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時間を共有する大切さ オンラインお葬式を通して感じたこと

 木曜日の夜、実家、長野の祖母が老衰のため、この世を去りました。
この土日が通夜、告別式で、駆けつけることができない私はZOOMで参加しました。その中で感じたことをここにつづりたいと思います


 祖母は先月3月末に老人施設の看取りの部屋に入り、いつどうなってもおかしくない状況でした。直接お別れに行けるときまではなんとか・・・と思ってみたり、終わりが見えないこの状況で、お別れに行けるまで頑張って生きてほしいと言い続けることは酷なのではないかと思ったり、自分の心の中の葛藤は大きく、直接お別れを言えない覚悟をして過ごしてきました。


 祖母をにぎやかに送り出してあげたいという願いはあるものの、この状況で県外から人を呼ぶことはできない。万が一の場合は近くに住む親族だけで葬儀を行うことを喪主である父は決断していました。父が親戚一同に訃報を伝える中で県外在住の親族でどうしても行くと聞かない方もいたそうです。ですが、父は泣きながら「来ないでくれ」とお願いしたそうです。
実家、長野は感染者も少なく、田舎のためご近所との距離も近い。
県外から人を呼んだ結果クラスターを発生させてしまっては、大騒ぎになってしまう。また、実家は飲食の製造業を営んでいるため、万が一のことがあった場合は、商売を続けることが難しくなり、お取引先にまでご迷惑をおかけすることになる。その状況になることだけは避けなければならないことでした。苦しかったと思います。

そんな中、無駄にハイテクな我が家は、お通夜直前にZOOM配信を決めました。来ることができない親族がなんとか祖母にあいさつができるようにと考えたようです。
ZOOMをつなぐと、両親、親族の顔が見え、祖母の姿にも会えました。
祖母はとても穏やか顔で眠っており、とても安心しました。
一人東京の自宅にいることが何となく落ち着かなかった私にとってはとてもありがたかったです。

通常ならば、お通夜のあとは直会が開かれるのですが(実家は神道のため、直会となります)コロナウイルスの影響で直会がなかったため、東京にいる兄2人と私と実家でZOOMをつないで夕食を食べました。祖母も楽しく会話を聞いていてくれたと思います。こんな家族団らんもありなんだなと思いながら、夕食を楽しみました。



コロナの影響で一気にオンライン化が進みました。
オンライン会議、ウェビナー、オンライン飲み会、オンラインレッスン、オンライン結婚式・・・。
私自身も最近はオンライン飲み会を楽しんでいて、遠くにいる人と同じ時間を共有できることができるこのツールの可能性は無限大な気がしていました。

一方で、お葬式をオンライン化することはなんとなく気がのらなかった。やはりその場にかけつけるべきだろうと。

しかし、どうしても行くことが叶わないこの状況では、オンラインであっても価値があるのだなと思いました。

オンラインでは五感のすべては共有できません。しかし見るもの、聞こえるものは共有でき、声を届けることもできる。同じ時間に同じものを見て、同じものを聞く、同じ場所にいなくても、同じ時間を共有し繋がる実感を得ることはとても価値があることだなと、学んだ気がします。

そして、大切な人と同じ場所で、同じ時間を共に過ごすことがどれほど大切で尊いことなのかを改めて感じました。

今回のこの対応に、賛否はあると思います。何が正しい行動で、何が間違っている行動なのか、私にはわからないけど、それでも今回の我が家の選択は正しかったと思っています。

急遽決めたZOOM配信だったため、ネットワークの問題や、音声が聞きづらいなどはありましたが、この時間はとても意味ある時間だったと思います。あまりまとまらない文書になりましたが、この経験をここに書くことで、
この状況下で葬儀を行う方々の参考になれば、幸いです。



そして何より、1日も早く、コロナ騒動が終息することを、切に願います。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。 これからも、自分らしい表現を求めて 日々更新していきたいと思いますので、 応援していただけたら嬉しく思います。