You will make the same mistake again
事故を起こした当事者に、その事故を発生させない方法を考えるよう求める場合がある。いわゆる始末書を書かされるというものだ。アレ、止めた方が良いと思うんだよね。なぜなら当人に考えさせたって、碌な解決策が出てくるはずないんだもん。
彼らがよく思いつく解決方法は、事故が起こった原因を特定して「その原因が起こっていないか確認する」という類のものだ。こういった場当たり的で非根本的な解決方法が生まれ、ともすればそれを良しとし運用される悲劇が起こる理由は、既存のフローやシステムから考え方が抜け出せていないために他ならない。さらに言えば、それらをそもそも理解できていないのが、事故の遠因であったりする。
岡目八目というように、当事者よりも一歩引いた視点で観察する方が状況が良く分かる。第三者委員会が設けられる理由も同じだろう。
しかし、岡から見ている方も無能だと、当事者が解決策を思いついた場合と同様、やはり悲劇が起こる。この悲劇が意味するのは、そのコミュニティの構成員全員が無能だという判然たる事実であり、悲劇の程度はより深いかも知れない。