぁ。
この歌、全編を通して、主人公の優しさや温かさを感じるんです。
片思いの相手を、何とか楽しませたい。実際の自分にはそんな機会も技術もないけれど、もしも、この夢が叶ったら。
その想像から、この歌詞の大半が出来上がっています。
そこで歌われている情景を空想すると、まさにテレビ番組で西田さんが歌っている映像とリンクするというか(ご本人はピアノを弾かず、歌のみですが)。
亡くなってから聴くようになるなんて遅いのかもしれないけれど。
今ではスマホでよく聴いている曲の一つです。
歌っている人が亡くなった後も、その人の歌声は残り続けるし。
この歌も、この先、何年も語り継がれていってほしいなぁ。
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