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小説「ガチョウ型クッキー」

 せっかく駅前からバスに乗って20分かかる製菓用品店に来たのに、欲しかったクッキー型は見つからなかった。
 壁一面にずらっと並んだステンレス製のクッキー型の中から、ガチョウの形をしたものを探したけど、なかった。アヒル型やスワン型も探したが、それらもなかった。
 作ろうと思えば家にあるもので自作もできるらしい。でも、とりあえず一度は見に行くことで、心を落ち着かせたかった。でも、やっぱりなのか、ハートとか星とか桜とか、シンプルな形のものが中心だった。それなら家にある。
 まぁ、でもついでだからと店内をぐるぐる回って、ありとあらゆる製菓用のグッズや材料の種類の多さに感心しつつ、結局なんにも買う気になれず、手ぶらで店を出た。朝食後すぐに外出したので、腕時計を見るとまだ正午まで時間があった。なんだかもったいないと思いながら、帰りのバスに乗った。
 後方座席に腰を下ろし、走り出したバスの中、ふと考える。私のオリジナリティって何だろう。
 昨年の春、仕事がテレワークに切り替わった。家にいる時間が増えたことで、もともと好きだった料理やお菓子作りに、より手をかけることができるようになった。
 そして、写真を手軽に投稿できるSNSに登録した。自分の作った料理やお菓子の写真を載せようと思ったからだ。でも、イイネ!をもらえるかどうか不安だった。美味しそうな写真を撮れるかも、添える文章も上手に書けるか自信がなかった。
 登録はしたけれど全く投稿しないまま、自作の料理やお菓子の写真を投稿しているアカウントをいくつかフォローした。他の人が自分で作ったものを、どんなふうに写真を撮って、どんな文章を載せているのか真似したいと思った。
 そうやって何日も、タイムラインにずらっと並んだ料理やお菓子の写真を見ながら、どう投稿すべきか悩んでいるうち、タイムラインに一羽のガチョウが頻繁に現れるようになった。普段は料理やお菓子以外の投稿があっても、あまり気にしない。だが、ガチョウは普段見慣れないものだから、最初は驚いた。
 だがそのガチョウの優しそうな、愛らしい目と、撫でたら柔らかくて暖かそうな胴の丸み、そしてくちばしの一部と両足のサーモンピンクが可愛らしかった。
 SNSは見ているだけでも十分に楽しい、幸せな気持ちになる。
 それだけで、本当に満足なはずなんだけど。
 そこで、やってきたのが製菓洋品店だった。可愛らしい型でクッキーを焼いて、初めての投稿をしてみようと思った。人目を引くような形の、と考えて思いついたのがガチョウ型のクッキーだった。私がいつもSNSで見ている、あのガチョウのような、丸みを帯びた可愛らしい形のクッキー。
 あ、でも。バスに揺られながら考える。私はあのガチョウの、優雅で穏やかそうな、それでありながらマイペースを貫いて我が道を行く、という雰囲気に憧れていた。
 私もそうすればいいんじゃないかな。他人の目を気にして生きることはしんどい。SNSは楽しいけれど、無理をしてまで投稿しようとしたら、辛くなってくる。
 新しいクッキー型は別になくてもいい。家にある、ハートとか星とかシンプルな形でも、自分が作りたいクッキーを作って、SNSに載せたらいい。何のオリジナリティがない投稿でも、私は私なりに、マイペースを貫けばいい。
 バスの車窓を流れていく景色を見ながら考える。家に帰ったら、何を作ろうか。腕時計を見ると、まだ正午前だ。ホットケーキでもパスタでもクレープでもいい。何を作っても、代わり映えしないかもしれないけど、私は自分が作りたいと思うものを作って、SNSに投稿したいと思ったタイミングで、投稿すればいいんじゃないかな。
 あのガチョウのように、優雅に穏やかに、マイペースで生きることができればいいな。

※ 当小説は以下の企画に参加しています。


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さちともこ
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