ぼくのイヌくろべえ 佐藤さとる
マンガの話で恐縮である。以前谷口ジロー氏の「犬を飼う」という短編のマンガが絶賛された。主人公はそろそろ中年の域に達する子供のない夫婦。その夫婦が飼っていた犬が老衰で亡くなるまでの状況を淡々と語るお話である。谷口ジロー氏という、画力のある人だけに、老いをさらす老犬の物言わぬ姿と、ひたすら看病する夫婦の姿が胸を打った。よたよたと散歩をするタム(その犬の名前)と主人公。まさに主人公のこの先を暗示するような風景や、点滴をうちながら生きながらえる物言わぬ愛犬を見守る夫婦の姿。これはこれで一つの愛犬とのつながりを描いていた。
そのとき、私はこのマンガに感動しつつ、佐藤さとるの「ぼくのイヌくろべえ」を思い出していた。
近所の知り合いのたばこ屋からわけてもらった黒いイヌ「くろべえ」。もうすでに学生だった「ぼく」と「くろべえ」は、他の誰よりも親しくなった。散歩でくさりを離しても口笛一つで、もどってくる「くろべえ」だった。「くろべえ」とは、「ぼく」が結婚しても娘がいっしょにあそんだ。
15年間、「くろべえ」は「ぼく」といっしょだった。そしてあるとき、ふっといなくなりそれきり帰ってこなくなった。口笛を吹いても聞こえない遠いところにいったに違いない・・・と「ぼく」は思っている。
以前、「コロボックル生誕40周年記念パーティ」で作家の山中恒さんが、佐藤さんデビューのころのお話として、こんな話をした。山中さんが、佐藤さんの作品を批判していたら佐藤さんはこう答えたそうだ。「君は山をそちらから登るという。じゃあ僕はこっちから登るだけだ。同じ山を登っているんだよ。」と。
谷口ジローの「犬を飼う」も「ぼくのイヌくろべえ」も、犬を愛し、犬と共に生活をしている人のお話である。全く印象が違うが、これぞ「同じ山を登る」ということなのだろう。佐藤さんの淡々として、感情を交えない話し口。でも、目の前に「くろべえ」がしっぽを振るのが見えてくるようだ。
この話を読み終わったら、あなたもそっと口笛を吹いてほしい。あなたのそばに駆け寄ってくる「くろべえ」がいるかもしれない。
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我が家も、愛犬と共に16年間暮らしました。もう一度、犬との生活も良いかと思いますが、いろいろな理由を見つけてはあきらめています。そういうモノかもしれません・・・