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伝統をつなぎ、新しい形をつくりだす会津木綿の魅力

会津木綿に出会ったのは、WISE・WISEでお取り扱いさせていただいているヤンマ産業の受注販売会でした。
ヤンマ産業は、会津木綿をメインの素材に、天然素材のみで商品を展開しているアパレルブランドです。“ひとりひとりが必要としている洋服をつくる”という思いをもって、飽きのこない長く使い続けられる洋服をつくり、「受注会」と呼ばれる展示会で受注してロスを抑制する、完全受注生産の方法で販売しています。

しっかりとした生地感、飽きのこないシンプルなデザイン、そして使えば使うほどに体に馴染んで優しく柔らかい着心地になることから、すっかりスタッフもヤンマ産業とその製品を作り出す「会津木綿」に魅せられました。
 
WISE・WISE toolsでも会津木綿を使って、オリジナルの商品が作れないかと考え、誕生したのが「会津木綿×SASAWASHIのルームシューズ」。
SASAWASHIルームシューズはWISE・WISE toolsの開店当時からのロングセラー商品で、和紙の中に昔から日本に自生する「くま笹」をすき込んでおり、吸水性が高く、さらさらとした履き心地が人気です。そこに日本の伝統的な縞柄の会津木綿を外生地として掛け合わせ、カラフルなルームシューズが生まれました。

今回は、今も昔と変わらない伝統製法で織り続けられている会津木綿の生産地、会津若松市を訪ねました。

会津木綿の伝統を受け継ぐ「はらっぱ」へ

私たちが訪れたのは、会津木綿の「染めから織りの工程」までを一つの工場で行う「株式会社はらっぱ」。1899年(明治32年)創業の老舗の織元 原山織物工場が、一時廃業となってしまったところを事業継承し、新たな体制として立ち上げられました。

一歩、敷地の中に足を踏み入れると、昔ながらの木造の工場と、まっさらな白い糸が庭に干されているのが目に入り、まるでタイムスリップしたかのような光景。

今回、ご案内していただいたのは、株式会社はらっぱの専務執行役員原山修一さん。
原山織物工場は、元は原山さんの祖母の家で小さい頃からよく遊びに来ていたということ。8年ほど前まで東京の制作会社でキャスティングの仕事をされていたところ、原山織物工場から「はらっぱ」に事業が再編されることになり、福島の家業に戻ってきました。
小さい頃から身近な存在だった会津木綿を残していく、その想いとは。原山さんに、会津木綿の伝統と魅力についてお話をうかがいました。

この土地の気候風土から生まれた、会津木綿の魅力

会津木綿は福島県西部の伝統工芸品。その歴史は古く、約400年前、会津藩主の蒲生氏郷が産業振興により綿花の栽培と、以前の領地から織り師を招いて織りの技術が伝えられたのが始まりと言います。
会津木綿は、冬は豪雪、夏は盆地特有の酷暑となる東北の厳しい気候風土の中で育まれもの。
『夏は涼しく、冬は暖かい』
機能性に優れた野良着として、この土地の人々に長く愛用されてきました。

原山織物工場時代から受け継がれている、会津木綿の見本帳。今も図柄の参考に大切に使い続けられる

原山さん
「会津木綿の特徴は、丈夫でふっくらした肌触りの生地に、素朴な縞模様です。
 かつてはこの縞柄は『地縞』と呼ばれ、地域ごとに縞の模様が変わり、着ている柄を見ればどこの地域の人かがわかったと言われています。
はらっぱでは古くからある縞の柄に加えて、新しい柄をつくり続けていて、今は120種類ほどあります。そのうちの半分が昔ながらの柄。時代に合わせて試行錯誤しながら、様々な色や柄を作り出してきました。
 
一見、単色に見える生地も実は何色もの糸を織りこんでいるため、合わせやすい、奥深い色合いになります。」

1色に見えても実はその中に様々な色が織りかさなっている

はらっぱで今も使われているのは、1915年に豊田左吉によって発明された自動織機。現在は製造しているところはないため、機械が壊れたりすると、新しい部品を取り寄せたり、無いものは作ったり、修理をしながら使い続けています。

原山さん 
「明治時代にトヨタが自動織機を発明してから、一気に全国で機織り産業が発展しました。
うちで今でも使っているのは、トヨタのY式という小幅の自動織機で26台あります。その他の4台の織機は、去年、浜松の織元さんが廃業されたので譲り受けました。

かつて会津地方には30軒以上もの織元がありました。ところが、戦争の影響で鉄である織機が回収されたり、海外から安価な布が入ってくるようになり、生地の需要は減り、織物工場は一気に数が減りました。
戦後、原山織物工場では、織機を買い戻して機織りを再開しましたが、今では昔からある織元は2軒のみとなってしまいました」
 
原山織物工場も先代が亡くなった際、一時、廃業という決断をしましたが、取引先であるアパレル会社のヤンマ産業の代表が、どうしても存続させたいという想いをかけ、事業を継承するかたちで株式会社はらっぱが設立されました。

はらっぱが最初に取り組んだ事は「適正価格にする為に生地の値段を1.5倍に値上げすること」だったと言います。
 
まずは、事業を「100年後も残れるシステム」を作り上げること。
これまで続けてきた金額に約50%値上げすることに踏み切り、高価格のものを増やし、新たな商品を「日常で使いやすいもの」をテーマに考えていったと言います。
 
原山さん
「原山織物工場からはらっぱに切り替わり、これまでの取引が続いていくかという不安があり、値上げをすることは勇気のいることでした。
初めは卸先であるお土産屋さんでも「高い商品は売れない」など、様々なご意見もあったのですが、観光の形も変わってきて、その土地にしかないものとの出会いが求められるようになりました。今では、快く1万円以上する商品も置いていただいています。ここ数年では、新しい取引先も増えてきました。

織元なので、生地から色々な形や柄を生みだし、会津木綿の価値が伝えられる商品をつくることができる。染めた糸が製品になっていく。その工程を見ていけるのが楽しいです」

手をかけてつくられる、会津木綿の魅力

会津木綿の風合いは、まず染めの段階からつくられます。
糸を織る前の状態から「かせ染め」し、かせ(束になった状態)に巻いた糸に染料を噴射するため、一本一本がしっかりと染まり、丈夫で色落ちしない糸ができます。
そして、染められた後は、かせにデンプンのりをつけて庭に干すことで、伸び切った状態で固まることになります。
この糸を織り込むため、会津木綿は、最初はパリッとノリのついたしっかりとした着心地。それを使い続けていくことで、次第に柔らかく馴染むようになります。
また、洗濯することで糸が縮み、空気の層ができることによって、冬は暖かく、夏は涼しいという風通しのよい布に育っていくのです。

かせ染をする機械。管にかせをかけて染料を噴射するため、一本一本までしっかり染まり、色落ちしにくい生地になる

糸を染めた後は、経糸と緯糸に分けられる「整経」を行い、いよいよ織る工程に入ります。

織り場の横の整経室。生地を織る前の準備で経糸(たていと)と緯糸(よこいと)に分けられ、機械にセットされる
トヨタの織機が現役で今も使われ続けている

織り場の中へ入ると、織機の重厚な音が広がり、声も聞こえにくいほど。
ただし、コンピューター化されていない機械の音は、一定のゆったりとしたリズムがあり、現代の機械のスピードに比べて遅いもの。実はこのスピードも大切で、ゆっくりと織り上げられるからこそ、糸に負担をかけずしっかりと織り込むことができる。会津木綿のしっかりとした風合いは、古い機械だからこそ生まれるものなのです。

自動織機といえども、トラブルが起きたら止まったり、緯糸(よこいと)がなくなったら新しい糸を差し込んだりと、人の手がなければ進めることができません。
機械が動く大音響の中、スタッフは休むことなく織機が織るのをチェックしながら作業を進めます。

最後に出来上がった生地を縫製する

今も昔と変わらない風景で、伝統を受け継ぎながら会津木綿を織り続ける人々の姿。
一つの織物をつくりあげるには、一つ一つ手の込んだ作業が必要で、たくさんの人の手が加わるからこそ、丈夫で温もりのあるカタチになっていくのです。

会津木綿の価値を、伝えたい

コロナ禍でアパレル業界全体は大きな打撃を受けましたが、コロナを機に新しいことを始め、それが良い方向へと前進するきっかけになったと言います。

原山さん
「2年前、コロナになってから直売所を始めました。それまでは、卸がメインだったのですが、どのような場所でどのような人たちがこの生地を作っているか知ってもらい、会津木綿のファンづくりをしたいと思ったんです。
 
直売所は毎週、火水木と予約制にして、土日でも月に一度くらいは対応できるようにしています。
そうすると、お客様の顔が見えるようになり、実際に対面して会話しながら売れる。遠くから来てくれる人も増えましたし、うちで買った生地でつくったものを見せてくれる人もできました。
古い機械なのでどうしても出てしまうようなB品生地を求めに来たり、地元も含め、県内県外から多くの人が来てくれるようになりました。
 
そうやって会津木綿のことを直接伝えていけるというのは嬉しいです。
僕がこっちに戻ってきて最初に衝撃だったのは、地元でも若い子に会津木綿があまり知られていないということでした。
若い子にとって会津木綿は遠い存在になってしまっていたのです。
ここの土地で作っているんだよということを伝えていきたい。
今は、子供たちに会津木綿に触れる機会をつくりたいと、幼稚園や小学校でワークショップ等もしています。
 
廃業という選択から、織元を復活させた時には地元の方にも喜んでもらい、応援していただきました。この土地に生まれ、ここでしかできない会津木綿を大切につないでいきたいと思っています

最後に原山さんから、今後挑戦したいことについて伺いました。
 
原山さん
「直近の目標は、藍染めを復活させることです。
もともと原山織物工場では藍染めをしていましたが、先代が亡くなってから途絶えてしまいました。今は猪苗代の農家さんと藍を育てみようと話をしていて、この土地で育てた藍で染めてみたいと思っています。
 
昔は、この土地でも綿花を栽培していたので、ここで育てた綿花で、染料もこの土地のもの、と全て土地のものでまかなっていました。
今は、全国的に綿は輸入に頼らざる得ない状況ですが、綿栽培をしている場所も少しずつ増えていると聞きます。県内で綿花を栽培し、ここで紡ぎ、織っていくことができたら理想ですね。
いつかはこの土地のものだけを使って、オール福島のものをつくってみたいと思っています

最後に、庭先に案内していただき、見せていただいた綿花。はらっぱの皆さんで実験的に育てているとのこと。
たくさんの人の思いを織り込み、長く続いてきた伝統産業は、時代とともに新しい形となり、これから先も大切に育まれていきます。
私たちも、その価値を大切に伝えていきたいと思いました。 

文・撮影:さとう未知子

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